そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

テキストデブリ

できることなら、社会を裨益するようなことを書きたいと思っている。

専門家が手を出さない、あるいは見落としているような問題に採算度外視で取り組み、その結果を広く世間に問う。目にあまる知見の浅さにはフィードバックもあるだろう。根気強く時間をかけて取り組めば、片手間でも一生にひとつふたつくらい、社会に対してなにかをなし得ることができよう。

本来、Webとはそういうメディアなのではないかと思う。社会の成員ひとりひとりが、社会を少しずつ知的に豊かにしてゆく。その知的営為にかかる金銭的・時間的コストを驚くほど押し下げたメディアだと。

そんな思いとは裏腹に、「世に問うこと是か否か」、僕自身、自らの理想の、その閾値を下げている(あるいは無視している)ような気がする。編集者のいないヘボ作家と同じだ。

読むに耐えぬ見向きもされぬよしなしごとを書き散らしている姿は傍目にさぞ滑稽だろうが、本人とて気にしてはいる。Webのためのリソースも有限には違いない。たとえ1KBかそこらのテキストデータでも、積もり積もれば何とやら。サーチエンジン万能の現在において、オンラインに書き込まれたどうでもいい情報は有益な情報を阻害するノイズにさえなりうる。それはもはや社会に対する罪悪ではないのか?*1

僕自身はまだ自らの書くものに自信が持てない。エントリに、ソーシャルブックマークに、誰かのブログに何ごとか書き込むたび、自責の念を感じる。僕はROMでいるべきではなかったのか。身も知らぬ誰かを煩わせるようなことなど、すべきではなかったのではないのか。

街でゴミを投げ捨てたことは一度もない。しかし一方で、Webスペースに嬉々としてゴミを投げ捨てているような気がしてならないのだ。

それも、署名入りのゴミを。

*1:……などというのは、あまりに貴族主義的な考え方ではある。何が重要で何が重要でないかを決めることなど誰にできようか。Webへの書き込みを規制しようなどという意見には賛成できないのであしからず。