そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

興味と関心の彼我

以下は、

勧善懲悪 - NaokiTakahashiの日記
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090819/p1

のブックマークにつけたコメントをふくらませたもの。特にトラックバックはしない。



※後日追記:なんだか「彼我 読み方」で検索してこられる方が多いようなので書いておきますが「ひが」です。



プラネテス』の、物語として宇宙を描写する設定のリアリティ(≠リアル)を見ると、その漫画世界で描かれる政治にも、「リアリティが出てくるのではないか」などと期待させてしまう面があると思う。僕自身わりとそういう読み方をしてしまう性質なので*1、「全世界規模のテロ組織が、その首魁が転向したことであっさり瓦解してしまう」(二巻)というのは逆の意味でビックリだった。僕みたいなのからすれば、どうしても「そこから分裂して一部先鋭化した過激派が力を持ってもっと大混迷状態になるんじゃないの」というふうには思えて、違和感をぬぐい去れない。


もっとも、ありえないけどもし仮に万が一「なんだこのお花畑展開は」みたいな非難が(例えば商業的に)大きな声を持ったとき、作者が「そんなに政治が読みたきゃ政治漫画読め」と言えるのなら、それはそれで問題ではないと僕は思う(僕自身はプラネテスにそれほどのめり込まなかったからかな)。あるいは、そうした需要に応えた別の漫画が出たり*2、(違法だが)二次創作が出てきたりすることもあるかもしれない。表現者がなにを描くかというのは、もちろん究極的にそのひと自身の問題なのだし。


ロックスミスについていえば、彼は「求道的キャラクター」のきわめて単純なステレオタイプで、アニメでもその人物像が多面性を得たとは言いがたかった。ステレオタイプであることを批判しているわけではない。初出当初に能天気な設定を付与されたアメコミのスーパーヒーローが多くの作家に描き継がれていくにつれ複雑・多面的な人物になっていく、というような流れが好きなので、「ロックスミスはリメイクされたり続編が出たりしてもこの先延々とこのキャラなんだろうな」などと思うと、そういう点で物足りなさを感じてしまう。これは個人的な好みの問題なのでどうしようもない。僕は、ドラえもんは未来世界から派遣されたエージェントだと思っているが*3、そんな僕の妄想が五人以上に支持されるとしたら、まず僕が驚く。「そういう『需要』はほとんどないだろう。この先ずっと」というふうに自分では理解している。


ただ、批評はオタク的な感性からするとある意味「楽しみ」であるわけだから、「どういう作品を描こうと自由」というのと同様、「どういう批評するのも自由」。「政治的な読み解きなんて稚拙だ」という批判があったとして、またその批判自体、人の趣味にケチをつけている面もあるわけで、作品と関係ないところでギスギスするのもなあ。ここはお互いThem and usの精神で、双方が「プラネテスは、政治力学には関心がないようだけど*4トータルとしてよくできた宇宙漫画」みたいな感じでまずは一致して、あとは適当に「なんだその読み方はバカめ!」などと枕投げに興じるのが平和なんじゃなかろーか、と思いました。(※翌々日追記:なんか無理そう……


http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090824/p1あたりに続く。

*1:cf. ゲームと女性と抑圧構造 http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090514/p1 の第五段落「あとはおまけ」のあたり

*2:プラネテスに「応じて」ということではないが、WOWOWでアニメ化された作品がそんな感じか? 注目しなかったのでわかんないけど。『鋼の錬金術師』に対する『ユーベルブラッド』みたいな感じ、というのも違うか……。というか、この種のサブカル作品は「政治」以上に「経済」が描けてなかったりするような気も。

*3:「気象庁専用」などと書かれたアイテムを持っていたというそれだけの根拠で。

*4:『描けていない』ということではなく、そういうものを『オミットした』というところ。たしかに「日本の漫画にはそういう描かれかたがない」という不満はあろうが、作者に対する能力の懐疑を表明し過ぎることも問題かな、と。