そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

文章力が向上する、たったふたつの冴(以下略)

答えは言わずもがな:たくさん読み、たくさん書くことです。

ライフハック終わり。

去年の今ごろのこと、僕は、

猫も杓子も泣く子も地頭もすなるブログといふものを、閑人もしてみむとてするなり

と、突然の思いつきにより、悪名高いYahoo!ブログを間借りして試行錯誤していた。なんでYahoo!ブログかといえば、どのブログ比較サイトでも「圧倒的にお薦めできない」とされていたからである。

オススメされない理由は、やってみたらわかった。没個性的で画一的なテンプレートはカスタマイズの余地もなく、SNSの「足あと」機能的な「訪問者履歴」は自動巡回ツールを使っている人で埋めつくされ、あげく出会い系だの情報商材だの外部ブログへ誘導するためのリンクつきコメントやトラックバックが来るわ来るわ(しかもそれらは一括管理できない)。

二ヵ月弱で投げ出した。個人的にはトラックバックの意味を理解できたのでよしとする。

昨日、そんなYahoo!ブログでの懐かしい日々――ギブアップ前に手作業でバックアップした過去ログ*1を懐かしく読み返そうとしたのだが、

よ、読めない!(より正確に言うと、読めるけど痛くて読み進められない!!)

なんということでしょう。わずか一年前の文章なのに、あまりにも恥ずかしすぎるのである(そのわりに成長した実感がまるでないのは納得いきません先生!)。これは消して正解だった。てゆうかこの前、「このダイアリーの過去エントリは決して消さない」と見得を切ったばっかりなのに、先が思いやられるなあ、このエントリも後で恥ずかしくなる運命なんだろうなあ……なんてことを考えていたら、

わたしの文章修行 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090511/p1

なんて話題が。いや別に乗っかるつもりは。

まあ世に技法書の類は尽きまじというか、文章読本系の本は様々ある。達意の文章をあなたにも、というより、単なる作家の美意識(というか自意識)の発露という気はしないでもないけど。

谷崎、三島、丸谷才一などは僕もひととおり読んだ(つもり)。もちろん読んだだけで文章は上達しない。絵の技法書を見ただけで上達するということはないのだから、文章読本だって読むだけじゃだめなんじゃないかなー、と。

僕が子供のころから読んでいるのは、井上ひさしの『自家製 文章読本 (新潮文庫)』と『私家版 日本語文法 (新潮文庫)』、本多勝一の『日本語の作文技術 (朝日文庫)』と『実戦・日本語の作文技術 (朝日文庫)』。これはもう父の趣味だろう。

小学校のころから作文はそれなりに(あくまでも「それなりに」!)得意だった。それもこれもいま挙げた四冊と、ろくに勉強もせず読みふけったフィクション・ノンフィクション類の賜物。翻って自分のキャパシティを考えると、もし僕がちゃんと家で宿題をするような「いい子」だったとしたら、そのかわり本などろくに読まなかったろうし、いまこうしてブログなども書いていなかったと思う。どっちがよかったかは知らん。

最近になって思うのはやはり父の影響である。僕の父もいちおう物書きで、仕事を離れるとちょっとひねくれた文章を書く人だった(自治会役員のとき筆禍事件を起こしたこともあった)。なんだかんだいって、父の文章はよく読んでいる。活字になったものだけでなく、僕へのちょっとした書き置きや、書き損じたファクシミリの送信文なんかを。

父の友人知人から、僕の文章が父のそれに似ていると言われたことも幾度かあったが、そのときは気にも止めなかった。というか「文章が父に似るより、どうせなら絵が(絵描きの)母に似ているほうがいいなー」などと考えていた。今は父の書いた文章を読みかえして「ひねくれたところは確かに似ている」と感じつつも、「まだこんなふうには書けない」ととぐろを巻いている。舌も尻尾も巻く気はないので、まあいずれ。

ところで、父の顔立ちにも似てきたと言われているのだが、頭も似ると困るな。

*1:ちなみに、データのエクスポートもできない。