そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

とりあえずなんかやってみよう

ナントカが亡びるとき関連の話題。

先の連休、(他にやるべきことがあったにもかかわらず)うっかり和文英訳に費やしてしまった。宮沢賢治の『めくらぶどうと虹』の超訳。とりあえずまだ下訳ていどのものだが、1日2〜3時間かけて3日。

どうにか形にはなったが、それにしても英文和訳よりしんどい。時間もかかる。そしてなにより、出来にまったく自信がない。

Lang-8という相互添削サイト(SNS)のことを知ったのが9月の終わり。まったく後先考えず加入したが、とんでもない茨の道だった。すでに10本以上のJournalを投稿しているが、誰かが添削してくれるたびに、奇声を発しつつエントリを抹消してそのまま悠久の彼方に旅立ってしまいたくなる感じ。

なにしろ誤字や脱字は当たり前、時制はバラバラ、冠詞は抜かす、複数形の概念を忘れる、前置詞は的外れ……。

"tried to said"(tried to say)とか"of cause"(of course)とか"blow the window"(blow the wind)とか。こういうの、もちろん指摘されないでも間違いであることはわかるのだが、書く段となると、なぜこんな失敗を繰り返してしまうのだろう?*1

なにしろその程度。残念ながら「ナントカは亡びるかも!」みたいな危機感のわりに実力がぜんぜん伴っていないのだが、少なくとも英語で表現すること自体はためらわないことにしている。恐い人には「下手な英語で賢治を汚すな」などと言われるかもしれないが、ネット上の無償の英訳賢治作品なんてそんなにはないと思う。これで宮沢賢治や、あるいは他の日本語作品に興味を持つ人が一人でも二人でも増えれば超ラッキーではないか、というくらいの軽い気持ちだ。

日本人が「発信」について無頓着すぎたのは間違いない。古代からのキャッチアップスタイルがもたらした陋習ということだろうか。発信しないから英語が下手なのか、英語が下手だから発信しないのか、はたしてどっちなのだろう?

とりあえず、みんなも好きな俳句なり短歌なり詩なり訳して、英語圏に紹介してみたらどうかな。

*1:それでも、やたら日本語の上手なアメリカ人とかから「君の英語は上手、大丈夫だよ」などと言われる(もちろん笑われたりもするけど……)。しかしあの人たち僕のことを中学生かなにかだと思っているんじゃないかな。そもそもアメリカ人が日本語上手なのと、日本人が英語上手なのでは意味が違うんだよ! と言ってはいるが、結局は「まあ、通じてるから良いんじゃない」ということで落ち着く。僕も別に世界をまたにかけるエリートビジネスパーソンとかになろうとしているわけではないので、まあいいかとは思うけど。