そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

静けさのなかに、ひとり

Webをあちこちを飛び回っていると、更新されなくなったスペースがそこここにあると気付く。

ブログサービスはもちろんのこと、オリジナルのドメインらしきところでも。

「ある程度サイトとしての形が整ったから、あとは荒れないていどに管理している」というふうなところもあるし、あれこれ微妙に中途半端なまま放置されているところもある。

現実世界でも、ほんの数週間前まで存在していた建物がいつのまにか消えているというようなことはあるが、すぐに別の建物が建ったり、あるいは駐車場になったりする。むしろ場が放置されがちなWebの方が「いなくなった」感を強くする。今後の抱負を語っておいて3年間そのままだったりされると、なんとなく切ない。旧知の人のサイトを見つけたにもかかわらず最終更新から1年経ってたりした場合、いったいどうすればいいのでしょうか?

センスに共感できる個人サイトがあって、ときどき意味もなく訪れている。素材配付サイトなので、カウンターはあるていど順調に回っている。しかし掲示板やコメント欄があるわけでもなく、本人の近況報告も数年前のままそれっきり。連絡先もなく、挨拶をしたこともない。

むかし住んでいた町に大きな私有林があって、子供のころこっそり入り込み虫を捕って遊んだ。

いま住んでいる町には近くに大きな公園があって、よく学校をさぼって木漏れ日の下で本を読んだ。

そういう感じの、ちょっとしたノスタルジーのようなものをそのサイトに感じている。何をするわけでもなく、そこにある素材を眺めたり、更新されなくなった日記を読ませてもらったり、そんなことがひどく感傷を誘う。

ノイズが少ないということなのだろう。いくら無視できるとはいえ、Web広告はそこかしこにあまりにも多い。見ないようにしたって目に入る。更新の頻繁さも時には煩わしい。どうしても情報多寡になる。それがないのだ。情報が純化されて、とても静かなのである。

打ち捨てられたWebスペースはもちろん緑あふれる自然ではない。それはまるで廃虚にも似た静寂だ。