そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

200X.10.5の覚え書き

【問】魂に男女の差がある*1と考えるのは、人間主観主義に過ぎないのではないか?

――「人間主観主義」そのものが魂の世界(そんなものがあるとして)に引きずられているとしたらどうだろう。つまり、人間主観主義とは、人間が優れているがゆえにそうなるのではなく、人間が現実にそのような形態として存在する、という状態に至らしめる見えざる意思そのものの主観的客観として捉えることができるのではないか。

確かに無性生物に性別はない。無性生物と人間の魂の本質が同じものだとしたら(先祖を一にするのだから、この仮定はかなり蓋然性がある)、人間の魂は無性生物と同じものを男女に埋め込まれ、つまり、魂としては同じものでありながら、ただ現実質量としては男女の肉体の違いがあるというふうに考えられるのだ。

しかし、魂の本質・価値の等価性があらゆる生物をして同じものだとしても、だからといってそのことが魂の同一性を完全に担保するものと考えることは、それがすなわち人間主観主義なのかも知れない。人間に限ったことではないが、男女の機能の別がある身体には、ハードウェア(肉体)が誕生した時点でふさわしいソフトウェアとしてジャスティファイされた男の魂、女の魂というものが用意されることとてあり得るのだ。それでいてそれらの魂に価値の差異なしとすることは受け入れられぬことではなかろう。

そもそも、魂などというものがどのようにして作られているかなど、誰も知らないのだし、もし人類が新しい性の概念を誕生させたなら、それに合わせて、「あちらの世界」ではまったく新しい魂の形が生み出されることだってあるのかもしれない。平等であることと差異のあることは同一の基準ではないのだ。

男女は平等でしかるべきと考えたとき、人間の根源たる魂の存在を仮定して、その魂とは人間の平等さゆえに、肉体的な特徴であるにすぎない性差など存在しないと妄信することが、じつはそれが自分のイデオロギーにあわせたうえでの人間主観主義なのだと、そのことも考慮しなければなるまい。

※2009.2.1における感想:自分がなに言ってんだかわかんない。


inspired by

過去の自分を否定するのはイージーでとても楽しい - 魔王14歳の幸福な電波
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20090131/1233402724


アブラハム、モーゼ、イエスムハンマド――どうして神は新しい予言者をよこさないのか。今までのことは間違いでしたと……」

「そりゃあ、神様なんて、端ッからいないからじゃないか?」

「いや、神はおられるよ。神はおられる――ただ、見ておられるだけだがね」

*1:※2008.2.1追記:ここは「男女の差がない」と書くべきだったのかな?