そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

朝日新聞がかつての報道の訂正を行ったのを見るや

まるで、それによって今まで言われてきた大日本帝国の行為がそもそもすべて事実無根であり、今こそ貶められてきた日本の名誉を晴らさん!立てよ国民!と言わんばかりの人たちがあまりに目立つ(――"多い"かどうかは知らない)ので、あきれてものが言えない。そういうわけなので、個人的にあきれたということだけは書いておこうと思う。この八月の暑い盛りに。

なにしろ首相も与党も、ついでにあの大阪市長もそれに乗っかてくる始末である。じゃあこの人たちはいったい今まで手をこまぬいて何をしてきたのだろう。なんかよく「毅然」とものを言おうとしては腰を砕けさせていた印象があるのじゃが(だいたい「朝日新聞のせいで国際的に日本の評判が落ちた」などというが、どう考えてもそうではない)。

それにしても、例えば独裁的とされるような国家が、ものすごい論理展開で自国の正しさを喧伝し、他国の主張などはまるで意に介さないということが、この国ではよくあげつらわれているが、自由で民主的な(はずの)国家の政権と市民がこれなのだから、よりたちが悪い。

自国の「不名誉」それ自体を「なかったこと」にできるなら、なにをどうしてもそうしたいと考えてしまう人というのは、はたしてどれほどいるのだろうか(もちろんここでいう「不名誉」というのは、「口先では"アジアの開放"とかそんなようなことを言いつつ帝国主義に走り、他国民も自国民もたくさん死なせ、そのあげく完膚なきまでに叩きのめされ、にもかかわらずなんかうまいこと戦勝国の庇護を受けつつ、かつての"臣民"は切り捨て、自国の中でも弱い立場にあるものにいろいろ押し付けて、そして過去の行為にはまるで目を向けない」ということを指しているのではない)。

ある人によれば、なんでも「日本人は終わりのない謝罪と、永遠に向けられる憎しみにうんざりしている」らしいのだが、そもそも「いつまで謝ればいいのだ」とか言っちゃう人が、本当に心を痛め、詫びる気持ちを表出したことがあるのか疑わしい。日本人個々人で見ると、自ら「謝罪」したという人は、たぶんあまりいないのではないか(「偉い人が謝罪したんでしょ、じゃあ終わり」的な)。しかしそうやって「偉い人」が謝罪めいたことを述べた後、必ずそれを台無しにする発言が周辺から出てきたりするのは、要するに「偉い人が謝罪するのを見るのさえ嫌」ということの現れではないか。

それで、こういう考えが多数あれば「すべてが朝日新聞のせいだ」と声を大にする人たちに引きずられる人が一定以上出てくることになりうるし、はたしてそれに朝日新聞は耐えられるのだろうか、という感じもある(たぶんかつての毎日新聞の海外向け報道よりはるかにおおごととみなされている)。これもまた戦争責任をうやむやに済ませたままにしておいたために遅れてやってきた試練なのかもしれん。洒落じゃないよ。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

ところで余計なお世話だとは思うんですが、この件で朝日を揶揄して「サンゴ礁…」とか皮肉を言う人も見かけたけど、それよりは「暁に祈る…」とでも言ったほうが通っぽくないかな、って。


あきれてものが言えないわりにはよく書きましたね。