そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

改元と天皇退位に関しての雑記

元号が「令和」と決まった

自分のTwitterへの投稿や手書きの日記、メモ類の情報をまとめ、ここに個人的な備忘を記したい。発表翌日あたりにはまとめていたが、いつのまにやら時間があっという間に過ぎて、投稿日時が発表からもう2週間経とうかというくらいになっているのは無視しよう。

元号そのものに対して特に意見はない

筆者が最初にその字面を見て感じたのは、やはり「和せしむ」というようなものであった*1。とはいえ、そんなあからさまな意味で決めたわけではなかろうとも思った。

手元の情報端末にインストールした漢和辞典(漢辞海)をひもとくと「立派な」とか「美しい」という意味も併記してある。そう言われれば確かに「令嬢」とか「令名」とかその類があった。

選定理由を聞けば、大伴旅人山上憶良が梅見の宴を詠んだ詩に出てくるフレーズで、「令」は「令い月」、「和」は「和やかな風」からきているとかそんなようなことを言っている。

(そう聞いて、この例えは必ずしも適当ではないが、「月」と「星」が綺麗だから「腥」という字で名前をつけよう、みたいなジョークが頭に兆した)

ということはともかく「日本の美しい自然の調和」を由来とするとか聞けば「和をもって貴しとなす」というお国柄だし*2、無難で、どの層にも受けがよさそうだなと思った。ほだされている人も少なくない。「令」が「命令」の「令」であるということから透けて見える政権の傲慢を指摘しなければ夜も眠れないような人を除けば、おおむね好評のようだ。ちょろい。

かくいう筆者自身の初見の印象も、先述の通り「調和しろよ、お前ら、いいな?」ではあったが、「“令嬢”とは、すなわち“すばらしい娘さん”でありますから、従いまして“令和”は当然“すばらしく和やか”ということであり、つまり英語で言うとBeautiful Harmonyという意味あいとなることはですね、いいですか皆さん全く明らかなのであります」――と、そう名付けた人たちが主張するのなら、漢文テストの成功もはるか忘却の彼方となった身としては、そうですか、という感じだ*3

(実際のところ「安晋」とか「安恵」でも全然よかった)

ちなみに、発表前には首相や首相夫人の名前に由来するような元号が取り沙汰され、一部で嫌悪感を持って囁かれていたが、「元号の名前がよければ満足、不満なら使わない」みたいな考えは結局「元号というおおもと自体の肯定」でもあるし、筆者の取りうる立場ではなかった。むしろ、そんなふうに臣下が天皇に対して名を与えるみたいな事態を見てみたかったくらいだ*4

筆者は、いまの政権は500回くらいバットを振ってるのにまだ打席に立っているバッターみたいなところがあると思っているが、それに同意せず「全部が空振りというわけではなくあれはファウルだから」みたいなことをいう人もいる。「新しい元号は『安晋』であります」となっていたとしても、なんだかんだ肯定する人々は少なくないはず。

しかし仮にこのさき五年くらい政権の命脈が保つとしても、今の社会状況を見るに、二十五年たったらさすがにどうだかわからない。そうなったとき、そんな元号を人々がどう扱うことになるだろうかと、内心楽しみにしていたのである。

まあそれはいいか。

それより「二十五年後」のことである

明仁天皇*5は55歳という高齢で即位し、三十年ちかく(本人の弁を借りれば)「全身全霊」をかけて働き続け、ついにギブアップした。

2016年。退位の意向を周囲に黙殺されてきた天皇が、最後の手段としてメディアを使って国民に直接語りかけた、いわば終活宣言であるところの「お気持ち表明」に、臣民こぞりて共感と同情と理解の声をあげたのは、まあ本人の人徳といってもよかろう(「立憲主義国民感情に左右されるアジアの民主主義」といったフレーズが想起されるところではあったが)。

とにかく天皇は賭けに勝ち、かくて天皇生前退位という(憲政史上初の)「前例」が成立する。

その結果のひとつが新元号の事前発表である。

お通夜ムード(というか実際お通夜)の天皇崩御による改元より、天皇生前退位による改元のほうが、お祭りのようで楽しい、と民衆は慶賀する。

ということは、父親より年嵩の59歳で即位することになる徳仁天皇の時代となる「令和」も、前例に従い皆が認容する生前退位によって、25年(それとも15年?)くらいで終わることになるはず……だが。

では、いったい誰が「次」に天皇を継ぐのか

2019年現在、皇位継承権は男子のみとなっている。つまり、現時点では東宮から即位する皇太子と、その弟で「皇嗣」となる秋篠宮、そして秋篠宮の長男である悠仁親王

秋篠宮が、兄の生前退位のあとに、ほんの数年、いや数ヶ月、もしかして数十日、ことによると数日、あるいはほんの一瞬でも天皇に即位する可能性があるのかどうか、筆者は知らない。大相撲で兄弟横綱を誕生させたいとかそういうたぐいのものでもなかろうとは思う。ただ、現状唯一次世代の皇族男子である悠仁親王を即位させるにあたって、「伯父から甥に」皇位を継がせるのではなく、あくまでも「父から子に」という形式を取らせたいと思う向きがあったりするかもしれないので、兄から弟にワンポイントリリーフということは、素人考えではありそうな気もする。

女性天皇でもよい」…本人の意志はどこに

一方で、女性天皇に7割が賛成という世論調査*6もある。一部の人たちは認めがたいことであろうが、「皇室の男系の伝統」などというものがあるにしても、どうやら世間的にそこまで重視されていない。単純に「“男女差別”は悪い文明」であり「愛子様女性天皇にしてもよい、むしろそうすべきだ」と考える人たちは、この先10年20年と増えこそすれ、減ることはあるまい。

ところで、愛子内親王の母である皇太子妃は外交官のキャリアをなげうって皇室に入った。あまり乗り気でなかったという話も聞く。「皇族の立場からできる外交」もあると、自分に言い聞かせてのことかもしれない。しかし求められたのはおそらくそうではなく、「跡継ぎの立派な男児を産むことが重要なのであり、外交ごっこに熱心になる必要はない。これだから元キャリは困る」――というのが「人格否定発言」ではないだろうか(※筆者の妄想です)。そうして砂を噛むような思いをしてどうにか授かった娘を、天皇なんかにさせたがるだろうか。そして下々から「娘さんを天皇にしてあげます」と言われて喜ぶだろうか*7

そもそも民主国家の「有権者」である我々は、憲法皇室典範でもって「本人」の意向もなにもなしに誰かを天皇にさせたりしているが、それは正しいことなのだろうか。

天皇をも「利用」する社会であるということ

現状最本命である悠仁親王のほうも一筋縄ではいかない。皇太子夫妻に男子が生まれず、(これでいよいよ女性天皇容認の議論も始まる状況かな)と思っていたところへ、秋篠宮夫妻が突然に男子をもうけた思いは知る由もないが、兄夫婦の拾いそこねたバトンをなんとかフォローできてよかったよかっためでたしめでたしでは終わらない。上の娘の「身分不相応」な交際相手へのバッシングが凄まじい(らしい)件がある。秋篠宮妃も反対してるとか言うし……(なんでICUなんかに進学させたんだ、と頭を抱えている人がきっといる)。

なにしろ「天皇の義兄」になるかもしれないのからおおごとになっているのだろう。姉を控えめに擁護した下の娘まで叩く意見もあるとかなんとか。民衆が心に押し隠した見えない身分意識があぶり出されているかのようだ。結局のところ大切なのは、天皇という概念を体現させられている個人個人ではなく、あくまで天皇制という「素晴らしい日本(に住む我々)の伝統」であるといったところか。

皇族というものが、そもそも民主社会とは相容れない旧時代の概念であり、にもかかわらずいまだ命脈を保っている特権的な階級であることに疑問の余地はない。しかし生まれながらにそのような立場に置かれ、教育され、離脱の自由もほとんどないような立場にある人々をその地位に押し止め抑圧しているのは、生じた矛盾に目をそらし解決を先延ばししたこの社会であるともいえる。

できることは少ないが、未来は定まっていない

次代の天皇は、すんなり「生前」退位できるかどうか。カウントダウンはもうすでに始まっているのに、彼らはカードがほとんど与えられていないどころか、そもそもプレイヤー資格すらない人たちなのだ。

おそらく、誰もが認める「後継ぎ」がいた父親とは異なる困難を、彼は自身の努力によって切り開かなければならなくなる。許されぬ恋をして追われた二人が、誰の手も届かない、しかし抜け出すこともできない閉じた世界で幸せに暮らしたあと、残された一人息子はどうすればよいのか、みたいな例えは…ちょっと違うか。

ともあれ、筆者は他人のことより自分のことをどうにかしないといけない身分であるし、偉そうに同情するような立場ではないが、かつて亡き父から皇太子と学習院大のエレベーターで乗り合わせたときの話を聞いたことがあり、その伝聞による印象をまるで自分のもののように感じていなくもない。筆者もちょろい。

誰も彼もが、なにをどうしても、結局なるようにしかならない。なるようになった挙げ句がそんなにひどくないことを祈るばかりである。


おまけ


*1:なお筆者の漢文知識は、はるか昔にセンター試験対策でかじった程度である。対策のおかげで漢文「だけ」は満点を取ったが…

*2:ただし「和をもって貴しとなす」の本来の意味は、「互いに思いやりをもって議論を深め、協調しよう」みたいな意味らしいが。

*3:なぜか早々に名前が上がってきた発案者と目される人が、「令」が「命令」の意味を含むという指摘があることに「文脈が違えばそれぞれ際だった側面が強調される。こじつけだ」という発言をしたという報道もあったが、はたして。

*4:どっちだよ

*5:筆者は「天皇」「皇太子」「秋篠宮」などの称号がすでに敬称であるという立場であるから、このように記述している。とはいえ今の日本ではおそらくそう考えない人のほうが多いと思うので念のため記す。なお、もう少し温和に「今上天皇」と書いてもよかったが、この記事が読まれるとき、すでに「今上」は「徳仁天皇」の方になっていると思うし、まあいいかなと。

*6:時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041200827 簡易魚拓: http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2019041200827&g=soc

*7:…などと考えるのは天皇制に対して冷笑的な著者のバイアスに過ぎず、彼女自身は普通に天皇をキャリアの最高のものと考え、自分を抑圧した千数百年の伝統への歪んだ復讐心によって娘の即位を目標に設定していたりするかもしれないが。