そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

『シャーロック・ホームズ』ワトスンが強すぎる件についてちょっとひとことふたことみこと

※冒頭補記:ちょこちょこ事実誤認があるようで、その都度訂正を入れてます。ごめんなさい。

表題の通り、3月17日にガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.主演のワーナー・ブラザース映画『シャーロック・ホームズ』を鑑賞した。

ショッピングモール併設のシネマコンプレックスは、平日午後2時半からの上映にもかかわらず満席。公開から最初の水曜「レディースデー」ということもあってか、女性が目立っていたように思う。ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウの威力か。

すでに情報が流れているが、海外では好調な興行成績を記録し、早くも続編の製作が内定しているという*1

映画は、背後から迫りくる馬車を表現したサラウンドから始まる。本編中そうした音の演出が申し訳ていどにちりばめられているのだが、そのあたりの演出論については詳しくないのでパス(でもとりあえず画に関しては「目ざわりでやかましい映像遊び」という意見に賛成する)。


ではまず、なによりも注意しなければならないポイントをあげよう。

今回の映画はコナン・ドイル原作によるものではない。

今回の映画はコナン・ドイル原作によるものではない。

大切なことなので二度言いました。


原作に忠実なホームズといえば、

シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1  (宝島MOOK)

シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 (宝島MOOK)

(うるさい人に言わせればこれとて完璧ではないそうだが)「地主階級*2出身の高等遊民」的なホームズの描写としては、これがひとつの標準といえる。


で今回の映画、Wikipediaによればライオネル・ウィグラムなる人物によるコミックがもとになっているらしい(未読)*3。つまり、この映画を見て「シャーロック・ホームズってこんな話なんだ!」などと考えてはいけない。それは、かつてNHK*4放映されていたアニメ『名探偵ホームズ』を見てシャーロック・ホームズって犬だったのか!」と思うのと同じである。

気をつけよう。


さて、祖父の代からのホームズマニアとしては、映画を見て以下のようなことが気になった。

  1. 原作でアフガン戦争に出征、肩と脚*5を負傷し退役した傷痍軍人ということになっているワトスンが健康そのもの(そして……)。
  2. 原作でホームズのもとを依頼人として訪問し、それが縁でワトスンと結婚することになるメアリ・モースタンは、映画ではそもそもホームズと面識がない*6
  3. 原作で一回しか出てこないただのオペラ歌手アイリーン・アドラーがなぜか峰不二子
  4. 下宿主のハドスン夫人は影が薄すぎてだいたいあってる。
  5. ロンドン警視庁のレストレード警部も影が薄すぎてだいたいあってる*7
  6. 今回の悪役ブラックウッド卿を演じるマーク・ストロングは役柄上ドラキュラ風だが、ダウニーJr.より彼のほうがむしろオリジナルのホームズっぽい印象。
  7. なーにが黒魔術だ。
  8. ホームズがイタリア語を喋ってる!?id:florentineさんから、あれはフランス語! という指摘を受けました *8 *9*10)(原作の記述から考えると、ホームズはイタリア語に関しては単語程度の知識しか持っていない*11*12
  9. ああ、やっぱりいるのね、あのお人。
  10. コノトリックハ ドイル ジャナイヨ ディクスン・カー ダヨ


……。


とにかく今回の映画、特筆すべきは、ジュード・ロウ演じる医学博士ジョン・H・ワトスンだろう。

君自身は光を放たないにしても、光を伝達する能力はあるんだ。自分では天才を持たず、それでいて天才を刺激する目覚ましい力を備えた人がいる、というわけさ。

バスカヴィル家の犬*13 

ジュード・ワトスンの無法者のごとき強さにはまったく驚かされた。ロバート・ホームズもずいぶん強いが、シャーロック・ホームズはもともと格闘術にもすぐれた人物として「正典」に描かれており、驚くに値しない。ところが、原作ではホームズの完全な引き立て役でしかないワトスンが、この映画ではホームズと(ほぼ)対等な存在として描かれているのだ。敵は殴る首は絞める仕込み杖で斬りまくる容赦なくピストルを撃つという超暴力人間。おそらくホームズの足元でおろおろするしか能のない平凡な常識人ではジュード・ロウも観客も呼べないからだろう。

とにかくまるでブッシュ政権下のアメリカかと思わせるくらい血の気の多いワトスン(イギリス紳士)。むしろホームズのほうがブレア政権下のイギリスよろしくワトスンのそばで子犬みたいにおろおろしているように見える(「子犬」については、こちらですでに言われている)。確かにそのギャップは、面白いといえば面白い。

ジュード・ロウは自分の演じたキャラクターについて「原作を読めば分かるが、彼はアフガニスタンの戦地から帰ってきたタフなファイターで、医師だから血を恐れない。肉体も頭脳もホームズ相手にスパーリングできる男だ」*14などととんでもないことを言っていたが、


ヘイ、ジュード、きみ原作読んでないな*15


……おそらくこのワトスンは「正典」の――アフガニスタンで敵の銃弾に倒れ、なんとか命を取り留めたと思ったら今度は腸チフスにかかって死にかけ、ボロボロになって帰国し「戦争は私には徹頭徹尾災難しかもたらさなかった*16」と嘆く――ワトスンではなく、大英帝国アフガニスタン侵略に際して大虐殺行為を働いてきたワトスンなのだろう。ライオネル・ウィグラムの「原作」がそうなってるいるのだ。間違いない。


というかねえ、結婚するワトスンを引き止めようというホームズの涙ぐましい努力は妙な想像を逞しくさせるじゃないか。アメリカでの著作権者が「二人の同性愛をほのめかすようなら続編は許可しない」とか言ってるそうだが、なんでも「ホームズ/ワトスン」は、「カーク船長/ミスター・スポック」より伝統ある組み合せとかいう話ですよ。

そしてそうなるのも無理ないのではないかと思うくらい、それぞれの相手役となるメアリ・モースタンも、アイリーン・ふじこ・アドラーも、キャラクターとして薄っぺらい(なにしろ彼女たちは「正典」にはほとんど登場しない)。「正典」のみならず、膨大なパロディ・パスティーシュで積み重ねられてきたホームズとワトスンのキャラクターに太刀打ちできていないということなのではないだろうか。


つまり、映画『シャーロック・ホームズ』は、「シャーロック・ホームズ」と「ジョン・H・ワトスン」という、100年の風雪に耐えた人物造形にちょっぴり現代風のアレンジを施した「キャラクター映画」なのである*17


単に鑑賞した人間があまりにもホームズ関連本を読み込みすぎて、度を越した投影をしているだけかもしれない。ホームズを読んだことがない人が見たら、ホームズとワトスン以外のキャラクターの造形に物足りなさを感じることはないかもしれない。「バットマン」のコミックブックすべてを読まなくても、『ダークナイト』が楽しめるように、コナン・ドイルの原作作品を読まなくても映画『シャーロック・ホームズ』は楽しめる、と言いきってもいいかもしれない。


しかしながら。


ホームズの物語といえば、“M”の名を持つ二人のキャラクターが存在する。ありていに言うと、彼らもまた取ってつけたような(「正典」にほとんど顔を出さない)キャラクターだ。ハドスン夫人やレストレード警部のほうがよほど存在感がある*18

続編で“M”が登場するとして、メアリやアイリーンの轍を踏んで薄っぺらくなるのではないか(たとえブラッド・ピットが演じたとしても!)。シャーロキアンの端くれとしては、今からそんな気がしてならない。



いやまあ普通に面白かったんですがね。アメコミも読む雑食性シャーロキアンの補正を考慮に入れても、すさまじくひどい映画ということはありませんでしたよ。でもまあただの娯楽映画かな、ってことで――


すでにリンクしてあるけど映画レビュー的には以下を見るといいんじゃないでしょうか:

個人的××映画「シャーロック・ホームズ」 - 深町秋生のベテラン日記
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100315

【映画2010】シャーロック・ホームズ - 王道
http://www.lennus.com/blog/archives/2010/03/sherlock_holmes.html

どちらも「スティーブン・セガール」について言及しておられる。僕は見たことないけど。


あと、上映前(主演ロバート・ダウニーJr.つながりの)『アイアンマン2』の予告編については多くの人がツッコミを入れてるようだ。でも『アリス・イン・ワンダーランド』の予告編にも反応してしまうのは過剰反応なんだろうな、やっぱり*19


おまけ:

ワトスン抜きの「戦うホームズ」


DVD/Blu-ray出てます。

シャーロック・ホームズ Blu-ray&DVDセット(初回限定生産)

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シャーロック・ホームズVSモンスター [DVD]

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…………ん?





























ところで、吹き替え版はホームズが藤原啓治でワトスンが森川智之だって。

明らかに一部の女性客を狙ってるなと思った。

いいけど。



2012年1月追記:

復習中

*1:「全米興収2億ドルを突破、世界興行4億ドルを突破するなど各国で大ヒットを記録しているため、続編の制作が進められている」Wikipedia:シャーロック・ホームズ (2009年の映画)

*2:紳士階級のひとつ下

*3:それで思い出すのはショーン・コネリー最後の出演作(とか言ってたような気がする)『リーグ・オブ・レジェンド』だ。あれはひどかった。

*4:訂正:id:ROYGBさんからの指摘 http://b.hatena.ne.jp/ROYGB/20100318#bookmark-20082774 で気付きましたが、『未来少年コナン』(宮崎アニメ風で似てる)と『モンタナ・ジョーンズ』(同じイタリアの制作会社が絡んでいる)をごっちゃにした勘違いで、『名探偵ホームズ』はテレビ朝日系列の放映作品でした(僕は『未来少年コナン』と『名探偵ホームズ』をリアルタイムで見てません)。

*5:初出時の負傷箇所は肩だが、のち原作者ドイルの勘違いで脚になった。「両方負傷している」という説も有力。

*6:しかも職業は家庭教師。原作ではコンパニオン(話し相手)。さらに、メアリは天涯孤独だったはずなのに、ワトスンが「彼女の両親に会いに行く」とか言ってた。

*7:それよりその部下の巡査のほうがホームズに協力的なのだが、あれは誰だ?

*8:第三外国語……むにゃむにゃ……

*9:ホームズは祖母がフランス人で、フランス語は堪能である確率が高い。

*10:さらに、id:screwflysolverさんのブックマークコメント http://b.hatena.ne.jp/screwflysolver/20100324#bookmark-20095847 によると、パンフレットに書いてあるそうで、どうやら確定的

*11:cf. 『最後の挨拶』収録「赤い輪」、ただしイタリアの詩人ペトラルカの詩集を読んでいるという記述はある。

*12:というかイタリア語だと思うんだけどスペイン語だったりしたらごめんなさい。

*13:超訳的拙訳

*14:朝日新聞2010年3月12日3面キネマBOX「ロウ版ワトスンはタフガイ」

*15:まめ知識:ねえしってる? ジュード・ロウの両親は「ヘイ・ジュード」から名前をつけたんだって!

*16:『緋色の研究』

*17:もともとホームズは推理小説というより冒険小説、怪奇小説、キャラクター小説といった感じがする

*18:影が薄いって言ったくせに!

*19:W.S.ベアリング=グールドの妄想ホームズ伝記『ベーカー街のシャーロック・ホームズ・世界初の諮問探偵の生涯』によれば、ホームズがオクスフォード大学に入学して最初の友人は、当時40歳の講師チャールズ・ラトウィッジ・ドジスン――すなわちルイス・キャロル――だった、という。ついでに言うと、Wikipediaは、ホームズのフルネームを「ウィリアム・シャーロック・スコット・ホームズ」と記述しているが、これもグールドの著書から来ており、ドイルの原作に根拠はない。