そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

こんなことを考えさせられた

「考えさせられる」は何も考えてない証拠 -はてな匿名ダイアリー

僕自身は「考えさせられる」という言葉を使ったことがありません。「考えよう」とか「考える」とか「カンガルー」とかならありますけど、「考えさせられる」「深い」「自己責任」「訴状が届いていないので、コメントできない」*1などというような「あたまがわるい」セリフは大嫌いです。増田さんと同様に(?)ある種の嫌悪感を覚えます。だいたいの場合において、「考えさせられる」などというようなセリフは、ものの役に立たない意見以下のノイズに過ぎないように思えます。

しかし僕は、いままでそのような意見をわざわざ表明はしませんでした(「考えさせられるな」と口にする人を目の前に、いけしゃあしゃあと「そうですねぇ(笑)」などと言ったことさえあります)。


今回、増田さんのエントリを拝見したとき、僕は同感するよりもむしろ真っ先に思ったのです。


「そういえば、『先発優先提言』ってあったな」。


全然関係ないですけど、本当に思ったんだから仕方ないですね。

もし僕が「『考えさせられる』なんてバカ丸出し言ってんじゃねえよバーカバーカ!!」なんてことをこのダイアリーに記そうものなら、今まで僕が書いたバカ丸出しなエントリがそっくりそのまま僕に跳ね返ってくることになるでしょう。つまりはそういうことです(だからこそのはてな匿名ダイアリーと言うことでしょうか? 極論を楽しむ場所ってやつでしょうか?)。


「考えさせられる」はノイズ、と言いましたけれども、ある人はそれを積極的に容認する立場のようですし、そういう考え方もありましょう。

専門の批評家が「考えさせられました」と連発しているのであれば、少し不安になりますが、Amazonのカスタマレビューや、blogの感想文であるなら、「考えさせられました」どころか、「今日見てきた。良かった」だけでも、意味があると思っています。書店の店頭POPに近い存在というか、毎日大量に世に送り出される商品に対して注目するきっかけになれば、それでいいんじゃないでしょうか。

- どんなジレンマ 

さらにその効用を考えるならば:1000年前の庶民が何を考えていたかを知ることは非常に困難ですが、1000年後の人たちが、彼らにとっての「1000年前の庶民」である僕たちの考えていたことを知ることは、それよりは少し簡単になるはずです*2 *3。それはそれで有用ですね。

そもそも、ほんの何げない一言が、誰かにとっては重要な意味をもたらすことはありえます。たとえそれが「考えさせられる」という、しょうもないたった一言のつぶやきだったとして、その表明それ自体は何らの知的向上の役に立たないとしても、その人はすでに何かしら考えていると言っているのです。心の奥に秘する意見があるということです。ある意味それで御の字じゃないでしょうか。ブログについたブコメにそうあったとすれば、ブログ主として喜ばしくもあるでしょう。


……ただ、僕は、本当にそれでいいのかなとも思っているのです。

Webはメディアです。それも10億人レベルの。

そして、メディアとは権力なのです。

僕たちはどれほどそのことを考えているでしょうか。発言するということの重みを自覚しているでしょうか。何げないたった一言が、身も知らぬ誰かを殺すこともあり得るということについて思いを致しているのでしょうか。ならばWEBで発言する敷居が下がりまくった現今をどのように評価すべきなのでしょうか。いつ果てることも知らないギークVS.スイーツの戦いは、いずれに軍配が上がるのでしょうか。

「考えさせられる」などというような、いかにも安易で紋切り型な表現がネット上に溢れることの気持ち悪さについて、考えているでしょうか。

僕は「すべての人が、自分がメディアであることを自覚し、責任ある言論に努めるようになってほしい」というようなことを考えています。はてなブックマーク市民にさえも。

そりゃあ、僕みたいにバカなことを書き散らしているお調子者の間抜けなはてなダイアリー市民がそんなこと言ったって説得力はないですよ。「お前がまず努力せんかい」って言われるでしょうよ。

でも、そう考えているのです。そうありたい、そうあってほしいと思っているのです。ちょっとでも間抜けなことを言えばたちまち突っ込みが飛んでくるような、そして誰もがそんなことでへこたれない世界を夢想しているのです。

ええまあたぶんスイーツ帝国が勝つんじゃないかと悲観的ですけどね。メディアであることよりも、現実の拡張たらしめることを選ぶのではないかと――。


「考えさせられる」からちょっと話がずれたので、むりやり戻します。

どちらかと言えば増田さんの言葉は自分に向けるべき言葉なのかな、と思いました。「考えさせられる」というのは、わざわざ表明するに値する意見なのでしょうか? 僕は、今のところそうは思いません。なら、「『考えさせられる』などと言うのはバカ」というべきでしょうか? 僕はそれも違うと思います。

おっしゃるように、「考えさせられる」というなら、「どう考えさせられたかも言ってくれよ!」というのはその通りだと思います。しかし、「考えさせられる」と言う人に対して、その人の人格や知性について云々することは、結局のところできません。人の言葉にはそれぞれの意思が込められています。そこにどのような深謀遠慮が込められているのかはわからないのです。

僕が「考えさせられる」というフレーズを見たとき、そのフレーズと、それを受取る僕自身の能力が向き合うことになります。しかし残念ながら、「考えさせられる」というフレーズは「考えさせられる」という七文字のフレーズにすぎません。そこではけっきょく僕自身が問われているに過ぎないのです。

そもそも僕は「考えさせられる」という言葉を嫌っていますが、それは僕の知性の限界が嫌っているだけです。より高次の「考えさせられる」という意味性が存在する可能性を僕が知らないだけで、ことによると誰かは「考えさせられる」を見て十・百・千を知るかもしれません。ここで明らかになるのは、ただ、僕がそうではないというだけの話なのです。だからこそ(冒頭で述べたように)、「考えさせられる」は、僕にとってはただのノイズなのです。

つまり、この件においては、ノイズを受取ることしかできない僕の無能性は証明できても、「考えさせられる」と記述した人のバカさ加減は、それだけでは証明できないのです(もしかしたらその人はただの口下手かもしれませんし)。


僕自身は「考えさせられる」という言葉を安易に使うことは厳に慎まねばならないと自覚しています(ただし、他の人が本当に「考えさせられる」を安易に使っているかどうかは、今まで述べてきたように、僕にはわかりません)。改めて増田さんに言われるまでもありません。だから、僕は増田さんのエントリをブックマークはしませんでした。


だから、ブックマークコメントに、

考えさせられる。

などという皮肉を書くこともありませんでした。


でも、僕は増田さんのエントリを読んで、上記のようなことをとりとめもなく考えさせられたのです(ふだん考えていることを組み立て直しただけという側面はありますが)。もし僕がこの件に関して「考えさせられる」と書くとすれば、いままで記してきたようなことを「考えさせられ」た、ということなのです。

そういうわけで、まとまった考えというわけではありませんけれど、報告だけさせてもらおうかな、と思いました。文章が雑なのは、本来公開を意図しなかった殴り書きだからです。だからこそここは、本当なら「考えさせられる」で済ませるところなのです。

きっと他の人もそうなんだろうだと思います。僕がたまたま「考えさせられる」と口にするのが嫌いなので、そうしなかっただけです。

*1:「担当者が不在なので、コメントできない」も。

*2:1000年後も文明が存続している必要はある。

*3:あくまでも、「ネットで意見を表明する人」の意見に過ぎないけれども。