そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

この社会が発する言葉に、われわれはなにを込めるのか

(Webで公開するにあたっての注記:原発に関しても中国に関してもまだ事態は収束していないので、特に個別具体的な批判にはしていない。このダイアリーの記事はどれもわりとそうだが、今回は特に覚書の側面の強い、この社会に対する個人的な印象論である)

追記9/23:この記事を書いたあとでは、「よろしい、ならば戦争だ」「非常事態に備えて防衛力が必要だ」みたいな記事のほうが勢いを増したような感じもあり、なんだかこの記事が説得力を失ってしまったような気もする*1。「遠くの"アラブの春"のときはソーシャルメディアを礼賛していた人が、自分に火の粉が掛かりそうな隣国の件に関しては"なんで中国政府は早く微博を規制しないんだ"というようなことを言ってる」といったブログ記事かツイートがあったのをちらと見た。いかにもありそうなことだっていうか、本記事より、そちらの書き込みのほうが今回の事態を簡潔に言い表しているようにも思う(これについては出先で見たのでURL保存しそこねてしまった)。

その冬、偶然、私が目撃した事件にあっては、当事者は事件の発生した直後、ことの次第に驚くというのでもなく、成り行きを見詰めながら、ただ呆然と、声を荒げる事もしないで、息を漏らすような、言葉にならない声を発したのだった。
「あ。あーあ。あ、あ、あ。あー、あー、あー、あー、あー」
私は見たのだった。石油ストーブに、俗に言う〈石油ポンプ〉を使って灯油を注いでいるうち、うっかり、給油の限度を忘れ、注ぎ口から灯油が溢れているにも拘らず、なすすべなく「あー、あー、あー、あー、あー」と声を上げたまま、呆然としているその人の姿だ。
この事件にどのような言葉で形を与えたらいいのか私は迷うが、「石油ポンプ灯油流出事件」と称するのが最もふさわしいのではないか。

宮沢章夫牛への道 (新潮文庫)*2より、「あーあー、言う」

この事件を「石油ポンプ灯油流出事件」とし、石油ストーブとしなかったのは、事件の中心にあるのはどうも〈石油ポンプ〉ではないかと考えられるからだ。〈石油ポンプ〉は確かに便利だ。都知事選に立候補し一躍脚光を浴びた発明王中松義郎氏の手になる画期的な発明だ*3。しかしその便利が引き起こした悲劇がここに発生した。
私たちはこの事件から、「便利」についての、その陥穽の教訓を知るべきなのだろうか。いやそうではないだろう。私たちが知ったのは、事態に直面した者による、「あー、あー」という姿ほど、ばかに見えることはないという虚ろな事実だ。

前掲書51頁

国の財政状況がものすごーくひどい(らしい)のに、さまざまな利害関係に阻まれて手をつけられず、債務が雪だるま式に増えていく、というような状況を思うとき、このシチュエーションは実にしっくりくる。

そういう話は他にもあって、「ねえ、これ危ないんじゃないの」というようなことを皆が薄々と思いつつ、結局なにもせず、その時になって「あ、あー、あー、あー」とお見合いしてしまうようなことは、わりとあるのではないだろうか。石油ポンプに限らず、転がってテーブルから落ちそうなコップとか、原発とか。



昨年の三月には少なからぬ人(Webで知名度や影響力のある人と限らない)が、確たる証拠もなく、自分の知見も十分でないような(そうであれば広く世間に喧伝する必要もないであろう)事柄についてあれこれWeb上で発表していたように記憶している。

しかもそのあと、それがどうやら誤りであった、ということになってもほとんどの人がうやむやにしてそれっきりにしていたように思われる(僕自身、余計なことは言わないようにWebから遠ざかった。「これはメルトダウンするかもね」くらいのことを言えたとして、いったいそれが何になるだろう? 一方それによって自身の情報取得もかなり減じたため、あの当時大騒ぎしていた人たちのその後の行動をフォローしきれていないのだけれども)。

これは、その当時もっとも個人メディアとして普及していたTwitterの「思いついたことを一呼吸置く間も与えず即座に(かつ断片的に)投稿できて、あとはまあ忘れてもいいや、忘れましょう、忘れてください」的な特性によるところがかなり大きかったのだろうが、結局ああした行為は自身の内面の不安を適当に飾り付けて披瀝することで他者の共感を誘い、肯定してもらい、それでもって内心の安堵を得ようとした――といった類の自己中心的な作業にすぎなかったのではないか、などと僕は邪推している。これは流言などの観点から見ても、「事態に直面した者」による「あー、あー」にとどまらない(余計な)ふるまいである*4



インターネットに入り浸るようになってだいぶあと、この国でまだ相当な差別感情の発露のあることを知った(僕の育ちがよいためか話には聞いていたが、実際に見聞きしたことはなかった)。受け皿になっていたのは主に匿名掲示板、その他ウェブサイトやブログ、ニュースサイトの感想欄、あるいは被差別者が主張するブログのコメント欄……。そうした主張――それも、かなりの攻撃性を帯びたもの――に対する批判は少なくなかったが、多いとも言えなかった。この社会とはそんなところである、というのが一市民としての僕の認識である*5

日常にはびこる差別言論へのカウンターは稀のように思えるこの社会で、今回の中国の激烈な反応に対しては、機先を制するかのように「抑制的な対応を」という主張がマスメディア、個人メディア問わずここぞとばかり出て来たので、どうもそれが引っかかった*6

たとえば今回の中国との件に先立って、韓国大統領の、韓国が自国領と主張し実効支配している島への上陸や、天皇に対する謝罪要求では、日本側から頭に血が上ったような反応があった。差別意識をにじませたような主張もぽんぽん出たようで、「国交断絶だ、在日韓国人を追い出せ、戦争だ」と息巻いていたらしい(もちろん、一部の人だろう)。どういうわけかそんな日本が間を置かずに韓国の後追いをして、同じ領土問題で日本の立場を逆転させたわけだが、それで中国(の、やはりおそらく一部の人。人口が人口なので数は多いかもしれないけど)から、近年はおとなしく首相官邸を取り囲む程度のデモしか知らない日本人には想像もつかないほどの激烈な反応が「国交断絶だ、在中日本人を追い出せ、戦争だ」という荒い鼻息とともに届く。ほどなくしてRSSリーダーその他から「戦争は避けなければならない。日本は抑制的な反応をすべき」みたいな言葉がどんどん流れてくる*7。これはどうしたことか。

そりゃあ、サッカーがきっかけで戦争になっちゃったり、世の中なにが起きるかわからないですから、あんな大陸的大破壊行為を見せられて「つ、つ、次は戦争か」などと内心で思ってしまったりすることを止められないというのは、まあ、仕方ないですよ。実際のところ「決して起きない」と断言はできないわけで。抑制的にするのもたいへん結構ですよ、罵りあったって事態は解決しないでしょうし。*8

自分の国からそうした言動が隣国に飛んだときはとくに無関心だった(と思われる)のを、格差が激しいとはいえ経済で日本を抜き去り(つつあり)、それでいて軍事予算なんか一向に減る様子のない隣の超大国が自分たちに同じことをしてきたとたん、社会に存在する様々な差別や抑圧や不公正にさほどの関心を寄せなかった*9のに、この件に関してだけは素早く「ここは自重しなければならない、在日中国人には親切に」みたいな主張が主流としてわんさか出てくるのを遠目に眺めていると、けっきょくこの関心の高まり自体が社会による「強いものにへつらおう、弱いものはいたぶろう」という表明にしかなってないんじゃないかなあ、というようなことを思ってしまうのである*10 *11


「事態に直面した者」の言葉は、真にその人を表す(「事態に直面したと錯覚した者」も同じ)。

この社会が発する「言葉」に、われわれはなにを込めるのか。

われわれがなにを込めたのか。




関連するようなしないような記事:
「メディア」であるということ http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110320/media

*1:もともとなかったとか言わない。

*2:平成十二年五月二十五日四刷、49頁

*3:引用者注:Wikipediaには以下のようにある。「『石油ポンプはドクター中松の発明品で、正式名称は"醤油ちゅるちゅる"という』と言われることがある。しかし、サイフォンにスポイトを付けるというアイディア自体は特許明細書13297号(1907年)で既に特許になっている上、現在使われている石油ポンプの構造と中松の考案した構造(実用新案公告昭24-6552)は全く異なるものである」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 2012年9月20日取得

*4:これに比べれば「あー、あー」のほうがまだマシとさえ言える。

*5:もちろんこれに関しては、僕も無責任ではない。

*6:もちろん僕だって同じことをやり返せなどというつもりはないが、この件に関して「もっと冷静になろう」みたいなことをメインに主張する気も起きず、今回の文章を書いている。

*7:これは調べてないが、もちろん韓国でも「対日戦争」をいう声はあったのではないかと思うし、いま日本でも対中開戦を言っている人も3.14人くらいはいるだろう。今回は個人的な印象を書いているので、目に入ってこないものについては予想するにとどめ、触れない。

*8:これは軽口で書いているのだが、なんか本気で心配している人がいるようなので削除。

*9:それどころか、「表現することそれ自体は自由であり、いかなる表現も規制されてはならない」とか、主張しているような人も?

*10:冒頭で追記

*11:まわりまわって、戦後数十年来のそうしたふるまいが日中韓あたりの関係に少なからぬ影を落としているのではないかとも。