そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

シャーロック・ホームズについてまたもひとことふたことみこと

コナン・ドイルが生み出した英国でも有数のヒーロー「シャーロック・ホームズ」のブームが来ている、とか言われて久しい。ロバート・ダウニーJr.のハリウッド版映画のころからだから、もう4年くらいの息の長いブームである(それは“ブーム”っていえるものか?)。くどいようだが祖父の代からシャーロキアンである身としては慶賀に堪えない。

(その露骨なチャイナマネー目当ての作劇に驚愕と感嘆の声が上がる映画第4作がいよいよ公開となったトランスフォーマーも、もうちょっとブームになっていいと思うのだが)(くどい)

この八月にはNHK人形劇「シャーロック・ホームズ」(黒幕:三谷幸喜)が本放送される。ドイルの原作を換骨奪胎した学園ものだ。

先行放映を抜かりなく見たとき気になったのが、語り手のワトスンが「ジョン・ヘイミッシュ・ワトスン」という名前であったこと。

「ヘイミッシュ」というのは聞きなれない名前だが、スコットランドでは「ジェイムズ」に相当するものらしい。ヨーロッパ語圏の名前は国によって発音や綴りが変わる――たとえば英「チャールズ」は、仏「シャルル」、独「カール」、伊「カルロス」などになる――というのは知られているが、イングランドスコットランドでも違いが出るというのは興味深い。


で、「ジョン・ヘイミッシュ・ワトスン」のなにが気になったかというと、

原作でワトスンは一言たりとも自分のミドルネームが「ヘイミッシュ」であると言及したことがないから

である。


これはホームズファンの間ではきわめて初歩的(elementary!)なネタなのだが。

シャーロック・ホームズの第一作『緋色の研究』において、第一部の題は「医学博士ジョン・H・ワトスンの回想」となっている(つまりミドルネームが「H」であることは間違いない)。しかしそこから「ヘイミッシュ」を導き出すのはどー考えても困難だろう(だいたいワトスンがスコットランド出身かどうかすら定かではない)。

他方、ワトスンのミドルネームとは関係ない話だが、別の短編でワトスンの夫人が夫のことを「ジェームズ」と呼びかけているシーンがある。「ジョン」、「H」、「ワト・・」んんん?

ホームジアン*1であるミステリ作家ドロシー・L・セイヤーズは、「妻がワトスンを"ジェームズ"と呼んだ」「ジェームズはスコットランドにおける"ヘイミッシュ"」という、このふたつの"事実"をもって「ワトスンの洗礼名は"ヘイミッシュ" すなわちフルネームは"ジョン・ヘイミッシュ・ワトスン"」とする小論を発表した(未読)。

大きく矛盾はしない。そうして「ヘイミッシュ」説はそれなりに受け入れられ、ベネディクト・カンバーバッチマーティン・フリーマン主演のBBC版現代風アレンジSHERLOCKでも採用されたため、ほとんどデファクトスタンダード的な扱いになってしまったように感じる。だが、僕は言いたい。

これ単に作者がワトスンの名前忘れただけだろ…

もちろん僕としては、別に「ヘイミッシュ」で困るとかいうことはなく、そうならそうでも一向に構わないのだが、実際のところ真相は上記の「ドイルの勘違い」だと思っているし、基本「"ヘイミッシュ"はセイヤーズによる一説」という但し書きが必要だと考えている(つまり、「ジョン・H」の「H」はあくまで不明)。*2


一時期 Wikipediaに「シャーロック・ホームズのフルネームは"ウィリアム・シャーロック・スコット・ホームズ"」という記述があった(現在は修正されている)。これはベアリング=グールドというホームズ伝記作家の説だが、「HはヘイミッシュのH」よりも根拠がない、妄想のレベルを超えた捏造であるので信じないように。

シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯 (河出文庫)

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(グールドが一生懸命にいろいろ調べたのは確かなのであるが、なにしろドイル以外のパロディ・パスティーシュ類までソースにしているので、とてもではないが「伝記」として信頼できる資料にはなっていない。なにせホームズが「自分の祖母はフランス人のヴェルネという画家の妹」と述べたことをもって、実在する「エミール・ジャン・オラス・ヴェルネ」という画家がホームズの大伯父である!などと断定する痛々しさである…)

ところが、そんな不確かなソースによるこの「本名:ウィリアム・シャーロック・スコット・ホームズ」は、ヘイミッシュ同様に、BBC版シャーロックで採用されているのだ…! ソースロンダリングが起きそうな予感がする…

というわけで、

「シャーロック」だって、「シャーロック・ホームズ」を元にした二次創作だからね!

ということもあわせて強く述べておきたい。


もちろん想像することは自由である。

「ホームズは同性愛者ではないか、そして、実はワトスンと交際していたのではないか」という妄想も古くからある(それが原作でおおっぴらになっていないのは、当時同性愛が逮捕される「罪」であったから、というのが根拠だ。例えばオスカー・ワイルドなどが実際に収監されている)*3。一方、僕はホームズは無性愛者だと思っている*4

これはどちらも間違いだろう。おそらく事実はこうだ:ホームズは原作者ドイルの「常識と良心」にもとづき「(ドイルの感性から見ると"正常"な)異性愛者ではあるが、知性の力により異性に心を惑わされることが決してないキャラクターとして設定されている」と。

情報が積み重なっていけば作者の意図を超えた状態も起こりうるが、ホームズ作品は長短編合わせて60編しかない。なにごとかを論理的に導き出そうとするにはあまりにデータが少ない。

われわれはホームズを完璧には知り得ないのである。


いや、そもそも「誰か」を「完璧に知る」ということがありうるのだろうか。

P.D.ジェイムズの探偵小説『女には向かない職業』の主人公コーデリア・グレイは、続編『皮膚の下の頭蓋骨』で交際中の異性がいるようなことを匂わせる。しかし結局その恋人は一度たりとも登場しないため、どんな人物なのかもわからないまま終わる。続編は書かれていないので、彼女と恋人がどうなったかはまったくわからない。「可憐な女探偵」などと人気のあるコーデリアだが、読者に自分の恋人のことを紹介する義務などない。彼女がどんな相手とどのように過ごしているかとかそんなようなことを知る権利は読者にはない。そういうものではないだろうか。

われわれは知りたがりすぎている*5

ジョン・H・ワトスンの「H」を知って何になるというのか。

「H」を知らないと、ホームズ物語の真髄が味わえないというのか。

もちろんそうではあるまい。もちろん好きになったからこそ興味をいだくのだ。しかし何事も度を超すと危険だ。



シャーロッキアン!(1) (アクションコミックス)

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ところで僕は、「きっと子供のころ、ホームズはJ・S・ミルに会って論理学の何たるかを学んだに違いない」というようなことも妄想するのじゃが(またミルか)。

ミルキィホームズ許すまじ



関連しそうでそうでもないエントリ:

映画『シャーロック・ホームズ』ワトスンが強すぎる件についてちょっとひとことふたことみこと
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20100318/vr

*1:イギリスではホームズファンをこう呼ぶとか

*2:まあ僕は、心情的には(ドイルが書いた長編4編、短編56編のみを典拠にすることにこだわる)「正典派」に近く、わざわざ稿を起こしてこんなことを書くくらいなので、そこは割り引いて聞いてもらいたいと言っておくのがフェアな態度かと思うのじゃよ。

*3:ちなみにワトスンが女だった、という説もある。BBC版シャーロックとは違うそういう現代風翻案もある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC_%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%26%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3_in_NY

*4:女性に対し若干の蔑視感情を持つホームズが、その知性を認め特別な感情を抱いたとされる女性に対し、何をしたかといえば特に何もしていない。要するにそういう情熱・衝動をそもそも持たない人なのではないか。「地球が太陽を回っているって? フーン、まあ特に必要ない情報だから忘れとかないとね」発言もそう。まるで生理的な反応をコントロールできるようなことを主張しているが、これは都合よく探偵に不要なものが生得的にオフになっている=そういう変人だから探偵のようなことをやっている、というだけなのではないかと。

*5:若草物語の最終章『第四若草物語』の最後で、作者のルーシー・モード・モンゴメリは「この幸せな家族を突如大地震が襲い、何もかも大穴に飲み込まれちゃったってことでどう? いやまあそんなことはなくてみんな幸せになったんですけどね、はい、もうこの話はこれでおしまい」とか、そんな超ジャベリンスローなことを書いていたぞ。読者の「もっと知りたい」圧力はかくも大きい。