そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

早々と神を裏切った人間が「この子たちが味わうことになるであろうこの先の苦労を思うと」もなにもないもんだ

才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか - はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

僕自身、絵がうまかったが進路に悩んでいた同級生に、プロになるよう安易に勧めたことがある。別に僕に言われたからそうしたわけではなかろうが、彼はプロになった。しかし現時点で大ブレイクしているわけでもないので、少し良心の呵責を覚えないでもない。

「医者なんて掃いて捨てるほどいるけど、本当に才能のある絵描きは歴史を見ても1000人といない」

あんなことを言って。あれはまったく無責任だった。医者だって貴重だ。


それはともかく、世の中には芸術の女神の衣の裾にも触れることができない絵描き*1がごまんといて、それでも生きている。

親の仕事の関係で、そんな人を何人か見てきた。アルバイトで糊口を凌ぎ、お金をためては海外に行って描いた絵で個展を開く人、安い仕事ばかり請け負い、ペンの使いすぎで手が変形した人、お金を借りに来ては音信不通になり、ほとぼりが覚めたころにまたお金を借りに来る人*2……。

他に才能がなかったから絵でやっていくしかないのか、絵の才能を信じたからこそ他のすべてを断ち切ったのか――いずれにせよ、彼らには絵しかないのだ。そんな人たちが「裾野」として現実に存在している。資本のスポンサードなんて時の運だ。歳を取れば取るほど望み薄になっていくのはどの業界も同じだろうが。

教える側になるとはっきり分かる。美術だの音楽だのは所詮センスの世界なので、高校生ぐらいになると絵心のあるなしは分かってしまう。負け組のお前にその子に眠る才能が見抜けるのかと問われれば、自信を持って出来ると答えられる。週数時間の授業でも3年間のうのうと眠っていられる才能は、ないのと同じだ。真摯に向き合う気がないからだ。

確かに、この人にはある種の責任感があるのだろうとは思う。そりゃきっとどうしようもないような教え子だっているのだろう。しかしそんなに心配なら憎まれたって押しとどめればいいものを、「レベルの高い画塾にブチこんで入試前に自分で目を覚まして諦めてもらう」とは。

僕はこの人が愚痴を――しかも匿名で――こぼすことがどうしても許せない。「裾野」にもならなかった人間が「飯ぐらいは食えそう」などと、それで自分を慰めているのか。呑気に酒なんか飲みやがって。

僕もいつかこうなるのか。

疲れた
そして、ひとりきりだ。
疲れはてて、
気が滅入るほどだ。
岩間には
雪解け水がたばしる。
指はしびれ、
膝がふるえる。
いまこそ、
いまこそ、手を緩めてはならぬ。


他の人たちの行く路には
陽のあたる
休み場所があって、
そこで仲間どうし出会う。
だが、ここが
お前の道なのだ。
そして、いまこそ、
いまこそ裏切ってはならぬ。


すすり泣け。
できるものなら
すすり泣け。
だが、苦情は洩らすな。
道がお前を選んでくれたのだ   
ありがたく思うがよい。

ダグ・ハマーショルド 1961年7月6日*3

※コメントいただいてます → http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090409/p1#c


※追記

基本的に「タイトルがすべて」なのですが、考えをまるでまとめないうちに書いたエントリなので、いつもよりよけいに読みにくくなっております。お二方からコメントをいただいたことで考えも少しはまとまったような気が……気のせいかな。

医師が職業人としてヒポクラテスの誓い*4をするのとは違い、芸術家は「人と神のあいだに立つ美の媒介者」を志した時点で自動的に芸術の女神*5と契約することになる――というのが(ややお花畑な)僕の考え方なので*6、あのようなタイトルになったわけですが、ちょっとわかりづらかったでしょうか。

「お金のために仕事をする*7」のは、芸術家からすれば心にやましさを感じるべきこと、というような感覚といいましょうか(食べなければ人間やっていけないので、「それをしてはいけない」ということではありません。しかし、その「やましさ」を心に抱え込んでなお耐えるのが芸術家なのではないかと)。芸術で食べていけないから教師になったというのは、自嘲にこそなれ、あんなふうに「駄目な生徒」を見下したような文章を書くためのネタにはできないと思うのです。ひとたび芸術を志した人なら。

件の記事には「真っ当なことを言っている」「芸術で食っていける人間なんて少数」というような擁護や、「こんなやつに芸術がわかるか」「真の芸術家は誰に反対されてもあきらめない」というような反発がありますが、僕自身はこういう「当たり前すぎる意見」はまったく念頭にありませんでした。

匿名さんが美大時代のあと芸術家としてどのような活動をしているかはわかりませんが、自分を挫折した「芸術家」としてカウントするのなら、あのような文章を書いてはならないと、ただそう思ったのです。「僕もいつかこうなるのか」と最後に付け足したのは、もし僕が同じようなことをしたとすれば、それは僕自身が、生涯をかけて絵に打ち込んだ人々を侮ることと同義である――というふうに未来の自分を戒めるためかもしれません*8

*1:「ベーマンは芸術の落伍者だった。彼は四十年ものあいだ絵筆を振り回し続けて、芸術の女神の衣の裾にさえ触れることができなかった」"The Last Leaf" by O. Henry

*2:絵は関係ないか

*3:道しるべ 鵜飼信成訳、1974年4月20日第11刷194-195頁より引用

*4:cf. Wikipedia:ヒポクラテスの誓い

*5:id:Brittyさんへのコメントでは「ミューズ」(もちろん薬用石鹸ではありません。文芸を司るギリシャ神話の九女神)と書きましたが、よくよく調べてみると、彼女たちは「文芸担当」で「美術」は専門外みたい……

*6:哲学者なんかもそうだと思っています。

*7:売れる芸風に変える、とか。

*8:コメント欄でnvsさんが「よくある「上手い事言ったつもり」みたいな」とおっしゃってますけど、僕もそういうことやらかしかねないんですよねー……