そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

高校はもう高等教育じゃないだろ*1

知的障害者をめぐるお題ふたつ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090122/p1

で取りあげられてしまったので、ちょっと適当に書いたエントリの補足。

まず弁解すると、僕が書いたエントリは「知的障碍者普通科高校入学」という結論のために題材としてAAを持ってきたわけではない(そのように見えるかもしれないけど)。アメリカのオバマ大統領のことを考えていた。彼が実際はハーフだとか、奴隷の子孫ではないとか、そういうことはともかくとして、今まで「ヨーロッパ系白人男性」が独占してきた地位に、有色人種が選ばれたということが、歴史的にどういうインパクトを持つか、ということから書いたものである。それがジョージのおかげだとしても、やっぱりなったもん勝ちだ*1。女性であるとか、ネイティブアメリカンであるとか、イヌイットであるとか、ヒスパニックであるとか、そういうこととはもう無関係に、アメリカの市民であればリーダーになれるということを、アメリカの人たちは選択したのだ。もちろんそれが嫌だという人もまた相当にいるのだろうけれども。

そのあと、例の話題を思い出して(第一報を聞いただけで放置していた)、「どうせ叩かれているんだろうな」と思って調べてみたら案の定。つい義憤にかられて付け加えてしまいました。「理路がねじれている」のはたぶんそのせい。というわけで、「アファーマティブアクションの話題」の最後に知的障碍児の普通科高校入学問題を付け加えたのは少し軽率だったが、まあそれで議論が広がるならそれもよかろう。文章的にはこちらのエントリのほうが優れていると思う。

それは、大きな目的でいうと知的障害児のためであるが、
短期的には「知的障害児」でない生徒のためが「知的障害児」について学ぶためである。

知的障害を持つ子供たちの受け入れは、何故求められたのか? - sol1og

*2

中学*3のころ、知的な分野での特殊な才能を持ったクラスメートがいた。友人とまではいえないものの、ときどき帰り道をともにする程度の間柄だった。

中三になった直後くらいのある日、帰路、彼が「高校どうしようかな、高校くらい出ておかないとまずいかな」ということを口にした。彼にはプロになる実力があり、またその職業世界で学歴はほとんど問題にならないのだった(さらに言えば、彼は「専門バカ」でもなかった)。

僕はこういう話をした:

「高校なんて学歴のうちには入らないからねえ。学歴獲得としての高校進学を考えるのはどうかな。君が高校を出なかったからって、見くびられることはないと思うし。まあ行ってみて損はないんじゃない。人間関係とかそういう方面で。中学と違って、高校や大学に入ると周りの出身階層が固まってくるから、友人や恋人を探すとか、そういう側面もあると思う」

――腹をたてる人もいるかもしれないが、怒らないように。これは学位(学士)も学歴のうちに考えていなかった*4中学生のころの僕のセリフであって、今の僕の考えじゃない。とはいえ事実として高校には学力選抜がある。一般的に、学力と「生活レベル」はあるていど相関をなすとされており、公立小中と比べ、高校は集まった生徒のバックグラウンドが均質化する。そういうことを念頭においた発言である。

「生活レベル」というのは厄介で、これが異なるもの同士が結婚したりすると、D.H.ロレンスの両親みたいなことになってしまう*5。ロウアーワーキングクラス出身の僕が、定価で売られているコンビニのハーゲンダッツを平気で買うようなアッパーワーキングクラスの女性とうまくやっていけるはずがないし、ましてやハーゲンダッツなど眼中にない*6アッパークラスの女性と理解しあえるとも思えない、でしょ?*7

私立小中への入学はまだそれほど一般的ではないので、「どういうクラスの高校に入るか問題」は、のちの「どういう大学に入るか問題」とあわせて、ある意味その後の人生を左右する人生の関門として認識されている。そういうことのあらわれかもしれない。知的障碍者普通高校に進学させたいという要望に対し、皆あまりにも否定的すぎる。「それで落とされる健常者は」という意見に対する僕の考えは前のエントリにも書いた。「そんなレベルにいるほうが悪い」と*8(※追記参照)。

実際のところ、知的障碍者普通科高校入学は、僕も「ちょっと現状を考えると無理かな」とは思う。ただ、ネット上で見られるものがあまりにも感情的で知性のかけらもない意見ばかり。ちょっと待てと言いたい。

「高校は義務教育じゃない」と人は言う。確かに制度上は。じゃあ皮肉を言わせてもらうけれど、小・中学校のカリキュラムが頭に入ってないとして、それは仕方ないね。義務教育で、能力に関わらずみんな行かされるんだから。でも、世の中の大半の人は義務教育じゃない高校のカリキュラムがほとんど頭に入ってないんじゃないの? よくそんな頭で高校に行こうなんて考えたなこの税金泥棒!

高校は実質的にもう義務教育だ。普通科の他に、工業科、商業科、美術科など、多少の分化はあるけれど、それは中学にもあった「選択美術」「選択音楽」みたいなものである。もっと門戸が広がっていい。

「逆差別」*9という反論に対しては、「これは社会を資するものだ」と書いた。「そういう社会こそ豊かなのだ」というのは、あくまでも僕の意見である。もちろん「そういう社会は嫌だ」というのは人の勝手だ。「入学してもついていけない」というのは、それはどういう受入れをするかという問題であるし、後述する。

僕は障碍児の高校入学が「普通人」の障碍者に対する無知を解消する糸口にもなるだろうと口を滑らせてしまった*10わけだが、そういう考え方が「彼らを『目的的』に扱うことになるのではないか」と批判されるとすれば、確かにその通りで、その点は反省すべきと思う*11。そもそも僕は小学生のころ同じクラスにいた身体の大きな知的障碍児に殴られたり蹴られたり突き飛ばされたした*12ことがあるていど。家族にも親類にもそういう人はいない(もしかしたら、僕自身がそうなのかもしれないけれども)。利害関係にない立場にあるし、この先そういう問題にコミットすることもないと思うので、無責任にものを言っているとは思う。

ここからが本題。

普通科高校への入学について、「そんなことをしても彼らのためにならない。むしろ彼らの自立が果たせるようにするべきだろう」という意見は、感情むき出しのものよりは抑制的だ。

id:Brittyさんは、

多数派の、健常者の、利益になるという理由で、教育環境として不適な場所に知的障害者であれ他の少数者であれ、おかれることはあってはならないとおもう。

という。

前回のエントリでは書かなかったが、普通科高校が、知的障碍者にとって「不適な場所」であるのがそもそもおかしいんじゃないか、とは考えられないだろうか。養護学校障碍者教育に特化しているって? 発達段階の違う男女別教育が見直されている、という話もある。だからといって男女を完全に分けているわけではなかろう。僕は別に知的障碍児を「普通の児童」と席を並べて、同じ内容を学ばせろとまでは言わない。だって無理だもんね。「普通の」子どもたちが、高校のカリキュラムから作られるセンター試験で満点を取れるわけでもないんだから(僕も取れなかったけど!)。

いったい社会は「知的障碍者の自立」のために何をしているのだろう。普通科高校が「受入れ準備がない」と障碍児を拒むことは、「ちょっと待って」の理由にはなるけれども、「それは絶対無理」の理由にはならないと思う。僕は、「そのための努力をしよう」という社会であってほしい。「普通科高校というのは、規格にピッタリとはまる可塑的児童のための、企業戦士養成場」たるべきというなら、そのように主張するとよろしい。つまり、ただでさえ少ないこの国の教育予算を効率的に運用していくために「面倒くさい人間はとりあえず脇に追いやっておこうね」的な発想を是とするのであれば。でも誰かがこの国の教育方法について「今の世界が求めなくなりつつある人材の育成に適した教育プログラム」とか言ってたよ。まあ、いまだに幼保一元化うんぬんと言ってる硬直的な国だから。

子ども……というか人間は多様なものであり、画一的な教育を施して万事無問題という時代は終わった、と僕は思うので、習熟度別学習を支持している。個人個人のニーズに応じた教育をすべきだと。もちろんその習熟度が「ランク分け」につながらないように慎重にすべきだろう。今は「教育に投資できる親できない親そんなこと考えもしない親」問題などもあるので、いきなり社会制度を変えたら齟齬をきたすのは必至だ。親が子の学歴の獲得に必死になる状況から漸進させていくしかない。二世代ほど先を見て教育システムの見直しを考えるくらいがいい。その前提で、いっそ高校の学力選別をとっぱらって、生徒たちを多様な価値観にさらすべきだろう、知的障碍者普通科高校に入学するのが(もちろんそこで受けて当然の配慮を受ける)当たり前の社会であるべきだろう、と言いたいのである。知的障碍者はあなたとは異質な存在かもしれないけれども、あなたと同じ人間だし、知的障碍者とあなたの間にある「差」ほどには違わないかもしれないけれども、誰もがあなたとは違うんです。あなたが誰とも違うように。

いいかげん暗記偏重は結構だ、とみんな言ってるではないか。男の子に陸軍、女の子に海軍の制服を着せて、黙ってじっと半日座ることを覚えさせて、重箱の隅をつつくようなしょうもない試験を受けさせて、大学三年になったら勉強そっちのけの職探しに奔走させて、会社に入ったら入ったで「無人島では誰が悪いでしょう」などというロクでもない研修を受けさせられても批判できない社員が一丁あがりというのは、やはりなにか間違っていると思うよ*13

僕には、今回の「障碍者普通科高校入学問題」に対する否定的意見が、少数派排除論理への擁護が極端な形で現れたもののように見えた。「無関係なプロ市民」とか、「親のエゴ」とかいう批判は、派遣村を「政治的すぎる」と批判するのと同じだ。政治的で何が悪い。「知的障碍児童の親が、養護施設を蔑視しているんじゃないか」というのは、そもそも社会が養護施設を蔑視していることを彼らが察知しているから、ではないのか。そうでない社会であってほしいという願望の発露であるぐらいに思えないだろうか。現に苦労しているであろう人間に対して、ずいぶん思いやりに溢れた言葉だね。

知的障碍児童が普通科高校に入れるよう配慮すべきか否かを考えるのは、社会のありようをどうするか考える政治の――というより市民の考えるべき問題だと思う。

観念的すぎるという批判は甘んじて受けます。

(現行の教育制度から自分を擁護しているように思われると嫌なので、あんまりこんな話はしたくなかったのだが、まあこういう流れなので仕方ない。僕は「素行不良」につき半年で高校を追い出されたことがある。中二病をこじらせて)


※追記:

id:Brittyさんのブックマークコメント:

下位高では可能か、でも上位高との格差は拡大する―それでいいのか?

がピンと来なかったので、しばらく首をひねってました。id:Brittyさんのエントリは愛媛の具体的な現状にも触れられていますし、いわゆる「下位校」の話もしておられるので、その下位校だけに知的障碍者が行くことになる、というお考えなのかもしれませんが、僕がエントリを書きながら想定していたのは、

「無試験の知的障碍者枠を、いずれすべての公立高校に(可能なら私立にも)」

という、まるで無責任な意見ですのであしからず(つまり、上位校でも中位校でも下位校でも、合否ギリギリのラインにいる人が落ちるということ)。あと、それで裕福な人たちの家庭教育が流行ったりしたらどうしようか、とかそういう諸問題はぜんぜん考慮の外です。

*1:仮にオバマが失敗したら「ああやっぱりアフリカ系はダメだな」となるだろうか?

*2:ええまあ、誤字はありますけど……。

*3:東京の公立中学。学級崩壊なんて縁のない、それなりに上品なところ。

*4:修士くらいは当たり前だろう、的な。

*5:と、Wikipediaを見たら記事が削除されていた。どうしたんだろう? 中流階級出身のロレンスの母は、無知な労働者の夫に愛想をつかし、息子に過度の愛情を注いだ。ロレンスはそれでだいぶねじまがったらしい。

*6:テレビコマーシャルなんかやっているアイスクリームなんて、しょせん大衆のものだ。

*7:この話題は増田だと思うんだけど、どこだったかな?

*8:それだと「ギリギリ健常者」が最低ランクに落とされる、みたいな意見があって、それはまあ確かにそうかもなあ、とは思うけど。

*9:あまりこういう言葉は使いたくないが。

*10:重ねて言うが、とくだん意図したものではない。

*11:僕もカントは中学のころ読んで感激した(いまはそうでもない)。

*12:いま思えばあれは一種の愛情表現だったのだろうが、当時はかなりの害意を抱いた。

*13:あ、ずっと触れないよう我慢してたのに……つい。