そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

単にはまぞうを試してみたかっただけですの巻その2

裁判員制度が始まる。制度として首をかしげるところはあるが、僕は市民が司法参加することそのものには賛成する。

理由はふたつある。

まず、もし僕がアテナイ市民だったとすれば、ソクラテスが裁かれるとき、僕は彼に無罪の一票を投じることができるはずだからである。

そして、もし万が一僕がソクラテスを有罪と断じ、彼に死刑の判決を下したなら、史上にまれにみる愚民として、その汚名を未来永劫負わねばならないからである。

どちらにしろ、法曹に任せきりにはできない。市民たることの責任とはそういうことではないか*1

小学校のころ、(テレビだったかビデオだったか忘れたが)『十二人の怒れる男』を見たあと、岩波文庫の『ソクラテスの弁明・クリトン』を読んだ*2

あれ以来そういうふうに考えていて、いまのところ考えを改めるつもりはない。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ピラトは卑怯だが、だからといって民衆が免罪されるわけではないのだ。

*1:いやまあ、はてな市民でいるのも大変だけど!

*2:本を手にとったのは、たまたまというより、けっきょく親に誘導されていたのではないかとも思うのだが。