そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

俺たちこそが力なんだよ――はるかアラスカ最底辺から

子供のころのある日、家に帰りつくと大いびきが聞こえてきた。もっとも、父がフリーランスだった僕にとっては普通のこと。なるべく邪魔しないように、一人でおとなしくおやつを食べていた。

しかし、しばらくすると玄関ドアの開く音がする。なんと父が帰ってきたではないか。じゃ、じゃあ、さっきのいびき声は、ま、ま、ま、まさか泥棒――? 血の気の多い父と鉢合わせしたら(泥棒が)殺されてしまう! ど、どうすれば穏便にことが済むだろう!? とり――とりあえず包丁を隠さないと!!


……


動揺のあまり我ながら発想がかなり飛躍しているが、なにしろ子供だから仕方ない。包丁を隠しながら、「1 しょうたいふめいのそんざい*1 (0)」を父にどう説明すればいいか考えあぐねる僕の苦労など知るよしもなく、彫りの深い顔立ちの若い男性がひょっこり出てきて、父と普通に言葉を交わした。その人は泥棒ではなかった。そのころちょうど住むところがなかったため、超狭い我が家に泊まっていたのだ。原稿を書きながら。

それからまもなく出版されたのが、

アラスカ最底辺

アラスカ最底辺

僕が唯一持っている著者献呈本。ふざけて僕の名前の下に「先生」などと書いてある。


アメリカ合*2アラスカ州アンカレッジ市にある同州最大のホームレス施設「ブラザー・フランシス・シェルター」*3 *4

おれはニューヨークの地下鉄の駅でもよく寝てたし、他でもいろんなシェルターを見てきたよ。でもよ、こんなシェルターはなかったね。毎日いられるなんてさ。ロウアー48*5 *6じゃ滞在日数が限られてるんだよ。三日だけとかね。でもここはちがう。ここはいくらでもいられる」

ネイティブ・ピープル*7 *8、あいつらがいなきゃ、ここは存在してないね」

序章(10頁)

1986年、渡米し放浪生活を送っていた著者は、アンカレッジで当然のようにこのシェルターに辿り着き、二度のアラスカ訪問で計七ヵ月のあいだ滞在したという。本書は、このシェルターと、その隣にある食料配給所(スープ・キッチン)「ビーンズ・カフェ」を生活の中心に暮らす人々の記録である。


なにしろ「寒ーい」ではすまないアラスカなので、経済的苦境にある人がこぞって凍死したら一大事……ということなのだろうが、当時のアンカレッジ人口におけるネイティブ比率は6%ほどにも関わらず、シェルターに出入りするネイティブは50%以上(あるいはもっと)だったとか。「彼らの土地」で、シェルターがネイティブ・ピープルの「ためにある」というような状況があるとすれば、そのこと自体が大変な問題だ。しかしその構造的問題はとりあえずさておく。

人は衣食住のうち、住を完全に切り捨て、衣もほとんど切り捨て、だがしかし食をなおざりにすることは決してできない。ホームレスの話をするのに食事は外せない*9。さすがに世界一の大国アメリカ、ということもあるだろうが、配給される食事は鮮度に相当難のある廃棄処分品とはいえなかなかに豪勢なもので、これで飢えることはないだろう。

しかし――

 途中、カロが話しかけてきた。
「けっこう距離があるな、まだ先かな?」
「あと五分くらいだよ」
「そうか、……あの、実はさ、俺、ぜんぜん金を持ってないんだ。今日の分もらったときに返すから、貸してくんないかな」彼は恥ずかしげに言った。
 わたしは昨日の日当から一〇ドルを抜き出して、これで足りるだろうと、カロに手渡した。するとそれまでふさぎぎみだったカロは、嬉しそうに顔をほころばせ、足取り軽く歩き出した。まるでそのことを朝からずっと心配していて、それからやっと解放されたかのように。

自由を求めて(100-101頁)

 それにしても、カロが六・二ドル分も食べてしまうことに、わたしは正直驚かされた。カロは、金を節約することなどまったく考えていなかった。チキンバーガーの代わりにハンバーガーを食べ、オニオンリングの代わりにポテトフライを頼んで五ドル以内に納め、その差額でタバコを買おう、などといった考えは、カロにはまるでなかったのである。カロには値段はまるで関係ないものだった。どうせ働いた後で金はもらうんだし、とにかく今手元には一〇ドルあるし。
 カロにとって、チキンバーガー、オニオンリングコーラの大サイズは、自分の意志そのものだった。カロはそれらのものが欲しかった。少し安いものではなく、チキンバーガーが食べたかった。そして彼は今、自分の意志で、それらのものを手に入れたのだ。シェルターではいつでも薄っぺらの紙皿に載ったどこからかの余りものを食べさせられ、ビーンズ・カフェでは、金属の皿に盛られた、これも古くなったものを食べさせられた。それらは、いずれも食べさせられるもので、食べたいものでもなければ自分の意志で選んだものでもなかった。それが今は、金を使うことによって、パンにカビが生えているかどうかなど気を使うこともないし、飲物が大丈夫かどうかと舌で毒味することもなくなった。目の前にあるのは、切り刻まれた光るように新鮮なキャベツと、みずみずしいピクルスと、揚げたての鶏肉のはさまった、安心して食べられる大好物のチキンバーガーなのである。そしてそれらは、まぎれもなく自分の意志で選んだものなのだ。

自由を求めて(101-102頁)

企業名はないが、メニューやのちのエピソードなどからも察するにおそらくマクドナルドであろう。「スローフード」に手の出すゆとりのない貧困層が依存し、それによって肥満し、疾病リスクすら押し上げることがあるというファストフードの世界企業。労働環境の悪さなども漏れ伝わり、なにかと批判されることもある一大資本だが、その生産物がここではなんと魅力的に描かれていることか。五十ドルの食事ではない。たった五ドルかそこらのメニューだというのに。

翻って日本では不況への対処として「生活防衛」というようなことが言われだして久しい。そうして日々の食費を切り詰める人は、このネイティブの行為をどう見るだろうか(ちなみに著者はタバコを買うためか四・三ドルに抑えたと書いている)。いったいそれは何のための「切り詰め」なのか? 家のローン? 子供の教育費? 漠然とした将来への不安?

節約するのはよい。しかしその艱難辛苦は、自分と周辺ごく狭い範囲しか救わない(あるいは救われることすらないかも)。その行為が、節約に節約を重ね内心で苦しむ人々を圧迫する「そのもの」を告発することはない。

ゴメスがホロ酔い気分でこう言ったことがあった。
「俺はこの国じゃ、金を持った時に自由を味わうんだ、おかしいかい、悪ぃかい? 金がないと自由じゃないんなら、いったいそりゃ自由と言えるのかな」

自由を求めて(107頁)

期間工が刹那的な浪費をすることをもって「堪え性がない」などという人がある。その批判はやや一方的/一面的にすぎないかと思う。消費万能の世の中で、消費に追い立てられ、また消費の娯楽性に魅惑されてしまうのは、はたして個人の問題なのか(言及先は「だからこそ教育が大事だ」と書いてあるけれども)。また、この時世に、将来を見据えての行動ができていなかったゆえ「切り捨てられても自己責任、そうなる前に資格を取るなりすればよかった」という人もあった。意見そのものが誤謬とまではいわない。しかし、現代社会はもはや個人の能力を超越して混迷しているではないか。現代は、厚生労働白書が「かつてないほど自立困難な時代」というくらいなのだ*10

 ある夜ドームで、ムーアは仲間に自分の苦しみを打ち明けた。まだそれほどマットは人で埋まっていない時だった。
「なぁ、俺、ジェイルのほうがいいと思うんだ。ジェイルに入りたいよ」
「何だって?」男は初めは半ば聞いていなかった。しかし重要な話だということだけは感じたらしく、今度は慎重に耳を傾けた。ムーアは続けた。
「ジェイルの方がいい。誰か撃ち殺して入るんだ。そしたらずっと、ジェイルにいられるだろう?」ムーアがこう言うと、男はムーアが真剣にそう言っていることは理解しつつ、それでも思わず、「冗談だろう、冗談言うなよ」と答えた。
「本気だよ。ジェイルの方がここよりいい。誰か撃って、死ぬまで入ってるんだ」
(略)
 むろん、日々の生活が苦しくて、もう一日も耐えるに忍びなかったから、そんなことを言ったというのはたしかである。が、同時に、彼は金が決して自分を救ってはくれないことを知っていたのではないか。金を使う時の彼を見ていて、わたしはそういう気がした。彼が飲み歩く時、心の底から楽しんではいないような感じがいつもしていた。偽りの自由だとわかっていて、わざとそれを享受しているようだった。

ムーア(221-222頁、223頁)

著者は滞在七ヵ月で彼らを置き去りに、日本へと帰国する*11。彼にはそれができる。しかし、ならば帰りついた先、日本はどういう国か。

この本が出版されたのち、(僕自身は感じたことすらない)バブル景気がはじけ、長い経済停滞期を経て始まった口先だけのような「いざなぎ越え」の長い景気回復期もアメリカ金融市場の大コケにつられてはかなく終わり、いまや吹雪のアラスカみたいな厳冬期である。子供のころには見たこともなかったホームレスの姿を、街で駅でそこここで毎日のように見かけるようになった*12。毎年三万人もの人間が自分で死ぬ。戦争でもないのに(――あるいはこれは戦争なのか?)。さらには「未来の展望がない」「どこにも逃げられない閉息感」というような理由による自暴自棄の犯罪が、ここ数年いくたびも報じられ――そんな重苦しい空気を感じるにつけ、小学生の時に読んだこの本を思いだす。今のこの我慢比べみたいなご時世で「自分はまだ大丈夫」と強がることは、果たして正しいことなのか。

ネイティブが「食わせてもらっているから」と、配給者側が強制する掃除等の奉仕活動――「ボランティアーズ・バイ・フォース(Volunteers by force)」などと揶揄される――を当然視しがちなところに、前出のメキシコ人ゴメスが言う。

「まったく、あいつらメシを出すのが仕事だってーのによ。早く出せってんだよ。何考えてるんだ? メシ出さなきゃ、寄付金なんかもう集まらないよ。仕事しないやつらに寄付するバカがどこにいる? 寄付金が来なけりゃ俺たちはもちろん、あいつら(スタッフ連中)だって仕事なくして外に出なきゃならないじゃないか。俺たちがいるから、あいつらは車に乗ってるんだぜ。……あいつらが力じゃないんだ。俺たちが力なんだよ。
 それをあいつら逆に考えてやがる。皿洗いをタダでやれって? バカなこというなよ。時給五ドル払えばことはすむんだ。……そしたら予約まで出ちまうよ。……あいつらは俺たちによくしなきゃダメだ。ここが潰れちまったらどうなる? 盗むさ、みんなよ。店ぶっ壊してさ。そしたらみんなジェイル行きだ。ジェイルの方が(経費が)より高くつく。だからシェルターやビーンズがあるんじゃないか」

俺たちこそが力なんだよ(76-77頁)

なんというラテン的感性。しかしこれ、「そんなことではモラルが保てない」などと一蹴されなければならないほどの独善的思考だろうか*13

想像を超えた苦境にある彼らが聞けば「なにを贅沢な」と怒るだろうが――その懊悩はけっきょく我々も同じような気がする。


いったい我々は自由なのか。

もし「自由である」と言えるとして――では、何から?

*1:不確定名は:man in blanket ――すごくどうでもいいけど、「不確定名」のはてなキーワード項目があるなんてびっくりだよ!

*2:「『合衆国』は"United States"の訳語として厳密には正しくないし、そもそも『いかにも大衆が調和して暮している』みたいなこの呼称は現実と乖離している」ということで、使いたがらない人がいる。この本もそう。詳しくは本多勝一アメリカ合州国 (朝日文庫)』あとがき(287-288頁)参照。 cf. Wikipedia:アメリカ合州国 & Wikipedia:合衆国

*3:原注:Brother Francis Shelter 経営はアンカレッジ大司教管区、カソリック・ソシアル・サービスにより、個人基金を財源としている。政府と直接に関係はないが、政府の意向なしにこういった施設が存在し得ないのも事実である。(10頁)

*4:id:islecape注:cf. http://www.cssalaska.org/brother_francis.php 後述のビーンズカフェ http://www.beanscafe.org/ 同様、現在も存続しているようだ。言及書では否定的に取り上げられているが、この本で描かれるエピソードは20年も前の話であり、また著者の「一方的な」意見でもある。現場には現場の苦労もあると思うので、ここでこれらの組織についての見解は述べない。

*5:原注:Lower48 アラスカにいる人間は、アラスカ州ハワイ州を除く全州を、地理上、下に位置することから、こう呼ぶ。(10頁)

*6:id:islecape注:cf. http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/staff/hokubei/h_44.html

*7:原文傍点

*8:アラスカ先住民諸請求権解決法(ANCSA=Alaska Native Claims Settlement Act)3条(b)における「ネイティブ」の定義(Definitions)は以下の通り。(1):アラスカ・インディアン(メトラカトラ・インディアン・コミュニティに属さないチムシアン・インディアンを含む)、アラスカ・エスキモー(InnuitやYupikなど)、アリュート(Unangax)、または前三者いずれかの混血、またはこれらの血を四分の一以上受け継ぐ合衆国市民。(2):(1)の規定を満たしている場合、養子関係によって、片親あるいは両親がネイティブではない場合も、その人をネイティブと認定する。(3):(1)の規定を満たさない場合でも、合衆国市民であるその人の所属するNative villageまたはNative groupがその人をアラスカネイティブであると認定し、さらにその人の父か母がアラスカネイティブであること(あったこと)をいずれかのNative villageまたはNative groupが認定すれば、ANCSAもその人をネイティブと認定する。なお、Native village/Native groupはANCSA3条(c)および(d)で定義される先住民コミュニティのこと。cf. http://www.lbblawyers.com/1602.htm

*9:このエントリでは触れないが、アルコールとタバコも同様。言及書にはそれらについても様々の興味深いエピソードがある。

*10:そのわりに大臣は「派遣村は怠け者の巣窟」とか「いや間違えた生活保護を受給している母子家庭の方が怠けてる」とか、なにやら足元もおぼつかぬご様子。

*11:そして十年後にアフガニスタンタリバンにとっ捕まったりするのだが、それはさておき。

*12:気づかなかっただけだろうか……? cf. 個人的な体験 - The cape of island宵闇 - The cape of island

*13:というか「五ドル」というのがじつに慎ましやかだ。