そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

日本人に生まれるという特権(という幻想)

好き友よ、アテナイ人でありながら、最も偉大にしてかつその知恵と偉力との故にその名最も高き市の民でありながら、出来得る限り多量の蓄財や、また、名聞や栄誉のことのみを念じて、かえって知見や真理やまた自分の霊魂を出来得る限り善くすることなどについては、少しも気にかけず、心を用いもせぬことを、君は恥辱と思わないのか


id:KoshianXさんはバンコクにおられるそうだ。しかもなんですと、数年ほど滞在する?

バンコクで「物価」の意味を知る - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090225/1235533708

「日本の消費者は世界一うるさい」などと言われる。その「うるささ」が、オーバースペックを生み、ものづくりの分野ではある意味それで外貨を獲得している面もある。でもその「超こだわりすぎ」を「それなりのこだわり」に落としたら、ちょっと一息つけるんじゃないか*2というような話。

清潔な街、精密なダイヤグラム、おせっかいすぎるサービスはコストパフォーマンス的にどうなのか、選択肢の振れ幅が少なすぎるのでは、と。道路で転んだら感電するような社会はさすがにちょっと勘弁してほしいが、煉瓦敷みたいな小洒落た歩道がいちいち必要か、ただのアスファルトでいいんじゃないか*3、そういう無駄をちょっとずつ削っていけないか。そういうことを考えることも必要かなとは思う。

さて、id:KoshianXさんの健康と幸福を(勝手に)祈りつつ、ここから話が壮大にずれます。

タイはアジアのなかでも豊かな国だという。隣国のカンボジアから不法入国で出稼ぎに来る人がいるとか。タイ人の女優が「アンコールワットはタイの歴史遺産」みたいなことを言ったのを聞いてカンボジア大激昂、というようなことがあったとき、カンボジアの人は経済的な面でタイに複雑な感情を抱いているので余計に反発した、というような話を聞いた。

そんなタイより豊かな国が、同じアジアにある。要するに日本のことだが。なにしろカンボジア人が出稼ぎに行くようなタイから日本に出稼ぎに来る人がいる。なぜ日本が(中国に追い抜かれそうとは言われているが)世界第二の経済大国になれたのか、僕にはわからない。いろいろな要素が絡み合っているのだろう。たぶん運が良かったのだ。地の利もあった。そのかわり近隣諸国を踏み台にもしたし、相当な自虐もしたし、虎の威も借ってのし上がった。

どこでだったか、日本を「中堅国家」などと言った人もいたけれど、この国はいまだに「大国」であると思う。別に日本人の偉大さとやらを称揚しようというわけではない。論ずる対象を不当に低く(あるいは高く)見積もることは過ちのもとでしかないゆえだ。僕が自分を貧しいというとき、それは日本という疑似閉鎖的環境の中で貧しいというだけで、世界的に見ればとんでもない無駄遣いをしている。ろくに働きもしないのに、一時の気晴らしで20ドル30ドル、ときには50ドル100ドルもするような変形ロボット玩具を買う。5人にひとりは1日1ドル以下での生活を強いられる不条理な世界で。

消費拡大主義の経済システムは、ある意味では世界規模のねずみ講のようなもの。いまはただ会員だけが増えている。リソースは絶対的に足りない。世界中の人間がアメリカ人と同じ生活をしようと思ったら、地球が5つも6つも必要だという*4。といって「増えすぎた人口を宇宙に」というような時代はまだ来そうにない。惑星開拓なんていつになるやら。コンピュータの発達は大した革新の可能性を秘めているが、まだ世界を根本から変えるには至らない。

行き詰まり感のある現在は、大戦後およそ三世代が60年ものあいだ繁栄を謳歌しながら、資本主義より一段階先の概念*5を見いだすことも、(その限界を早くから予見しながら)石油依存文明から抜け出すこともできず、経済システムを小手先で微調整する程度で仕事をしたと勘違いしている「先進国」のみじめな失敗である。他人をさんざん踏みつけておいて「トップランナー」の義務を果たせていない。

世界はいつのまにかグローバル化している、といわれる。たとえば途上国に生まれた優れた才能がのし上がり、大国に生まれただけの無能な人間を蹴落として、空いたその椅子に座る、というのは、ある意味ではたいへんな合理性があるように思う(嚢中の錐が必ず袋を突き破るとも限らないけれど)。大国に生まれた人間は、それが嫌なら返り討ちにする能力を持つべきなのだ。万人の万人に対する闘争を是とする世界とはそういうものであり、極端にいえば「小さい政府路線」というのはそういうものではなかったか。「郵政民営化」を叫んだ首相はそういうものを賞揚しているように思えたのだが。

日本は血統によって国籍を獲得することになっているので、法的にみると日本で出生しただけでは日本人になれない。日本人というのはまったく排他的な特権階級だ。なにしろ難民すらろくに受け入れない国なのである(ゲーテッドシティならぬゲーテッドカントリーとでもいうか。日本語をはじめとする数々の参入障壁は、いざ移民を受け入れようと言い出すときには足枷になると思うけれども*6)。いま、フィリピンから不法入国した夫婦が、日本で生まれた娘とともに国外退去処分になりそうだという話がある。入国管理局は中学生の娘のみ日本滞在の余地があるなどというが、もちろんそれは現実的な対応ではない。事実上の一家追放処分である。

「長女には在留特別許可も」森法相 比少女一家に - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090227/plc0902271010005-n1.htm

もちろん公務員とは基本的にそういうもので、彼らが法律を超越することはできない。抜道があったとして教えてくれる義理はない。親切心を持つなとは言わないが、個人的な正義感で法律の運用をねじ曲げるような公務員がいるとすれば、ある意味では危険だ*7。そして行政がそんなものだからこそ、行政とともに、立法(政治)と司法というものが分立してある(特に立法、これは代議士だけのものではない、という前提で話しているのでそこのところはよろしく)。この件がどう転ぶかはわからない。

そんななか、ご親切なことに「法律は厳格に適用して不法入国者は断固帰国させるべき」などと主張する人たちがかなりいるらしい*8。例によって例のごとく、このようなことを許していては職が奪われる治安が悪くなるとかなんとか言っている。日本人の特権性に自覚的なあまり、明日にでも椅子から蹴落とされるという強迫観念でも抱いているのだろう。自分の無能さを知るのはたいへん結構なことだが、ただでさえ苦境にある中学生に罵声を浴びせて何が変わるものか。見当はずれな情熱は別のところに向けたほうがいい。以前、宇宙開発より貧困対策にのみ傾注することを求めるような世界は多様性を欠いている(≒どんな活動にもそれなりの意味がある)というようなことを書いたことがあるが、この件に関しては別だ。他にやることあるだろ。在日外国人の陰謀云々などと息巻くより、地元市議の海外視察でも洗い直すほうがよほど社会のためだと思うが。

Promptnesse To Hurt, From Fear
Feare of oppression, disposeth a man to anticipate, or to seek ayd by society: for there is no other way by which a man can secure his life and liberty.

ブッシュ・ドクトリン・メソッド
焦燥がもたらす妄想は、弱者たたきに余念がなく、諸手をあげて体制を翼賛するようなバカを量産する。なにしろ、そのバカはそれが自分のためになると信じて疑わないのだ。*9

LEVIATHAN*10 by Thomas Hobbes 

それで自分の一生が安泰という保証もないのだけどね。

*1:ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) 久保勉訳、1999年7月15日第81刷37頁より引用

*2:Macintoshなんか買わずに、そこそこのWindowPCを買う、みたいな?

*3:もちろんこれは経済合理性だけで決める問題でもないとは思うが。

*4:そういう世界だと安価な労働力は存在しなくなるので、経済システムは根本的に変わるかもしれない。人権のないロボットを使うというなら話は別だが。

*5:僕はそれが社会主義共産主義だとは思わない。

*6:現下の経済状況はともかくとして、ほんの数カ月前はそんな議論をしていたように記憶している。日本語習得を条件にしたフィリピン人介護士の受け入れも始まろうとしているが、こんなつぶしのきかない言語を覚えてくれようという人たちを、日本人は伏して出迎えるべきじゃないかとも思うよ。

*7:ちょっと話をずらすが、ただひとつ言えることは、公務員は無謬ではないということである。公務員が自分の職能に関して法を知らない、または法解釈を間違える、ということはありうる。そういうときはちゃんとアピールしないとうやむやにされてしまうだろう。

*8:cf. http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200902140025136

*9:というのはもちろん意訳を通り越した誤訳ぎみの超訳。実際は:恐怖に駆りたてられ傷つける――抑鬱からくる恐怖は、ひとをして先んじて身構えさせ、あるいは社会の庇護を求めさせる。というのも、かれが自身の生命と自由とを安堵するには他に取りうる道がないからである。

*10:via Project Gutenberg