そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

性的に不快なタイムラインに苦しんでいるという文筆家へ

昨日、Twitter上で、あなたがご自身のタイムラインについて、「見るのが不快」という発言をなさっているのを拝見しました。僕はそれについて、あることを考えつつちょっとしたreplyを送り、IDコールを飛ばすという裏技を駆使してお返事もいただいたのですが、毒にも薬にもならない意図のぼやけた140字の返信をとりあえず送りつつ、これから述べるようなことをお伝えすべきか否かについて悩んでいました。

あなたのご職業と僕の無責任な立場には天と地ほどの乖離があるため、「気軽に言ってくれる」というふうに思われるかもしれませんが、僕自身、個人的な事情から、Webにおける男性主義における性消費的言動へのいらつきを抱えているため、こうして相手を特に限定せず、ブログのエントリにしてしまおうと考えたのです。

さてあなたは、あなたのご不快を表明しつつ、「黙ってremove」するというのもできない、とおっしゃいます(そもそもあなた自身にも性的な不規則発言が相当ありますし、そのあたりの自己矛盾もあるのかもしれませんが)。しかしあなたは、その以前に、「一人でいるのはぜんぜん問題ではない」と発言した匿名記事について、ある主婦ブロガーが「問題ないと考えているのであれば、そもそもそういう発言をする必要もないのではないか、何か抱え込んでいるものがあるような気がする」という意見を表明していたことに対し、異議を表明なさっていました。

ここで僕が考えたのは、あなたがすでに「問題」に対する二重基準をもうけてしまっているのではないかということです。「そんなんでいちいちremoveしてたら他人と交流でき」ないと、あなたが主婦ブロガーをremoveせず、異議を申し立てたのは、ある意味ではコミュニケーションを取れるというお考えがあったゆえではないでしょうか。その一方、あなたをして絶望させる性的なタイムラインに対してそれがあなた自身の内面への批判になるのは、保守的かつ堅牢な男性主義に対するあなた自身のコミュニケーション放棄であり、けっきょくそれはあなたの内面における、あなたの忌避するものへの敗北的な肯定にしかなりません。

そもそもあなたは、あなたが異議を申し立てるにためらう人々を信頼していないようにも思えます。あなたの意見によって腹を立てる人はいるかもしれませんが、一方でそれ以上に、あなたの意見を真摯に受け止めてくれる人の存在する可能性からも目をそらしているような気がするのです。あなたの意見が100%通ることはないにしても、その意見を内面に抑圧してしまってはなんにもなりません。

「見るのが嫌ならremoveしろ」という発言は、ある意味では自らの行為を顧みない者の一方的な切り捨てでしかありませんし、それによって生まれるのは、「抑圧されうる要素」を持つものをことごとく排除した狭量なコミュニティです。やはりそれは最後の手段にすべきであり、異議を申し立てる側も、申し立てられる側も、まずそうした対立のあることを認識するために、あなたがご不快を表明するそのこと自体は重要なことなのではないかと考えました。

その決して多数派とはいいがたいメンタリティを持つ人々のなかでも「強者」の要素――あなたは主婦ブロガーに対し「多数者」の立場を言って責任を自覚するよう促しましたが――を持つあなたが、ただ単に「苦しい苦しい」と表明するだけでご自分を慰撫できるとお考えなら、おそらくそうはならないのではないかと懸念します。あなたのすぐれた内面の言語化は、Webを裨益するのみならず苦しむあなた自身をも救うのではないかと、ただそう思うのです。

そしてそれは、あるものに対する直接の罵倒ではなく、長く語り種になるようなブログエントリなのではないのかと、勝手に想像しているところです。