そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

「難民なのにスマホを持ってるのはおかしい」本当に?

前回の中途半端な記事のついでで、今更なのですが掲題の件について書こうと思います。

その前に話の枕をひとつ。

鉄血のオルフェンズ普通に面白いんですけども - はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20151012013518

僕はガンダムシリーズはテレビシリーズ、劇場版、OVAと一通り視聴しているのですが、このガンダムゼノグラシアに関してはまだ見ておりませんので、増田さんの脚本評価については判断しません。まあ脚本家の限界でキャラクターの行動や理路に不自然さが生じるのではないかという問題意識はあります(僕は別にプロの創作者ではありませんけれども)。

「作中で“IQ180の天才”という評価のわりにものすごい頭悪そう」とか「西暦2300年代の未来人のわりに考え方が20世紀人」とか「キラは敵じゃない!」とか「シドニーは夏とか冬とか雪で真っ白とか言う以前に大穴だろ」といったようなキャラクターの造形や言動により、物語への没入感が削がれてしまったことも1ガンダムや2ガンダムではありません。コロニー落としって情報統制されてたんですかね? それこそ隠しおおせるものでもないと思うんですが…*1

そのようなわけで、自分には及びもつかない知見を求めて日々Yahoo!ニュースのコメント欄やアメーバブログのコメント欄や発言小町などを遠巻きに眺めている次第であります。

以上枕終わり。


ここから本題。

Yahoo!ニュースのコメントなどで「難民なのにスマホ?」というようなフレーズを幾度となく目にしました。どうも例のイラストのひねくれた視線のように「よりよい生活を求める怠け者」の象徴に見られているフシがあります。

本来なら、危険を感じて故郷を追われた難民がスマートフォンを持つ「べきではない」などとは、おそらく誰も言わないでしょう。いかにWebが残念と言われるとしても、現に情報収集手段として様々な役に立ってもいるようですし(あとカメラもくっついているのだから写真ぐらい撮ってもいいと思いますね)。

それを、「難民“なのに”スマホ」と。

まず、これってどこかの首相と同じく「難民」と「(経済的苦境からの脱出を目指す)移民」をごっちゃにしているのかなという感じがあります。もし仮にある日 突然この国が人の住めない環境になって我々が漂泊の民族と化したら、大体の人はiPhoneとなけなしの預貯金を手に世界を彷徨することになるんじゃないですかね。

そして今。そもそも難民が経済的に苦境にある人々だったとして、「にもかかわらずスマホは持っている」という場合、それってそれほどおかしいでしょうか。

今の御時世、スマートフォンはそんなに珍しいものでもないでしょう(Apple Watchを付けてたらずいぶん物好きだと思うかもしれませんけど、そうしたウェアラブル機器だって数年後はわかりません)。日本だとスマホ料金が高いし、先日出た新型のiPhoneは10万円を超えるのでクレジットカードの信用調査ではねられる人が…みたいなイメージで話をしているのかなーとも思います。

「生産性以後の経済」 - 七左衛門のメモ帳
(著者:ケヴィン・ケリー 訳:堺屋七左衛門)
http://memo7.sblo.jp/article/62941911.html

上記の記事では、水道・電気・水洗便所がない「にもかかわらず」携帯電話を持ち、太陽光発電で充電し、微博でやりとりをするという中国南部の田舎の話題を取り上げています*2

このようなことは、実は日本でもあります。まさに前回の記事で書いた僕の母方の田舎がそうです。くくりとしては「農村部」などではなく「地方都市」です。スゴイ・シツレイを書くことになりそうなので名指しはしませんが、この町は21世紀にもなって都市ガスと下水道がありません(というか、むしろ東京生まれの東京育ちである僕の認識が誤りだったようなのですが、日本でも都市ガスや下水道がない地域は結構あるんですね)。いやさすがに電気はありますよ。

あのあたりは自民王国とか言われているそうですが、自民党は60年間何をやってたんでしょうか。なければないでなんとかなるから余計なお金はかけないようにした、ということでしょうか。

携帯電話や衛星放送は、インフラとしての水道管・ガス管といった「敷設のコスト」や「維持・管理のコスト」が重くのしかかる「物理的な延長」と違って比較的低廉で導入でき、高い効果が得られるものと想像がつきます。この母の田舎はジャスコどころかコンビニすらありませんが*3、携帯ショップは各社そろっていました。なにをおいても優先されるデバイス。もはやそういうものなのでしょう。


僕が子供のころは、携帯電話というものが(一般的なものでは)ありませんでした。ある年代以上の人は、そのような、ある事柄に対しての“感覚”が一生ついてまわります。「家にカラーテレビがあるなんて?」「学校にエアコンだなんて?」「小中学生に携帯電話を持たせるなんて?」「生活保護世帯なのに高校大学に進学するの?」

いまの自分があたりまえにそれらを享受するようになっても、不便な生活を知っていたり、あるいは登場当初の高価さゆえに指を咥えて見ているだけの状態を強いられたりした経験が、そうさせるのかもしれません。おそらく今の子供であれば「スマートフォンを持った難民」になんら違和感を覚えないのではないかと思うのですが、どうでしょうね。


もう一度考えてみましょう。

「難民がスマートフォンを持っている」

それ本当にそんなにおかしいでしょうか?



※追記:埋め込み動画4分36秒から:「(字幕)難民たちが持つスマートフォンが誤解を生んでいるようだ*4」とある。どうも「難民“なのに”スマホ?」は日本だけでもないらしい…

※追記2:ちなみに、スマートフォンといえば(“発明者”とまでは言えなくても)スティーブ・ジョブズだが、彼の父親はシリアからの留学生であったという(相手=ジョブズの生みの母の父親に結婚を反対され、養子に出されたとか)。


まあ、そんなことを言っておきながら、僕は通話とEメールしか使えない(そしてカメラもない)PHSをずっと使ってるんですけども。



2021年4月、さらに追記:
本稿を書いてはや5年、こんな記事を見かけた。


貧困学生に対して、でもスマホはあるんでしょ?という大人の心理
https://note.com/kusuburuboku/n/n5b14e3a67df0


いつのまにか、
A「難民がスマホ持ってるなんておかしい」から、
B「スマホ持ってるなら貧困ではない」へ…

時は移ろう。

このブログをまともに更新していた2010年ごろから十年(「ひと昔」ってやつだ)を経て、日本もだいぶ落剥ぶりが板についてきたくらいである。

母の田舎には再びコンビニができたし。

PHSが終わってしまったので、僕もスマホを買ったくらいだ(無知ゆえに、直感を信じてゴミのような国産端末を値引きもなしに一括で買ってしまった…)。

万物は流転する。

しかし結局、かつてAを言っていた人が、そのことを忘れてBを言っているんじゃないかって気はするな。

そういう人の心だけが、いつまでたっても変わらない。

*1:この「シドニー」云々の部分に関して、法華狼の日記さんから以下のようなご指摘がありました。 http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20151013/1444745404 この指摘自体は正当なものと思いますし、そうなるとここの話の流れはおかしいということになりますが(この場合、0080の脚本家が悪いのではなく、0080があるのに「コロニーを落とされたのはシドニー」に設定した人が悪い)、文章を書き換えてはいません。0080に対する評価は以下で改めて言及 http://d.hatena.ne.jp/islecape/20151020/gundam

*2:後年追記:そういえば2017〜18年ごろから「リープフロッグ現象」というような言葉を見聞きするようになりました。

*3:正確には、一時期ローソンがありましたが すぐ閉店しました

*4:原文:Also, refugee's traveling with smartphones has led to the misconception that they're not really in need of help.