そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

なにが彼らの幸いか

僕は子供のころから内面がとてつもなくひねくれているのだが、見た目はいかにもいい人ふうでよく道を尋ねられるし、どこからどう見ても華奢でおとなしそうでじっさい人を殴ったこともないし、光源と見る位置によってはそれなりに金と力はなかりけりてな感じなので、子供のころは柄の悪そうなお兄さんたちにしょっちゅう因縁をつけられた。

小6のとき、父の財布からお金をくすねたことが露見した。その際つい体験をふくらませて「高校生くらいの二人組に脅されてお金を渡した」なんてことを言ったらおおごとになってしまい、警察沙汰にこそならなかったが、少年期で2番目か3番目くらいの危機だった。実はそのお金でつまんないゲームソフトを買いましたすいません。

実際は小学生のころから中二病膏肓に入るてな具合だったので、口で相手を言い負かし、最終的に殴られる、というのが常。金銭的被害はまったくゼロだった。だいたいアホにくれてやるような金はないのだ。もっとも大きかった被害は奇しくも中二のときで、殴られた時に吹き飛んだ眼鏡のフレームが真っ二つになった。それ以降、絡まれたらなによりまず眼鏡を外すようにした。

喧嘩の強さが「慣れ」だとすれば、僕もそれなりに場数を踏んだといえるだろう。さすがに二十歳も過ぎると誰も声をかけてくれなくなり、それを寂しいと思わなくもなかった。つい口を出したのにはそんな事情もあったのである。

「お前にゃ関係ねーだろ」つっかかってきたのは二枚目だった。

「直接の当事者ではなくても、黙認じたいが公共の福祉に反すると思わないか」僕は言った。「誰の目にもつかないところでやってくれたんならそれは勝手だがね。君らがなにか勘違いするといけないと思って」

「だからなんで首つっこんでくんだよ。テメーにどーいう権利があるってんだ」

うーん。話が噛み合わない。それにしても、明文化された権利や義務のみしか行動の原理になりえないような社会とはどんなものだろうか。まあいずれにせよ今回の一件に限っていえば、法律を援用できなくもない。

刑事訴訟法には現行犯逮捕に関する規定(刑事訴訟法第213条)がある。一般市民にも認められた唯一の逮捕権じゃなかったかな」一般市民というのは、ろくに単位もとらないで遊び呆けている法学生も含まれるよね。

「は?」

「君がカツアゲしてる。僕がそれを見た」僕は彼の頬に手を伸ばし、片手で両の頬をつまんだ。さすがの二枚目も面白い顔になる。「だから僕が君を逮捕する」

自分でやっておいてなんだが、彼にとっては予想外の行動だったのだろう。そのとき彼は完全に固まっていた。僕が手を離しかけたところで、ようやく振り払うようなしぐさを見せた。もし僕が警官ならそれで公務執行妨害にもできる。しかし僕のぷにぷにのほうがむしろ越権行為か? というか中二病が再発していないか?

「『逮捕』ができるのは基本的に警察官だけだけど、目の前で行われた犯罪行為に関していえばそうでもない」(ああそうか、店員が泥棒を追い掛けることにも法律的な裏づけはあるんだ)そんな当たり前のことに今さら気がついた。これがいちど見失ってしまうとややこしいことになる。盗まれたものだからといって、勝手に取りかえすのは私刑以外のなにものでもない。

「おい、行こう」

二枚目ではない(あんまり見てないのでわからないが)片割れが言った。立ち去りたがっているような感じだ。なにせもはや「場」は完全にしらけていた。

彼らの「獲物」は僕に礼も言わずに去ってしまっていた。別に感謝されるためにやったわけではないのでそれはいいのだが、被害者不在の状態で彼らを「逮捕」(できるかどうかはともかく)したとしても、警察は歓迎しないだろう。そもそもこの恐喝は未遂に終わっている。立件は無理だ。

お開きである。

経験上、あれだけからかったのだから最後に一発くらい殴られるかと思った。向こうもそれくらいしないと気が収まるまい。もちろん眼鏡は外している。

しかし、相棒のあとを追った二枚目はそのまま振り返らなかった。

僕は立ち去る彼らを見ながら、僕を脅して金をせびろうと寄ってきた人たち――その後ふたたび会う機会のない、顔も覚えていない人たちのことを考えていた(僕の人生はこのパターンが多いな)。

あれから同じことを繰り返しているだろうか。それとも、立ち直っただろうか。もしかして真っ当に仕事について結婚して子供ができた人もいるだろうか。というか「子供ができたので結婚した人」かな……などと考えるのはいかにも侮蔑的で良くないね。

いやいや。中学のころ僕をいじめていた(らしい)T君はあんがい成績が良かったとかいう話だ。もしかしたら受験のストレスか何かで心が歪んだ進学校の生徒なんてのもいたかもしれない。ひょっとして財務官僚とかになってきれいな奥さんと子供に囲まれて幸福な家庭を築いているかもしれない。ああ、うらやましい。もしそうだったら日用品にかかる税率は低率にするよう政治家を説得してくれ。

彼らの人生に多少なり関わった人間としては、あんな出会いでもなにかしらよい出会いになっていたらいいのだがと思う。だから、頬をぷにぷにして遊ぶより、他にすべきことがあったのではないかと反省する。

しかし、いったいどうすればよかったのだろうか?