そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

「決して報われることのない、国家への限りない愛のあかし」

酔った父は、学生のころ機動隊との衝突で受けた傷をそう呼んでいた。

(※後日一部補筆)

function

いま一部でちょっとした話題になっている「反日上等」という言葉から(「反日」という一方的なレッテル張りを無化する意志の現れと同時に)、「日本への愛」を素直に表明することのできない人のもどかしさを感じてしまう。母国の現状に対して、そう言わざるを得ない心情というか。一方で、ふだん「この国を愛する」と言っている人だって、日本のありようにまったく不満がないわけでもあるまい。各々に理想があり、互いに綱引きをしてけっきょく報われることはない。

僕自身は、国家というシステムを「好き」「嫌い」という言葉で表現する、ロマンチシズムのような過度の思い入れに幾分の懸念を覚える。自らの理想を現実に無理に投影するあまり、互いに感情が先走る結果に終わらないか、と。個人的には「国は妥当に機能しているか、そうでないか」程度に見ている。

faction

反・排外主義のデモで、日の丸が排泄物で表現されたり(未見)、「反日上等」という主張「も」なされたことに対し、「やめて欲しい、そういうのを嫌悪する偉い人がいて、苦境にある人にしわ寄せが来るおそれがある」と外国人問題の実務に携わる人が苦情を述べ、そこからいろいろ悶着したらしい*1

確かに実務家がそう言うのもむべなるかなとは思う。卒業式もまだ半年先というのに「日の丸や君が代に敬意を払えない教師は辞めるべき」みたいなことを言ったどこぞの知事がいて、それを当然の認識とする人がけっこう多いらしい世の中。

それゆえ実務家の側に立ち、「足を引っ張る人*2」を批判する立場の人が出てくる。ただ、その「足を引っ張る人」への批判が、実務家に寄り添うものというより、「日の丸を汚す人」に対する攻撃をしたいためにこれ幸いとしているんじゃないかなーとも思われるフシがあって、そのあたりも話題になったようだ。

僕は日本人として「反日上等」というキーワードをまるで問題視していない(まさか、「問題視していない」から「あっち側の人間」なんて言われたりしないだろうな*3)。戦略的に問題になることもあるという言い分があるとすれば、それはそれで尊重するべきと思うが、過剰な自主規制を求める風潮には異を唱えたい。「反日上等」は、ちょっと口を開けば「反日」と罵倒してくる人たちに対するカウンターのひとつである(あくまでも「ひとつ」)。そのやりかたの巧拙について意見があるとしても、多くの人が「反・排外」という大目的では一致できるはずなので、とりあえず差異から始めるんじゃなく、同意できる部分から意見を摺り合わせていくのがいいんじゃないかなーと。

(そもそも僕は日の丸を汚した人が身近にいるからといって、それで実務に差し障りが出てしまうような社会であることのほうが問題だと思っているので、僕が批判するとしたら「そういうのを嫌悪する偉い人」や、そういう偉い人を公然とまたは暗黙のうちに支持する空気なのだが、現時点ではパス。「異を唱えたい」とは書いたけど、ここで僕がカッとなって皮肉まじりのIDコールを飛ばしまくったりすると、紛糾を通り越して大破局に至るおそれがあるような気がしないでもないので、今のところ静観している)

flagellation

「排泄物で日の丸」問題についてはどこかで述べたような気もするし、繰り返しになるかもしれないが、あの旗は少なくとも鎌倉時代から朝廷を表すものとして、また秀吉の朝鮮出兵から国を表すものとして使われてきたという*4。それほどまでに支配者とその体制の象徴であった。日の丸を愛するのは個人の自由だが、その愛が過度になりがちな人は、この旗が抑圧された人やそういう人に共感する人から敵意と反発を受けることくらい織り込むべきだろう。*5

自分の愛するものを批判されて良い気分でいられないという感覚そのものは仕方ない。そういうことはどこでも同じである*6。しかし、かつて人々を抑圧した存在の象徴であった旗をあえてなお使い続けるというなら、押し寄せてくる過去を受け止めるだけの度量が必要なのではないかと思う。

*1:ちょっと追いかけてなかったのでよくわからないが、実務家がアカウントを削除してしまい、それが左派の内輪もめみたいに語られているようだ

*2:実際に引っ張っているかどうかはともかく。

*3:そして、もしそう言われるとすれば、それこそ「上等」ということになるのだけど。

*4:手元の書籍による。

*5:保守からすると、リベラルの立場から日の丸を批判する人間は、日本人としての自分の責任から逃れたメタな立場にいるからずるい、みたいな反発もあるような気はする。その立場性の違いを保持しつつ、双方が等しく責任を引き受けるための方策も考えなければならないだろう。ある意味「保守を批判するリベラル」「保守を批判するリベラルを批判する保守」「保守を批判するリベラルを批判する保守を批判する……」というふうな光景は、この問題に深い関心を持たない人からは、自分をメタ化しようという心情の現れに見えてしまうかもしれない。

*6:先住民を押しのけ、奴隷を酷使し、世界中で戦争しまくりのアメリカで星条旗を燃やせば、やはりただでは済むまい。