情けない男
私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せてくださいと叫びました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかいて、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子どもらを押しのけようとしました。けれどもまた、そんなにして助けてあげるよりはこのまま神の御前にみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。*1 *2
中一ギャップというものがあるそうな。小学校から中学校に上がると、周囲の環境の変化につまずくとかいうやつ。僕の場合、中学でもコケたが、小学校でもコケた。つまり小一ギャップ*3だ。ちょっとばかりリベラルな方針の幼稚園で気ままにやっていたのだが、入学したのはごく普通の公立小学校。殺風景な部屋の中に押し込められて、じっと座っていろという。唯一の大人である先生はひとりごとを言いながら黒板に落書きをはじめ、クラスメートはクラスメートで手元のノートにナニカを書いている。いったい何をやっているんだと思った*4。
さらに不思議だったのは、クラスメートたちは「小学校」というものがどういうものなのか、万事心得ているふうということだ。一方で僕は反骨心のある子どもではなかったので、どうも何か変だとは思いつつ、クラスメートのあとをよたよたと追いかけていた。まわりからすれば相当トロく見えたろう。あまりにトロかったので、隣の席の女の子から平手打ちを食らったこともあった。「もっとしっかりしなさい」と(どこの漫画だ)。
さすがに平手打ちは一度だけだが、その女の子を含め、何人もの女の子からよく説教をされた。どうも僕は女性を苛つかせる才能に恵まれているらしい。ボケっとしてちゃダメでしょ、とか、そんなことで生きていけるの、とか。彼女たちはとくに、謙虚で利他的で三歩下がってついていく僕の性格*5を非難するのだった(そこを美点と見て恋に落ちてくれてもいいのに……)。女子のほうが五つは上回るとかいう小中学生ごろの精神年齢を鑑みるに、ダメな弟を見ているような気分だったのかもしれない。
あれから僕も大きくなって、だいぶ皮肉っぽくはなったが、基本的に性格は変わっていない。よく人から呆れられ、ときには「損な役回りを演じている」と忠告される。もっともそれは僕自身もうすうす感じているようで、ひとになにか親切をするたび、彼女たちの声が頭に響く。苛立つような声を思い返す(それをもってエゴイスティックに生きようとも思わないが)。もし僕が夫であり父親であったとしたら、それは妻子のことを後回しにしてしまうような人間ではないだろうか? 彼女たちからすれば僕は「不適格」なのだろう。それを矯正してくれようとしたのは単に目障りだったからだろうか、もしかしたら少しは望みがあったからなのだろうか――そう思ったところで詮無いことだけど。