「春」は誰しもが売れるものではない
こういう記事があったので、これから僕が話そうとしていることとは少し話題がずれるのだが、ちょっと便乗させていただく。
上記エントリでの主題は児童ポルノについて。これを放置することはもちろんできないだろう。というか、正直僕の知らない世界だなあという感じがする。あんまり関わりたくないというか。
児童ポルノの問題について、僕が当事者として関わらざるを得ないことがあるとすれば、「表現として児童を性の対象として描く」ことを「準児童ポルノ」として規制しようという動きに関してだろう。今のところ僕はそういう表現を「公表」はしていないが、そのような要素が含まれる未発表作や作品構想はある。まあ下手なエロ漫画ほど見ていて痛いものはないので、まだまだ人に見せるにはほど遠いな、という感じ(ところで、精霊や獣人などの亜人は「児童」になるだろうか? TRPG的な世界観において成長の遅いエルフなんかはどうだろう? 120歳だけど見た目は12歳なんてSF設定もあったなあ)。
「性的表現としての架空の人物としての児童」は、「チャタレイ裁判」や「四畳半襖の下張裁判」などでは扱われなかったテーマだし、「松文館裁判」で問題にされた漫画は「絵が上手すぎるから」とかなんとかいう理由でやり玉に上がったらしいので(つまりあれだ、いわゆる「萌え絵」は検察的には「猥褻物」に見えなかったってことだ)、もし裁判になったらどう転ぶのかなあと興味もあるが、なにしろいちど規制されてしまうとそれを覆すのは困難だろうから、あまり面白がってもいられないね。
さて話を戻す。冒頭の記事では、成人女性が売春をすることをある種の権利としてとらえ、それ以上その件に関して話を広げてはいない。前置きが長くなったが、このエントリではそのことについて触れたい。
むろん、そのような肯定の仕方もありだろう。春をひさぐことを単純に「汚らわしい」などと言い切れるものでもないと思う。法の管理下に置くことで娼館のピンはねを防いだり、労働環境が改善させたりもできるだろうから、それはそれでよい(え、日本での派遣労働は法の管理下だったんじゃないのかって……? そ、そうですね)。租税体系に組み込みたいという面もあるのかな?
ただ、売春は誰もが積極的に選択できる仕事だろうか? つまり、プライベートな領域を使わなければならないこの仕事、職業選択の自由などということで門戸を広げさせてもいいのだろうか。これは「3Kの職場は嫌だ、もっと楽な仕事がいい」などと言うのとはわけが違うように思う。もし(まあありえない話だが)日本でこのようなことになったら、はたしてどうなるだろうかということを考えた。ただでさえ福祉政策が貧しいこの国で、である。
疲れ果てたシングルマザーが生活保護を申請する。すると、窓口で応対した担当者がこう言うのである:
「あなたお若いんですし、お客さんを取ればいいんじゃないですか?」
などと。
で、それを拒否すると「あなたは努力が足りないですね」とかなんとか。
確かこの国では成人の売春行為自体は非合法ではなかったし、ことによると借金か何かの理由でいま現在そういうことを強いられている女性もいるかもしれない(こっちは違法だが、表には出てこないだろう)。ということは、売春を女性の明白な権利などとしてしまうと、かえってそれが女性の(なすべき)自助努力手段として世間的に認知されてしまいかねないような気さえするのだ。
Wikipedia以外のソースが発見できなかったので前述のエントリから孫引くが、オーストラリア・キャンベラの女性市長が公娼制度を策定するにあたり:
「売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならない」
「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは金持ちの身勝手である」
「合法化したことで、売春に従事する女性達は社会保障を受けることができ、また賃金を不当に踏み倒されることもなくなり、また衛生管理も向上する」
などと言ったのだそうな。おそらくは理想と現実のはざまで相当な苦渋を味わったうえでの発言だろうが(大した社会福祉的施策もなしにこんなことを言ってるんだったらひっぱたいてやらねばなるまいが)、女性福祉の観点からすれば、売春産業などないに越したことはないと僕は思う。
(コメントいただいてます → http://d.hatena.ne.jp/islecape/20081108#c1226407554)