そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

ゲームと女性と抑圧構造

via http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090108/p8

※5/19追記:なんか文章としてかなりまとまりがないので、何度か書き直そうと試みたのですが、もとの文章が堅固なまでにまとまりがないので、どうにもうまくいきません(おいおい再挑戦するつもりです)。とりあえず三行でまとめておくと;

1:エロゲー規制は表現の自由に反する、という主張がネットでは大勢のようだけど、なんか過剰反応すぎない? ていうか感情的反発じゃないの、それ。

2:そりゃ僕も表現の自由は最大限守られるべきだと思うけど、ここは男女の非対称性を考える契機にしたほうがいいんじゃないかなあ。

三行いらなかった。

発端

とある国際的人権団体が、口に出すのもなんかアホらしい題名の日本製成年向けゲームを問題視したというニュースがちょっと話題になった。で、非難の高まりを受けてか、流通のみならずメーカーまで早々と販売を中止してしまった。それを「文化の敗北」という人もいるが、おそらく相当なメディアスクラムが(一般からの嫌がらせも)あったろうと思われるので、「表現者の名折れ」などと非難するのもためらいがある(私企業でもあるし)。

僕は基本Macユーザーなので成年向けゲームのことなど知らん――というのは建て前で、いちおうしろうと絵描きとして資料集や画集を読むことはある。悉皆知りつくしているわけではないから内容の暴力性・過激性についてはなんともいえないが、そもそも僕自身は表現の自由に対する一切の制限に反対し、基本的にヘイトスピーチ規制にも賛同しない立場。つらつらと考えたことを記録しておく*1

とりあえず女性差別性という点について

あえて単純にいえば、生物の基本は雌性である。雄性は遺伝子を適度に混ぜあわせる素材にすぎない。非科学的な例えをすると、アダムからイブが作られたのではなく、ルカ*2の「娘」が男を作ったのである。男性は女性にかしずくためにいる。

ところがどういうわけか、この社会は男性優位の構造をとっている。しかも堅固なまでに男性優位的であり、女性が生まれつきの弱者となっている。「ルカの娘」の件といい、「原初女性は太陽であった」というのがどこまで事実なのかはわからないが、現代とは「造られた存在」である男性の復讐がなった時代ということだろうか(な、なんだってー)。

同じ知性である男女の社会的非対称性を解消すべきと考えることは、すでに現代社会のテーゼになっていると思う。女性差別的表現への規制を求める今回のアピールは、現下の社会構造を「切り崩す」ためのひとつの試みであり、その点は評価されてしかるべきだ。この種の表現は「生産」されただけでは差別として完結せず、「消費」されたときはじめて抑圧となるもの。消費者の側にあまり責任の自覚がないわけで、単純所持規制論の趣意はそのあたりを見据えているのだろう(ゾーニングして、「一線を踏み越えさせる自覚を」という意見もあった。「適切なゾーニングとはなにか」というような問題は生まれるが)。

この規制要求が「切り崩し」であるということを理解しないと、単なる「文化へのいちゃもん」に見えてしまう。つまりこれは女性の人権を守るため*3の、ひとつのアプローチにすぎない。言うまでもないことだが、他にも女性差別要因はあり(そして、女性以外への差別と抑圧ともある)、多くの人がそれらの改善のために努力している。もし、このゲームが叩かれたことを唐突に感じる人がいたら、その人は差別について自分が少し無自覚だったと内省する契機にするべきだろう。自分の観測範囲で、ようやくそういう話が出てきたということなのだから。

でもそれは「表層」を見ているだけかもしれない

いっぽう規制論者についていえば、行政や司法に強権を振るわせようということに関して、どのくらい自覚的なのかも疑わしい。「抑圧の体現者である権力」そのものに「一部の抑圧」を解決するよう要求するというのは、表現や教育に対する信頼が低いということなのだろうか。しかし表現や教育の多様性こそが多様な人間を形づくるものではないか。「男女」という「当たり前の型」に疑いを抱かない人は、同性愛を「単なる性的逸脱」と感じがちになるだろう。圧倒的に正しい(と思われがちな)小児性愛表現規制から始まって、規制対象が同性愛表現やその他の表現(特に権力が好まないもの)への規制に敷衍されていく恐れはつねにある。かたや画一的な文化によって育まれた人間、かたや多様性を拒む社会。毎度おなじみ弱い個人と強権社会のもたらす文化のデフレスパイラルである。

「すべての性行為は本質的に強姦である」という言葉があるそうで、それはある面で正しい言葉であると思う*4。男性はもともと特権をもつ抑圧者であるし、女性は被差別者として男性に従わざるを得ない立場にある。男女間の性行為が双方の立場性の認識のないままに行われるとすれば、それは近代社会への無自覚な肯定、抑圧構造への追認といえないだろうか。

まして婚姻など、いうなれば社会の現状に依拠し、その代償にいくばくかの特権を享受するという、被抑圧者の無自覚な愚行だ。近代社会構造そのものが男性優位的である以上、この社会の根本を改めないかぎり、我々のとるすべての社会的行動がいちいちすなわち女性差別といっても過言ではない(ネタ)。つまり、男性のみならず女性自身が無自覚に抑圧構造に加担している。

社会はもともと差別を内包している。規制論者はそこを見ず、わりと短絡的に根元から引っこ抜いてしまえば万事解決と思っているのかもしれないが、枝葉を切ることでも禍根を除くことでも問題は解決しない。土壌を見なければならない。

男性主義的なこの社会の本質的ありように気づかぬまま、ただなんとなく「差別解消になるならよいこと」と考えているような状況はないか。「女性が働きやすい社会をつくる」というのだって、要はこの男性優位的価値観を持つ社会における妥協でしかない。労働という概念がすでに男性主義的であり、女性が資本主義社会で働くということは、(どのように配慮がなされようと)結局は女性を擬似的男性として扱うことでしかない。女性と労働の件でいえば、労働という行為自体の見直し、ひいては資本主義の見直し、もっといって近代科学文明の見直し、プロテスタンティズムの見直し、ギリシャ・ローマ文明の見直しetcetc、といったところまで見据えないかぎり、「女性が差別されているとはどういうことか」は見えてこない。

思い描くこともできない社会

そもそも差別されているのは女性だけではない(だいたい件のゲームのユーザーには、ある種の性的マイノリティだっているだろう。女性の下着だの靴を盗んで逮捕される人がいるけれど、ある意味たいへん気の毒に思う。そんな趣味を持ってしまって)。ある差別構造を解消しても、他の差別が解消しなかったり、あるいは新たな差別を生み出すことはありうる。それらの差別をすべて解消して、真に平等な世界を求めるとすれば、それはどれほど困難なことか(社会を再構築するとして、世の趨勢に逆らわないでも楽に生きられる人と、マジョリティの「専横」に耐えられないマイノリティの不平等性について、どのように考慮すべきだろう?)。

「結婚は女性差別的行為だ」などと言ってもせいぜい失笑されるのがオチ。成人向けゲームの消費は婚姻その他の社会行動に比べて「わかりやすい女性抑圧行為」なので、とりあえずゲームが叩かれるとしてもむべなるかなとは思う。しかし叩く側の安易さもまた気になるところ。わかりやすい差別だけに目がいって、本質的な問題から目を背ける結果にさえなってしまうのではないかと。

もっとも、「じゃあいったい『女性差別的でない社会』とはどんなもんなのか」と言われても、この社会に教育されてきた僕にはちょっと想像もつかない。そこいらのSFなどが描いている「女系社会」というような単純なものではない。なにしろそれは我々の常識を根本から覆すような概念なので、そんなものが存在する可能性を考えることさえ難しいのである。いちど文明をすべてとっぱらって、原始時代からやり直さないかぎり見えてこないのではないかとさえ思う。

まあそういう思考実験にふける暇は社会活動家にはあんまりないだろうし、やはりどうしても「現実的にこの社会から抑圧性をどういうふうに抜き取っていくのか」ということが重視されるのはしかたない。けれども、それは「小手先の解決」にしかならない可能性もあるということで、我々が生きる社会そのものの本質的差別性について目を向けてみることも時には必要かと思う。

あとはおまけ

子供のころ、ゲームで遊んでいると、後ろから親がよく口出ししてきた。敵を倒してお金を稼ぐのは略奪だし、暴力行為の疑似体験が近代的戦争において子供を兵士として養成する最初の一歩にもなりうるとかなんとか。「うるせえなあ」とは思っていたが、成長すると僕自身どうもそんな考え方になってしまった(同じ煩がれるにしても、昔のゲームが良かったとか愚痴るんじゃなくて、子供のゲーム受容にどうコミットしていくかが、親の仕事ってことか)。そんなわけだから、差別性の自覚とかは教育でなんとかなるんじゃないのかなあ、と思っている。逆にいえば、法規制を望まないなら、そういうふうに議論し、社会のありようと自分の内面を徹底的に追求していく覚悟が必要だろう。その結果、その種の娯楽を楽しめなくなっても。

どのみち僕自身の性意識はもう「少女が天から降ってくる」とか「少女だけど暗殺者」とか「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」とか、消費者としても楽しめないし、創作者としても描けない。少年漫画の若くてきれいなお母さんとか、話に絡んでこないヒロインとかもダメだ。成年向けゲームの設定なんか読んでると「アホか」と(でも、これは素人だから気楽に言えているだけだろうな)。あの手のゲームを作ってる人だってわりとそのへんの葛藤はあるんじゃないかと思うけど。


※追記:なんかこのエントリを書いているあいだに未婚男子情報の共有とかなんとかいう話が出てきて、「男性差別だ!」とか怒ってる人がいるようで。でも、「その程度のことでいちいち怒ってたら身が持たないんじゃない?」というようなことは、男性女性によく言ってますよね。同じ言葉を贈りましょうかね。


ところで、僕みたいなのでも、ル=グィンとか読んでるとポリティカリーコレクト臭があまりにも鼻につく、みたいなことはあります。

それでいくと、

ようこそ女たちの王国へ (ハヤカワ文庫SF)

ようこそ女たちの王国へ (ハヤカワ文庫SF)

これを読んで、男性に主体のない社会の描かれかたに居心地の悪さを感じるか、「ハーレムエンド」的なハッピーエンドに満足するか、あるいはこの設定を造り出しながらそれにかこつけた主張をまるでしない作者の踏込みの甘さに物足りなさを感じるか、もしくはこれをFTでなくSF文庫で出す早川書房に腹を立てるか、はたまた「エナミカツミ本文読んでねぇだろ」としか思えない表紙イラストのキャラクターたちに怒り(以下略)――とまあ自分の問題意識がどこにあるか(あるいはないか)内省してみるのにけっこうお勧めかも。

*1:「他にも問題視すべき表現があるのになんでこれを」とかいう意見に対しては、「お願いですから黙っていてください」と言いたい。「問題視すべき表現」などない。

*2:LUCA - Last Universal Common Ancestor : cf. Wikipedia:共通祖先

*3:こういったゲームに触れた人が抑圧者として教育されることへの抵抗というか。

*4:ただしその発言者は「政治的中傷」と否定しているらしい。cf. http://www.jrcl.net/frame13a4.html