ひとときの休息を得ようというブロガーへ
同じことを考えている人は多いでしょうが、韜晦の権化のように皆を煙にまいていたあなたのこと、これは壮大な冗談なのではないか――と、どうしても思ってしまいます。
そうであればどれほどよいでしょうか。
あなたのブログに対し、大文字の英文*1で嫌がらせのコメントが投稿されたということは、他のユーザーのソーシャルブックマークを通じて知りました。ここしばらく、Webでの活動が鈍っていたのですが、きょう、久々あなたがお書きになったエントリのうち、未読のものに目を通そうとして僕が見たのは、あなたがコメント者とのやりとりの結果、ブログをプライベートモードに設定することにした、という発表でした。そしてその夜のうちに、その通りになってしまったのです。
すぐれたエントリを息を吐くがごとく量産していたあなたを、他のブロガーと一緒になって「追い落としてやろう」などというような失礼な冗談で盛り上がっていたのが、わずかに三ヵ月前。それほどの大事にはならぬであろうと一人勝手な判断をしてしまい、また、横目に見ていた件のコメント者の主張に対し、どのように批判をすべきかということは考えながらも、(当事者以外が騒ぎ立てることで)それがかえって逆効果になるのではないかということをおそれ、けっきょく傍観するかたちになってしまいました。このような結句を聞くことになるとは考えもしませんでしたし、そこまで切迫した事態であったにも関わらず、少しのお力にもなれなかったことはまったく申し訳なく、残念でなりません。
唐辛子を放射状に並べたあなたのプロフィールアイコンを、僕は長らく「シュルレアリスムで表現された太陽」と勘違いしていました*2。いま太陽の翳りを感じているというのは、大げさな物言いでしょうか。それでも僕はいま、喪に服すような気分です。
その一方でこうも思います。人が大切に思う人の死を悲しみ涙するのは、実はその人を失う自らを憐れむゆえ。しかるにあなたのご不在は、ただWeb上でのことに過ぎないのだ――と。あなたとご家族の日常はいままでと変わらず続くことでしょう。それは僕が一方的に感じる寂寥とは無縁の平穏な日々に違いありません。せっかくのメディアを手放さざるを得なくなったことは、もちろんあなたにとっても痛恨の極みとは思いますが、あなたがWebで披露した才能は、あなたのほんの一部を表現したものにすぎないないはず。とりあえず今は、あなたの実生活でのご活躍とご家族のご多幸を祈りつつ、今回の不幸な経緯が「結末」ではなく、それなりに長い人生のひとつの「過程」となることを願ってやみません。
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんは昨日お父さんといっしょにもう外(ほか)へ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです」
「先生飛んで行ったのすか」嘉助がききました。
「いいえ、お父さんが会社から電報で呼ばれたのです。お父さんはもいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが高田さんはやっぱり向こうの学校に入るのだそうです。向うにはお母さんも居られるのですから」
(略)
「そうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな」
嘉助が高く叫びました。宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。
二人はしばらくだまったまま相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。
風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。
「谷川の岸」にあるという学校に通っていた子供たちが大きくなって、そのうちの誰かが、転入してすぐ転出していった同窓生の高田又三郎と再会する――というような未来もあるのではないかと、そんなふうに思います。
もしいつかまたWebに戻られるとすれば、以前と同様、むしろそれ以上にご活躍されるでしょうが――しかしひとまずはしばしの休息を。
cf.
甘えていましたね - とらねこ日誌
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20091104/1257307141