そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

4474510

シェイクスピアを「シェイキー」と呼んだのは誰?

アル・パチーノ主演の映画『ヴェニスの商人』のクライマックスシーンだけちらっと見たので、本棚からヴェニスの商人 (白水Uブックス (14))版(小田島雄志訳)を引っぱりだして読む。

どう考えてもいじめです。というかグラシアーノーがいちいちむかつくんですけど後ろから蹴飛ばしてはいけませんか。

巻末にある渡辺善之氏の解説によれば、はじめ間抜けな道化として演じられていたシャイロックは、1741年に「狡猾にして恐ろしい獰猛さを秘めた『悪役』」属性を付与されたそうで、それがさらに悲劇の人として扱われるようになったのは初演から200年以上を経た1814年のこと。それ以来200年ちかく、この偏屈なユダヤ商人に対する同情的な演出が多くなされてきたようだ。

しかし、シェイクスピア自身がシャイロックをそのように描こうと企図した、というふうにはどうも思えない。それではあまりにもシェイクスピアを神格化しすぎだろう。渡辺氏の解説で紹介されている意見――

シェイクスピアは、中世の物語の悪魔、すべての正直な人間から忌み嫌われる野良犬として、シャイロックを描こうとしたのだが、彼の創造力が意図を越えて、偉大な感受性と人間性を備えた人物を作り上げてしまい、かくして、芝居の芸術的統一を破壊する一方、人間の理解を広げる働きをした」

(Henry Buckley Charlton,1939)*1 

こういう感覚で読み取られているからだろうな、とは思う。どうも僕にはユダヤ人差別というものがピンと来ないのだが*2、その反動があるのではないか。歴史的にも、文芸的にも、そして政治的にも、いまさらシャイロックを当時の文脈で演出するのは難しいだろう。そろそろ革新的な第三(あるいは第四)のシャイロック像が出てくるのかどうなのか。

兄妹そろって風邪ひいた

晩、切らした風邪薬を買いに近所のモールへ行く。モール内の本屋に立ち寄ったところ、宮沢章夫著『アップルの人』(新潮文庫)を発見する。しかしこれを買い初めにしていいのだろうかと悩む。そして悩んだあげく買わなかった。すいませんごめんなさい。そのうち買います。

ちょっと前なら、「アップル」などと題名にあれば一瞬にして釣られていたところだったが、僕もだいぶ冷静になったようだ。もうずいぶん前からApple信者ではなくなっているのだ。というわけで、今年はLinuxを始めたいと思う(いまさら)。それもサーバー用途ではなく、安価なパーソナル環境としてどこまでできるかを*3。いいかげん習得言語がHyperTalkとHTMLだけというのもアレだし、金槌を水に放り込む効果みたいなものがあったらいいのだけれど、というような感じで。

けっきょく本は何も買わず、風邪薬と目薬、それに割引になった果物や菓子を買って帰る。少し汗をかいたので、風邪など明日にはもう直っているだろう。

帰りすがら、街角のLEDイルミネーションを見ながら思う。巷の栄華低く見て〜みたいな感じでいこうと思っていた僕のはてなダイアリーが、三ヵ月も経たないうちに低く見られる側に回っていた件について。

馬脚は隠しおおせるものにあらず、むしろあらわすためにあり。

ことし最初の格言。

*1:渡辺氏の解説には"H.B."としかないが、たぶんこの人だろうと思うので……

*2:じゃあロマ差別がピンと来るのかと言われると困るけど。

*3:お薦めできないということは聞いている。