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通りすがりに

「あなたのやり方が悪いので私は動員されません」という責任回避 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081205/1228460379

を見て、

寄付の依頼が来た*1 - レジデント初期研修用資料

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/149

に寄ってみた。

もちろん寄付するしないについて、いかに表明しようと自由だ。その寄付の依頼の仕方の如何を批評してみせることも自由だ。しかし寄付をしなかった理由として「菊川怜」が「大失敗」だったというなら、その理由も示すのが本当だろう。

何が違うのかよく分らないけれど、彼女の笑顔で寄付止めた人は、多い気がする。

最後だけ印象論では不完全の謗りを免れない。もし、「人間はけっきょく感情がすべてだよね」という主張がしたかった、「菊川怜にはそうさせるナニカがあるよね」と居酒屋談義をしたかった、などというのならやむを得まいが。

いずれにせよあの締め方がせっかくのエントリの品を落としている。「寄付の依頼が来た。なかなか考えられている。理由は〜。今回はちょっとパスしたけど」などと、理由について特に触れず終わればよかったと思う。あれではまるで下手な三題話だ。あえて触れたのかどうなのか、「菊川怜」という結論が無理矢理すぎるように感じる。

僕は罵倒するよりむしろそのやりかたの稚拙さを指摘したい。


一方で、ブックマークコメントには、

で、この代表者が「菊川 怜」になっていて、彼女の写真が印刷されてた。 さすがに「そんなわけねぇだろ」なんて突っ込みが入って、目が覚めた。これは大失敗だと思う。

という「オチ」に首肯する人たちがいる。つまりこのエントリは彼らのような人たちに向けて書かれたということだろうか。

いったい菊川怜という人が何をしたというのだろうか?(別に知りたいわけではないが)それほどまでに揶揄されなければならないほどの人なのか。

とにかくこの人たちが菊川怜に共感できないことはわかった。

いまのところ僕はこの人たちに共感できないので、その旨表明しておく。

彼らが特定の個人に共感できないことをあえて広く世間に表明しているように。

*1:当該記事は削除されました。あえてせずともよい批判でご負担をおかけしたことはお詫びします。