ボタンかけ違ってるよ
新聞には読者の意見を掲載するスペースが投書欄以外にもいくつかある。朝日新聞の場合、生活欄には主婦らが日常のひとこまを綴る『ひといき』があるし、中面テレビ欄『はがき通信』には「BLEACHに仲間の大切さを教えられた」などという20代男性の意見が載ったりすることがあって、いろいろ香ばしかったりするのだが、それはさておき。
朝日新聞の生活欄には労働に関する記事も組まれており、ここにも小さな読者投稿欄がある。『職場のホ・ン・ネ』という題で、「理不尽な命令に従わなかったら解雇された」とか「有給休暇の取得を妨害された」とか「夫の残業時間が異常」というような短い訴えが毎週二本掲載されている。『ホ・ン・ネ』を載せる欄だから、とそのまま二本掲載するよりも、掲載は一本にして、残りのスペースで労働基準局を紹介するなり、なんらかのアドバイスを示したほうがいいのではないかと思ったりはしている(別のところにそういうコーナーはあるが)。
ここから本題。今日の『ホ・ン・ネ』、全文を引用する。
これを読んで「ん?」と思ったのは、言葉のはしばしが妙に刺々しい――というだけでなく、11月3日の投書が記憶に残っていたからだ(もっとも古新聞はすでに古紙回収に出してしまっていたので、図書館でバックナンバーを調べてきた)。
やはり全文を引用する。
この話の噛み合わなさっぷりはどうだ。
「同じ資格を持つ正社員と比べ明らかに責任の少ない仕事しかやらせてもらえません」「働きぶりを見てから正社員にするなど、採用方法を考える時期に来ているのではないでしょうか。」
という主張に対し、
「やりがいに欠けるとお嘆きですが、あなたは緊急事態に対応できますか?」「もっと働く場に感謝して前向きに仕事をしてはいかがですか」
である。
「長幼序あり」などというつもりはないが、30代が40代にいう言葉とも思えない。そもそも「正社員として応分に働く能力があるので、雇用形態を柔軟に変更できるようになってほしい」と書いてある。40代臨床検査技師は「面倒ごとはごめんだが正社員にはなりたい」などとはひとことも言ってないのに、「契約社員を選ぶ人はどうせそんなには働かないだろうに。分を知るべき」などと決めつけられては困惑するしかないだろう。
なにより「私は病院勤務ですが、医療職の契約社員は自分の都合で正社員になっていません」というのが気になる。「医療職の契約社員」はみな自己都合で契約雇用を選んでいる、というのが業界の常識ということだろうか? 30代薬剤師は自分が勤務する病院のすべての契約社員に「どうして契約社員を選んだの?」と聞いて回ったのだろうか。仮にそうだとしても、「非正規雇用にはいろいろ問題がある」と主張したら「非正規雇用を望む人もいる」と返ってくるみたいなズレを感じる。
これってもしかして30代薬剤師の、職場の契約社員に振り回されて恨み骨髄に達したあげくの脊髄反射ではないか。30代薬剤師は、40代臨床検査技師を「夫の扶養下にあり、就学児童もいて家庭を優先しがちな兼業主婦」などと想定しているのだろうが、その前提からして間違っているかもしれないとは思わなかったのだろうか(僕のこの決めつけも間違ってるかもしれないけど)。そしてなにより、他にも意見はあったろうに、『職場のホ・ン・ネ』担当者はどうしてよりによってこの意見を40代臨床検査技師への反応に選んだのだろう*1。同じ医療系の有資格者にプロレスをさせて。こういう場合、30代薬剤師に対してはむしろ『12人の怒れる男』の陪審八号ばりに「40代臨床検査技師はあなたの同僚じゃない」などと言ってあげるべきではないか。もしや新聞社も仕事に責任を持たない契約社員に振り回されてたりして*2。
折しも同日付朝日新聞投書欄『声』では、「殺伐とした通勤電車はつらい」と題した投書で、通勤ラッシュで「女性に蹴られたり、男性に絡まれたりした。世の中に殺伐とした雰囲気が漂い、通勤がつらいと感じる機会が増えた」という意見があった。世の中が殺伐としていなかった時代がはたしてあったのだろうかと、僕などは思うのだが、おそらく新聞は社会の殺伐さを教えてくれているのだろうな。
病院も例外ではないと。