雄山「学者どもに翻訳をやらせるなっ!!」中川「ははっ」
以下エントリを未読の方は、ぜひそちらからご覧ください。
翻訳者「25年前に頼まれた翻訳オワタ\(^o^)/」
出版社「え」
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20100823/p2
上記エントリの続編として、岩波文庫のあとがきで翻訳者がいかに「怠惰につき出版が遅れてしまいお詫びする」的な謝罪をしているかを調べあげ、2020年に岩波文庫白帯(社会科学系)のあとがきを100冊調べた「遅くなってごめんなさい>< 10年間ずっと気にしてました><」を発表*1し、さらに2030年には岩波文庫青帯(哲学・自然科学系)の後書きを100冊を調べたうえで「遅くなってごめんなさい>< 10年間ずっとry」を投稿する予ry
それはともかく前エントリについて補遺をふたことみこと。
※なお、今回もタイトルはふざけ気味ですが、おもしろおかしく笑わせるようなエントリにはぜんぜんなっていませんのであらかじめご了承ください*2。だらだら長めでオチもありません。
三年待ち? 三十年待ち?
ジョン・ロールズの『正義論』改訂新版がこの11月に発売される。
Amazonでの旧版へのレビューによると、この新版『正義論』が発表されたのは2007年。それから3年たっての発売である。ようやくの感を抱く人も多いだろう。ちょうど世間では、ロールズの批判的継承者*3のひとりマイケル・サンデル*4に注目が集まっている折。とりあえず慶賀したい。
前回のエントリはそのあたりについてTwitterで話題にしていた際に、「『三年待ち』なんて、学者訳ではふつうのことみたいだね」という流れから生まれたものである。専業でない学者の多忙さや、学問的正確さを期した原典及び論料検証の必要性を考えれば、まあ当然であろう。
ただ、『正義論』についてよく考えてみると「誤訳のオンパレード」・「原典に対する無理解の産物」などと酷評されている旧版の発売は1979年8月*5。それでいけば『正義論』の読者は、本当は「30年待たされた……(-_-;)」と言えるのかもしれない。
日本語文化圏の限界
僕は残念ながら『正義論』旧版を読んでおらず(もちろん原典も読んでいない)、言われているほど訳が「ひどい」のか判断はできないが、(「大学院生に下訳丸投げ」とかそういう情報をとりあえずさておき)あえて最大限好意的に見れば、先行訳の恩恵をこうむって訳は進化していくということもあるので*6、ことさら言い募るのも酷という気はする*7。
そもそも専門家であれば原典に直接あたり論じることができるであろうし、それをするのが務めだ。しかし、そうではないものにとってそれはさすがに負担が大きい。それで見えてくるのは、アメリカをはじめとする英語圏では30年前になされ、おそらく市民の間でも十分に議論されてきたであろう問題提起について、日本語圏の非専門家の市民が追いかける「素地」がようやくできたという、あまりありがたくない状況だ。さらに言えば、ロールズが『正義論』への批判を受けとめて自説をアップデートさせた『政治的リベラリズム』についてはいまだ未訳なのである*8。
この8月、新版『正義論』の発売より早くサンデルが来日したが*9、はたして日本語文化圏は、ロールズの哲学と密接にリンクしている(らしい)サンデルの思想を、本当の意味で十全に理解できる状況にあるのだろうか? 彼は親切そう人なので、専門的すぎる事柄については噛み含めるように説明してくれるかもしれないが、一方でそれは「彼」というバイアスがかかった言葉でもある……
言語圏格差の憂鬱
先日、ProjectGutenbergでP.G.Hamertonの"The Intellectual Life"が登録されていることに気づいた。これはながらく校閲のない不完全なOCRテキストとしてしかWebに存在しなかったもので、日本語圏でベストセラーとして知られる『知的生活の方法 (講談社現代新書)』の着想元にもなっている人生論集だ。
こうした議論はさんざんなされているので、我ながら何を今さらというふうにも思うが、「古典資産」が着々とフリーになっていくさまを見るに、日本語モノリンガルの情報アクセス格差はけっこう深刻かもしれない。Googleブックスのサービス開始や、Kindle、Reader、iPadなど、英語圏を中心に進む情報デジタル化へのトレンドが必ずしもすべて「読者の利益に一直線」であると考えるのは楽観的にすぎるだろうが、日本のデジタル出版の動きと見比べると、その「差」にため息が出る。
おりしもはてなハイクでは「古典読む部」というコミュニティが形成されつつあるところだが、それにしても、いま絶版などの理由により日本語で手に入らない「海外古典」がどれほどあることか。そして、それらが英語文化圏でいかに入手しやすくなっているか。
多くの古典作品を刊行している岩波文庫は、「基本的に絶版はなく品切れ状態があるだけ」で、注文が相当数に達すれば再刷するという、「ひとり復刊.com状態」を続けているらしい(でも出ないときはぜんぜん出ない)。しかし、英語がちょっとできるだけで、Webで自由に読める古典が山ほどあるということを考えあわせると*10、アジアの片隅にありながらその思考様式においてほとんど西欧文化圏にいるといって過言でないもののハンディキャップを強く感じざるを得ない*11。
そして、考えてみればサンデルの公開講義もWebへのブロードバンドアクセスが可能な英語話者は無償で利用できるのだ。
ありがたいことに字幕がつくようになった*12のでなんとかなりそうな、そうでもないような。
バイリンガル国民は可能か?
日本の翻訳文化は豊かなものらしい*13。しかし今後、Webという新しいメディアを中心にした「情報爆発」というような事態が訪れるであろう(むしろもう始まっている?)状況において、翻訳者たちがそれらをすべてを翻訳することはとてもできそうにないということを考えあわせると、つくづく「翻訳専門家に頼った海外文化紹介」というスタイルが時代に即さなくなりつつあるように思う。もしかしたら、「翻訳文化の豊かさ、翻訳者の層の厚さ」にあぐらをかく態度があだになって「取りこぼし」が増えていくかもしれない(サンデルブームという状況に、ロールズを「取りこぼし」たまま間に合わなかったように)。つまりこれは「なにを訳させるか」という翻訳者のリソース問題でもある。
もし、英語に関して翻訳いらずの国民になり、「翻訳者というリソース」を他の言語に回せるようになれば、経済的・文化的両面の意味で日本もずいぶん違うだろうに――
と、ここでわれに返る。
……なんだか妙に英語推進派のアジテーションぽくなってしまった。「バイリンガル国民」というのは言い過ぎというか、理想にすぎるというか、そうそううまくいくものではないだろうとは思う。
しかしまあなんというか、ロボット大好きな日本で妙に受けが悪いトランスフォーマー愛好者の立場からすると、英語をちょっとかじることを厭わなければ、
- たちまちのうちにネットで様々な情報が手に入り
- 雨後のタケノコのように出版されるため英語版トランスフォーマーコミックで貧乏生活を強いられ*14
- アニメは、声優大暴走な日本語版だけでなく、シリアスでSFマインドに満ちた英語版も楽しめる
――わけで、なんとなく英語嫌いでいることがもったいない――などと考えることもある――というような――ゴニョゴニョ
それはいいか。
とにかく、どういう理由か知らないが25年翻訳を放置されるような事態があるというのは(レアケースではあろうが)、やはりあまりよいこととは思えないのである。「専門家に翻訳をさせていればそれでよし、いつか出来上がる」――というような受身の姿勢は、やはりちょっと考え改めてみる必要があるんではないか。
なにしろ翻訳者まかせ出版社まかせは不確かである*15。いわんや学者をや。
……
などと思った次第(腰砕け状態で2020年に続く
※参考エントリいくつか適当に
日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に) - 小学校笑いぐさ日記
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728昨日の記事の補足とか。 - 小学校笑いぐさ日記
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090215/1234663616
日本が未来に生きるために日本語を改変する - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20091101/1257101370
英語嫌いを作る方法 - 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2010/07/21_1832.php英語ができんが、何がいかんとや - 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2010/07/25_1133.php
大論争 社内公用語が英語って、なんか違うんじゃない? | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/960
なお、「翻訳者のリソース問題」ということについては「頭数」だけではダメかも(単に翻訳能力だけでなく、原文をしっかりと理解したうえで訳せなければ文が空虚になる)……と思わなくもないので、
光文社古典新訳文庫の翻訳がエラいことになっているらしい - 感じない男ブログ
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20080805/1217942261
あれ? それじゃ学者に翻訳をやらせるなというタイトルと矛盾してしまうような……まあ、このリンク先の言及先で批判されているような不誠実な態度――この本当に批判が正当かどうか僕には判断できないが――を取る人は問題外ということでゴニョゴニョ
*1:すでにもう100冊調べてあるのだが cf. http://textt.net/t/islecape/20100811141543/4
*2:なお、タイトルの元ネタは『美味しんぼ』14巻184ページ2コマ目 cf. http://zyaane.blog.shinobi.jp/Entry/56/
*3:……と言われているらしい。ベンサムとミルみたいなものだろうか?
*4:彼の議論は甘い、というような声も聞こえてくるのだが、そういうことはさておく。
*5:僕は生まれてもいない
*6:スタンダール『赤と黒』の「新訳なのに誤訳だらけ問題」は記憶に新しいが。cf. 赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)および赤と黒(下) (光文社古典新訳文庫)
*7:これが翻訳ミステリだと「なんだこの訳しかた。バッカじゃねえの」とか思ったりもするけど……
*8:※2022年1月に筑摩書房から翻訳が出た。cf. https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480867377/
*9:8月25日に東大で約1,000人を相手に講義を行ったという。cf. http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082501000985.html
*10:もちろん古典は英語作品だけではないけれども。
*11:繰り返しになるが、古典作品はもちろん英語だけではない。ただ、各欧州諸言語が相互変換〔機械翻訳を含む〕しやすいのもまた事実である。
*12:いまのところ英語のみらしいが cf. http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20409843,00.htm
*13:実際に各国と比較してどうなのかは知らない
*14:日本では一年に一冊も出ないし、ヘタをすると打ち切られて単行本の続きが出なかったりするのでのでありえない。
*15:いったいコードウェイナー・スミスの最終短編集はいつ出るんだ? ※後年追記:2016年から2017年にかけてハヤカワが全短編を文庫3冊にまとめている。