そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

日曜日、晴

なぜか浅見光彦に目覚めた妹が買ってきた文庫を昨日になって二冊読み、「なんか恐ろしげな伝説をタイトルに持ってくるわりには、事件は都会で自己完結してるし、伝説も何も関係ないなあ」というような感想を抱いた*1のだが、そこから発想が『緋色の研究』に飛んだ。あの「第二部」、モルモン教にまつわる部分が省かれていたところで、さして問題はなかったと思うのである。あれはまさにワトスン好みだなあ、と。

昨年からどうもホームズづいているらしい。人生何度めのホームズブームだろう(『青い紅玉』として知られる小品を訳してさえいる。すでに他訳者によってネット上でも公開されてはいるが)。浅見を返却したあと、『事件簿』『恐怖の谷』(新潮版)、ジューン・トムスンのパスティーシュ『秘密ファイル』『クロニクル』『ジャーナル』『ドキュメント』を読み返し、昼過ぎに起きてから同じ作者の『ホームズとワトスン』まで読んでしまう。『ジャーナル』と『ドキュメント』あたりで、ちょっとこれ時間の無駄遣いじゃないかという焦燥を覚えたが無視した。"The Secret Notebooks"はどうなったのだろうか?

それにしてもさすがに食傷を覚え、口直しというわけではないが、夕方近くには、久々にアランの『幸福論』をつまみ読む。ブログの方向性について参考になるだろうかと思いながら*2。ところで、「どうしてアランは忘れ去られてしまったのか」というようなことが、巻末の「鑑賞」に書いてあったけど、僕じしん読んでいてピンと来ないところがある、というかピンと来ないことの方が多い。深代惇郎天声人語が大変な名文だなどと言われているけれども、これも僕は味わいきれていないような気がする。今の世代と、あるいはなにか隔絶があるのかもしれない。時代のために古びたのだろう、とまでは言い切れないし――もう少し年を食ったらわかるだろうか?

さらに、また話が飛ぶが、『00』のミスターブシドーがいまだにわからない。だいたい人から双眼鏡を奪って、「失礼」「な、何を!?」「失礼と言った!」という初出からしてびっくりしたものだ。スタッフは何を考えているのか。それにしても何度も言っているのだが、トランスフォーマーもセルでこれぐらい作画が崩れなければなあ。いったいどれほどのリソースを注入しているのだろうと思う。そんな休日。

*1:作者の内田康夫氏の思想を察するに、その地方の伝統や文化が、関係者をして自らを事件に顕現せしめることがある、というような考えのようだが。

*2:この本によれば、「才能の有る無しに関わらず、毎日書くこと」はスタンダールの言葉らしい。