そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

村上春樹を盾にしてはいけません(改稿)

※もともとトラックバックするつもりがなかったこともあって「トラックバックしてません」という安直なタイトルにしていたのですが、よくよく確かめたら自動トラックバック設定になってましたすいません。それにあわせてちょこちょこ書き換えました。


ものを書くという行為は、自分を「全体」から切り離す試みのひとつかと思います。時としてうまくいかないこともあります。

村上春樹的な「やれやれ」 - 倒錯委員長の活動日誌
http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090722/1248267776

これは、当該ダイアリーの前エントリ→誰がための「オシャレな女」なのか?http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090720/1248092002)に対するコメントブックマークコメントへのレスポンスということですが、その前エントリについては、気づいたときすでに批判が相当数発生していたため(このエントリの書きようや組み立ての粗雑さについては僕自身も批判的です)、あえてスクラムに加担することもなかろうと思い、ブックマークはせず、またすでにあるコメントへの同意を示すスターもつけませんでした。ここでは、前エントリの内容はさておき、前エントリへの反応に対する今回の反応(「やれやれ」エントリ)についてのみ述べます。

実は僕も似たようなテーマで、女性を小馬鹿にしたようなエントリを書いたことがあります→そこにあるもうひとつの世界http://d.hatena.ne.jp/islecape/20081021/p1)。かの「おしゃれな女」エントリと違って僕のエントリが批判されていないのは、フォロワーの多いブックマーカーにブックマークされ(=多くの人の目に触れ)たかどうかの差ではないかと思わなくもありません。てゆうかそれだけだと思います。

僕のエントリも「あえて」露悪的に書いたものですが、そのことについて批判があるとすれば、当然それは反省しなければならないでしょう(あらためて読み返すと、不必要に侮蔑的だったように思います。言い訳すると、まだダイアリーを始めたばかりでオンライン人格としての方向性が定まっていなかったため、ちょっと極端に書いてしまったきらいがあります)。ひとたび批判されるようなものを書き、公開した以上、批判されなかったからといって反省しないでよいわけはありませんし、ましてや批判されたとしてそれを「なんで自分だけ」と愚痴をこぼしても仕方ありません。

不用意なことばを批判されることは誰にでもあることで、また、「自分の想定と違う受け取り方」をされるなども、あるいは不本意に思えるかもしれません。しかし我々――あえて「我々」と言いますが――書き手はそれを「やれやれ」などという言葉で済ませてはならないのです。書き手の栄光は、受け手の落ち度を探すことには決してありません。批判されることが「絶対的に正しいもの(に乗っかった)」圧力にすら思えたとすれば、それはずいぶんつらいことと思います。しかし、そもそも「絶対的に正しいもの」に批判される「自分」とはなんでしょう。(本来多様な動機を持つ)批判者のありように責任を転嫁すると、自らを見失うことになります。問題とすべきはやはり自分自身なのです。村上春樹を盾にしてはいけません。自ら書いたものについて、庇ってくれるひとのないまま、ただひとり批判されうること。それこそが自由な表現を為すものの責任ではないでしょうか。


(前エントリへの反応の多さを考えると、こうしてさらに反応を寄せることはずいぶんな負担になるでしょうし、そのことについて大変申し訳なくは思いますが、せめて批判の範囲を絞ってお伝えしました)