そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

久々に呆れた

昨日(12月15日・月曜日)のことですが、朝日新聞の夕刊「仕事中おじゃまします」という企画で、仏文学者の鹿島茂さんという方が取りあげられていました。本についての話題で、かなりイラッとする内容。義憤*1にかられてエントリを書こうかとも思いましたが、それは大人気ないので放置しようかなと、新聞を放り投げました。

ところが、一日経っても腹立たしさが収まりません。むしろいら立ちが強まっています。本の恨みは恐ろしいのです。

というわけで、どのあたりに腹が立ったのかだけ指摘しておくことにしましょう。

鹿島さんは神田の古書店街近くに仕事場を持ち、散歩がてら店先に置かれている引き取り手を求める無料の古本をいちいちチェックするのだとか。すると「困ったことに」欲しい本や値うちのある本が投げ置かれているそうで、鹿島さんはこう考えるのです(以下の引用はすべて2008年12月15日の朝日新聞夕刊〔東京版〕から):

「何で、この本が無料なの? 価値がわからない人間にもらわれるよりは、僕がもらってやらなければ、本が浮かばれない」

……ちょっと、なんですかそれ! どこから突っ込めばいいんですかね? まるで、そのままにしておいたら僕のような無学無才の人間が、ただ無料だからという理由だけで持って帰るみたいな言いぐさじゃないですか。しかも「もらってやらなければ、本が浮かばれない」って、何様ですか。「他の本好きには申し訳ないが、早い者勝ちも縁のうち。僕がいただこう」とか、嘘でもいいから言えないんですかね。そんなに価値があるんだったら古本屋さんにお金払ったらどうですかね。まあ正直なのは結構ですけど。

そうした古本あさりで100冊ちかい筑摩の「現代日本文学全集」を入手したという釣果や、新聞・雑誌の書評委員を務めているから本はタダでもらえるという*2役得や、新刊書は月に10万円は買い、フランスでは100kg単位で専門書を仕入れるという豪語――そういう自慢話が続いてさらにムカ微笑ましいかぎりですが、最後がまたよろしくない。

鹿島さんは「ふたつの仮説を持っている」と記事はまとめにかかります。

(1)古本を粗末にする時代はそのうち終わり、本に価値がどんどんと出て、蔵書家のステータスが上がる時代が間もなく来る。
(2)次世代は、本を精力的に読む一部知識層が、本を読まない多数のネット層を支配する。

…………「エリート意識が強く上流階級になろうとあがく、どうしようもないくらいの中流階級」というフレーズが頭をよぎりました。古本あさりなんてみっともないことは下々の人間に任せてくれませんか。

この「仮説」について、いろいろな点でid:y_arimばりの罵倒が――コメントをかわしたこともなく、よくは存じ上げない有村さんがこの件に対しどういうふうにお感じになるかはもちろんわかりませんし、こんなところで引き合いに出して申し訳ないのですが、他に適当な例えが思いつかなかったので――頭に浮かんだのですが、貧者の遠吠えも詮無いことなのでやめておきましょう。

ただし一言だけ。

「蔵書家はステータス」――というのはまあいいです。しかし問題は、蔵書能力を持たない人*3や蔵書という概念を知らない人、そういう「多数」に対して、鹿島さんをはじめとする知識層がどのようなアプローチをすることではないですかね。同じ古くさいでも、啓蒙主義の方がまだマシ。「支配する」とはよく言ったものです。支配されるほうはたまったもんじゃないぞ。

「本は人を裏切らない」
 来年還暦を迎えるフランス文学者の人生訓である。

……………………これを読んで、全国の「ネットがよくわからないから新聞を読んでいる中高年」が、したり顔でうなずくっていうオチですか。

というわけで、鹿島さんに、というより、むしろオールドメディアに対する敵意を強くした、というお話でした。

*1:衝動、のまちがい。

*2:どこかのアルファブロガーみたいな。

*3:本は「購入費」だけでなく「場所代」という経費がかかります。