そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

「読書とは他人にものを考えてもらうこと」

そう言ったのはショーペンハウアーだったか。

子どものころ読んだチャンドラーにいまだ引きずられているというのも、考えものだなあ、とマーロウものをいくつか再読しながら思った。受け売りなのかそうでないのか自分でも判然としないので困る。

「おかしいですね」と、私はいった。「あなたは教養があるから、動機を持っていたといえない、といいましたよ。だが、奥さんにとっては充分動機になるのですか」
「同じ動機ではない」と、彼は間をおかずにいった。「それに女は男より衝動的に行動する」
「ネコが犬より衝動的であるというのと同じですね」
「どういう意味だ」
「ある女たちはある男たちより衝動的なのです。それだけの意味です。あなたが奥さんがやったと考えたいのなら、もっとはっきりした動機がなければなりません」*1 *2

似たようなことを口走ったことがあるけど、そうか、受け売りだったのか、あれは……(自分でもわからなかった)。

チャンドラーは日本と違いアメリカでは著作権が切れてないので、当然Project Gutenbergにはない(はず)。忌わしい「日本語翻訳権独占」のせいで、創元と早川が中途半端に翻訳しあっていた。『シャーロック・ホームズの事件簿』も同じように著作権問題があって、大久保康雄阿部知二*3は全集を完遂させることなく亡くなっている。複数の出版社から出た翻訳書をそれぞれ買う、なんてほうが少数派だろうから、「独占志向」やむなしと言われればそれまでだが……。

そういうわけで、村上版『ロング・グッドバイ』や大沢版『バスカビル家の犬』などの「作家が趣味で作りました」みたいな翻訳はもどかしいですな。自由に訳せるというのに。「他の訳は!?」と言いたい。クリスティじゃないんだから*4。その点、『星の王子様』なんかもうフランス語かじった人はみんな訳したっていいんじゃなかろうか。数千、数万単位で翻訳してギネスにでも申請したらどうですかね。僕はやりませんが。

で、例の村上スピーチ翻訳エントリの著作権問題が出てきた。考えもしなかったという意見には驚いた。文章から絵から音楽から動画からソフトウェアから、ネットは著作権侵害作品で溢れかえっている(極論を言えば、コストレスで複製できるデジタルコンテンツの著作権なんて主張するほうがアホらしいと思う*5)。今回の件は、翻訳という一手間があったゆえだろうか、皆の盲点になっていたようだ*6。下手な翻訳お断りという人もいるだろうし、二次創作にも絡む問題だ。個人的には、こういうものは最大限に自由化されるべきだと思っているが(という言いかたはちょっと偉そうなので、「自由化されればいいなと思っている」くらいにしとこうか……)、現状はグレー。

なにしろWebは敷居を低くしまくり閾値を下げまくりのテクノロジー。モラルで縛るのは無理だし、管理によってがんじがらめに縛るのでは意味がない。例によって均衡点を探すのが難しい問題である。まあ過渡期なんだよなあ。ただ、いまだにWinny使って情報流出させてる人がいるってどういうこと? というようなことは思わなくもない。知性の丸投げでもなんでもいいから、もうちょっとどうにかしてくれ。

*1:二〇〇四年八月三十一日十八刷147頁より引用

*2:参照したのは、のちに買い直したもの。我が家は同じ本がアホみたいに腐るほどある。

*3:勘違い。2009.3.16訂正

*4:長篇四冊のトミー&タペンスものくらいならなんとかなるかな?

*5:これは本当に極論で、子供が良心の痛みをまったく感じずマジコンを使うような状況は相当な問題があるとも思うけど。

*6:僕は基本的に著作権を振りかざせない死人のテキストばっかり訳している。