そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

どこから応答すりゃいいのやら(一部修正・補筆済)

例によってIDコール飛ばしまくりの巻。またやたら長くなったので、ダイアリー検索でご自分の言及のされかたをご確認ください(IDを晒すことが目的ではありませんので、言及を望まないという方はご連絡ください。ご主張の引用はそのままにしますが、ID言及を削除することにやぶさかではありません)。敬称略。

※7月25日修正:

もともと「IDを晒しあげる」ことを意図したわけではなく、言及通知としてIDコール記法をしたものなので、ほとぼりも冷めたところでID部分を削除しました。また、この十把一からげなやり方には苦情や批判もあり、次はコールごとにエントリを分割するなどのやり方を考えています。言及が一部なのに全部読まされちゃたまんないでしょうしなあ。

以上修正に関する補記終わり


※翌日追記:

「核実験に反対する記述がない」ことをもって「核擁護」と言われているんですけど、文中で核兵器や核抑止に対して疑問を呈しているだけでは不十分ですか。

折に触れて「核実験は言語道断で許しがたい」「日本人として核実験は容認できない」と書けばいいんでしょうか。

でもそれってなんか、朝鮮中央通信が総書記の名前に触れる際に必ず「祖国と人民の偉大なる領導者」と言わなきゃいけないみたいな感じがして気持ち悪いんですが。

また、トラックバックをいただいたので返答しました。→ http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090527/p1

以上追記終わり

「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか - 訳者あとがきβ版
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413

に、きっと「通りすがり」的コメントが大発生するだろうと思ってたら案の定。

僕がつけたコメントは以下:

id:islecape 社会 メタブに続く 米露中韓日と軍事大国に囲まれてりゃ核のひとつも持ちたくなるだろう。大日本帝国がそうしなかったのは単に原爆を知らなかっただけだし。日本が北朝鮮(体制)にとってどれほど脅威なのか考えないで圧力ばっかじゃ。

100文字。

これについては、id:blacksorceryから「重箱の隅的な話だけど、日本軍は原爆を知っていて作ろうとしたけど作れなかったらしいです。http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-August/002818.html)というコールをいただきました。わざわざすいません。

旧軍が原爆開発を試みたのかどうか、そのへん僕も知識があやふやなのであんな書き方になりましたが、要するに原爆が「強力な爆弾」程度の認識だった当時は、「核抑止」目的のカード(恫喝の道具)として使えるということを「知らなかった」から作らなかった――それは技術力の限界というより、カードの価値に気づくことができなかったから(ポーカーで「フルハウス」を「ツーペアとスリーペアか、もっといい役を狙おう」とバラしてしまうような感じと言いましょうか)――というニュアンスを込めたつもりですが、無理ですか。

核抑止論が定着している現在、大日本帝国なみのメンタリティを持った国があるとすれば、核をしゃにむに開発してもおかしくはないし、当時の日本は「核を使った恫喝」というカードを知らなかったから、傾注しなかっただけではないのだろうか(つまり、技術がともなっていたら、日本も早々と核保有国になっていたかも)……ということを言いたかったのでした。


さて本題。「訳者あとがきβ版」にこう書いてあります。

これでまた、うんざりするような憶測報道と朝鮮バッシングが続くのだろう。

いちおう説明をしておくと、北朝鮮がなにかとんちんかんなことをするたび、日本のネット世論はそれを口実にしてヘイトスピーチをまきちらすという流れがあり、id:mujigeはそうした風潮に強い口調で対抗してきた方なので、ブログで何か発言するたび雨後のタケノコのように批判者がわいて出てきます。それはネットではわりとおなじみの光景ですし、「放っておいてそれほど脅威になると思われない」とスルーする人もいるかもしれませんが、僕はそうも思いません。

Webは、個人がはじめて手にした自由なメディアです。それをしょーもない読み違えを喧伝するために使うのは無責任ではないでしょうか。そうして残ったログには一種の教育効果もあります。

北朝鮮たたきに腐心する暇があったらあの国の敵愾心がどういうものか考えたら」というようなエントリに「北朝鮮は擁護できない」「こんなエントリは許せない」というコメントスクラムが発生する。

ついでに個人攻撃も混じる。

普通に見てる人が引く。

自分の思うところを述べるのをためらう。

あるいは勘違いしてレギオンに刷り込まれる。

つくづく日本は言論の自由があっていいなぁ、って思うよ。それはさておき、そろそろ俺達も核持っとくか。

北朝鮮は言論を圧殺するひどい体制だ」と言う人がいますが、日本なんか圧殺されるわけでもないのに「空気読め」オーラひとつで言論が萎縮するという、まるで議論に向かない国だと思いますけどどうですか。

言論の自由があっていい」というのは、反語的に「こういう気に入らない意見はできることなら取り締まりたい」とも読めるのですけど、これは僕の読み違えでしょうか。また、日本の核保有は法的にも技術的にも道義的にも困難だと思います。核を手にしたとしてどのようなビジョンを思い描いておられるのでしょうか。せっかくの「言論の自由」があるのですから、反対意見があるならぜひお聞かせください。

先ほど僕が「原爆を知らなかった」うんぬんの経緯を400字かけて述べたように、ブックマークの100文字で自分の思いを書ききるのは非常に困難です。僕もブックマークページのブックマーク(メタブ)で追記していきましたが、限界に達してしまったので、二本目のメタブタワーを作るよりはと、エントリにしました。

id:mujigeの今回のエントリに異論がある方は、ただ「おかしい」といいつのるだけではなく、どの辺がどうおかしいのか、ブログなどに思うところを余すところなく書き切ってもらいたいと思います。


ブログサービスを利用されてない方も多いようなので、

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まあそれはともかく。

まずひとつどうしても言いたいのは、件のエントリを読んで「北朝鮮の体制と核実験を擁護している」と言う人がかなりいることです。そうなんでしょうか?

冷戦時代のようなソ連の後ろ盾を朝鮮が失ったことを思えば、朝鮮が独自の「核の傘」を構築し、それを背景にアメリカに対して対等な立場で核軍縮交渉と平和条約締結を進めようとするのは、あまりにもわかりやすい合理的な行動といえる。

例えばここで「合理的」と書いてあることをもって「核擁護」と読めるとするなら、ちょっと驚きです。ここで主眼になっているのは「北朝鮮の体制側がどう考えるか」であって「日本人がどう考えるか」ではありませんし、北朝鮮アメリカ大統領の核廃絶アピールや、被爆国である日本の感情を忖度してくれるような空気の読める国なら誰も苦労しません。ひょっとすると「日本人の悪い特性」というやつかもしれませんが、「相手の考えを推し量ることを強いる社会のわりには、自分に受け入れがたい敵対する相手の考えを披露することには敏感」ってことですか。心理戦争にも不向きですねこの国。

あるいは僕のブックマークコメント「核のひとつも持ちたくなるだろう」を切り取って補強に使うと「北の核保有やむなし」と見えてしまうのかもしれませんが(そういう意図はありませんし、これについてはあとで述べます)、id:mujigeのエントリが北の体制を擁護しているというふうには、僕は読めませんでした。ことによると、批判をしている人は僕のコメントに引きずられたのではないでしょうか? だったら悪いことしましたねえ。

核実験や北体制は擁護することはできない派:

ちょっと無理があると思う。というか、これじゃ無理やり将軍様擁護しましたと受け取られても仕方ない。あの国では我々が想像もできないほど国民が虐げられてるし、今この状況下で核を向けてくる言い訳にはならない

usataroさんの発言に基本的には同意かな。このブクコメにも張り付いているネトウヨさんたちは確かにそれはそれで非常に問題だが、核実験は絶対に許容できないもの。米国、中国、ロシア、イスラエルのもね。

小国と大国が対等に付き合うため核を持つというのは合理的か? むしろ、核以外の方法を求めて、広島長崎以後、世界中が様々な努力をしてきたのではないか。ここで核を肯定することは、その努力の否定にならないか。

政治 社会 軍事 日本はアメリカの核に守られているから、核軍縮を唱えるのは二枚舌。北朝鮮の核実験に文句を言うな。ということでしょうか

国民を飢餓で苦しめておいて、そりゃないだろうよ……

「日本の被爆者に失礼」という方とはメタブでやりとりをして了解は得たのですが、「擁護していると誤解を与える書き方ではある」というお叱りを(僕が)受けました。

でも主眼は、北朝鮮を擁護することより、北朝鮮の置かれた現状を考え、ただ批判するだけの思考停止状態から一歩踏み出してはどうか、というところにあるのではないかと(北朝鮮を語る際はいちいち批判するか擁護するか立ち位置をはっきりさせなきゃならないというのは、どうなんでしょう。アメリカを語るときにいちいちそんなことを求められますか?)。そのあたり、いま言及した方たちはどうお考えでしょう(「書き方に首を傾げるところがある」というid:usataroからはトラックバックをいただきましたので、別エントリにて返答しました)。僕の読解力に問題があるのかどうなのか*1 *2、そのへんのところを指摘していただければありがたいのですが。

北朝鮮は、アメリカと交渉し有利な条件を引き出したい。なにしろアメリカ自身は世界最大の核保有国で、それどころか核なしでも北朝鮮を壊滅できるであろう世界最大の軍事大国。また日本はアメリカの核の傘の下にあり、過去の植民地支配に対する補償もないまま北朝鮮に虎の威を借る狐のごとく圧迫的(と、向こうは思っている。「北の拉致は……」というのはひとまず待ってください)。同じく核大国である中国やロシアはある程度北朝鮮に遠慮することもあるけれど、その関係は日米ほどには「強固(?)」ではない。こうした状況で北朝鮮が核実験をするのは、(戦略的にも道義的にも正しいかどうかはさておき)ひとつの選択ではある――こういう状況で、日本人が自身の内省なしに、例えば「自分たちは『唯一の』被爆国なのに!」などと憤ってみせることは、必ずしもフェアな態度とはいえないように思います。しかも、そういう指摘をしている人が核実験に「遺憾の意」を表明していないことをもって、「北朝鮮の核実験に抗議してないくせに、なんだその態度は!」などと文句をつけるのは、自分を正当化しているようにも見えます。誰かが北朝鮮批判をしないことは自分たちの得点にすることはできません。優先すべきなのは別のことだと思います。

北朝鮮の抑圧的な独裁体制が国民を苦しめていることへの義憤は理解できますけれども、そもそも「北朝鮮の国民にも普通の生活がある」というようなことを書いた後段の再録エピソード(「核実験の日、ピョンヤンにて」)を見て、もしそれで「北擁護だ!」と怒っているとすれば、それは、中国映画で「人間としての日本兵」が登場したら中国人が吹き上がるのと同じような反応だと思うのですが、どうでしょう。「北の体制は許せぬ。ゆえに北の国民が抑圧体制に無自覚な生活を送っていることを、『朝鮮人も普通の人間』というかたちのメッセージにして発することは許せぬ」という怒りかたになっていませんか。

北朝鮮の独裁体制がしょうもないことは、日本に暮らしていれば疑いを差し挟むのも憚られることです。今どき「北朝鮮は地上の楽園です」なんて言ったら「アホか」と思われます(昔はそうじゃなかったらしいけど)。僕は罵倒表現はしないことをポリシーにしていますが、もし罵倒で北朝鮮の独裁体制が崩壊するなら、いくらでも言いますよ。でも、そもそも「北朝鮮はひどい!」なんて、なんの発見もないことを数を頼んで翻訳家に言ってどうなるんですか。「よく気付きまちたねー、偉いでちゅねー」とでも言ってほしいのでしょうか(北朝鮮でそれを言ったとすればじつに立派だと思いますけど)。それで素朴な正義感に駆られた人たちから30個スターをもらうより、id:munyuu(すいません、今回は来てないのに呼んでしまって)に30回罵倒されるとしても、スクラムに逆らって自分の考えを述べるほうがマシだと思いますし、僕はそうします。

「どうして北朝鮮は非合理的なまでに核にこだわるのか」、それは「北朝鮮が、核にこだわることが『合理的』と考えられるような『限界状況』(Grenzsituation)にある」ということに他なりません。イラクの二の舞を怖れているのだと。それがこのエントリの無言の前提です(違うでしょうか?)。今回のid:mujigeのエントリを、自分の「北朝鮮批判、核実験批判コメント」のために使うことは、エントリが行った問題提起(北朝鮮の劣位性)から話を逸らす行為のように思えます。それは、自身のブログメディアで行うべきことです。

これはひどい ←このタグしかない/小国が大国に対抗する核を持つことを容認するのがさっぱり分からん。今以上に世界中が混乱するのがイイということかな。

今までの説明で納得いただけたでしょうか。

もう失うものはほとんどない北朝鮮からすれば、核を手にすれば、簡単には攻め込まれないだろう(と思っている)し、その技術を売り払っていくばくかのお金を手に入れることもできます。それに対して日本は対北朝鮮カードを切り過ぎて手札ゼロ、何もできません。あとは周辺国(特にロシアと中国)を味方に引き入れる外交をするしかないでしょうが、できるんでしょうかねえ。

日本の政治は表面的には制裁一辺倒にしか見えませんけど、ちゃんと水面下で飴を用意しているんでしょうか。外交下手と言われまくりですからねえ。個々の日本人はこの件に関して世論を形成することしかできませんが、有権者が「あの弱小国家を痛めつけて降参するのを待てばいい」的な考えしか持ちえないとすれば、この国の外交はえらく単調で稚拙なものになるでしょう。だから考えることが重要なのです。

北朝鮮を先制攻撃すべきでしょうか? 予防戦争は憲法の拡大解釈を逸脱しすぎではないでしょうか? 憲法を変えるのですか? 攻撃して体制が崩壊した結果、難民が九州あたりに押し寄せる可能性についてはどうお考えですか? ブッシュ・ドクトリンのイラクでの輝かしい成果は考慮のうちですか? だいたい自衛隊を治安維持のために派遣できるんでしょうか? この大不況下、駐留費用の財源は?

あるいは日本も核を持つべきでしょうか? 核開発競争をするのですか? 反発するであろう中国なども相手にして? 『チャップリンの独裁者』で座高調整椅子のシーンを見たことありませんか、不毛だと思うんですがどうです? それに被爆国の大義は失いますよ。国際社会の反発を受けることにもなるでしょうね? なにより、アメリカに逆らえますか? だいたい核資源をどこから調達します? そもそも北朝鮮に撃つんですか? そうなったら被爆国の大義どころじゃないですよ。隣国のロシア・中国・韓国もヘタすりゃ巻き添えです。てゆうか日本海側の人だって困るでしょ。だいたい向こうが撃ってきたら、こっちが撃ったっておしまいじゃないですか。

100文字ではないコメントをお聞かせください。

核武装してアメリカとチキンレースするしか北朝鮮には選択肢はないし、その元凶は日本にあるってこと?そんなバナナ。いつも皆様が仰る対話はどこへ?むしろ現状オバマ政権なら核廃棄のほうが有効なカードじゃない?

オバマ政権なら各廃棄のほうが有効」というのはまったくその通りだとは思います。確かに北朝鮮の今回の核実験は、どうしてもうまいやり方には思えません。でも、繰り返しになりますが、それが北朝鮮の崖っぷちぶりってことじゃないでしょうか。瀬戸際外交ってやつ。さすがにそろそろ通用しなくなるのではないかと思いますが、そこが危ういところでもあります(矛を収めるより、より過激な手段に出るという可能性も)。

「核が合理的」という言い方が悪いなら、北朝鮮の体制にとってもう「すがるものは核しかない」ということでどうでしょう。一発逆転の切り札(のつもり)なのだと。なにしろあの総書記は、父親の前で「朝鮮のない地球なんか要らない。もし共和国が負けるとすれば、それは地球が壊れ、人類が滅びるときだ」*3とか言って、その意気を買われて?後継に任命されたとかいう話です。破滅の日にはミサイルを撃ちまくるかもしれません。リビアが賢明だったからといって、北朝鮮も同じことができると考えるのは、あまりにも日本人すぎる素朴な感覚ではないかと思います。


で、僕は北朝鮮を見ると昔の日本と比べずにはいられないんですけど、他の人はどうなんでしょうね。たとえば日本軍は特攻隊を「合理的」と考えてたんではないでしょうか。操縦者付きのミサイルだから命中率アップ! みたいな。回天なんてのもありましたね。人の命を浪費する兵器なんて僕は超非合理だと思いますけど、GOを出した人はそうは思わなかったんでしょうね。それはなにかしらの自己保身のためということもあったでしょうが、北の核戦略が「合理的」というのはそうした含みを持たせた言葉ではないかと思うのです。

だいたい昔の日本だって、植民地を放棄したら制裁されなかったわけでしょ。圧倒的物量差のアメリカに無謀にも戦いを挑み、各都市を爆撃されたあげく原爆をふたつも落とされて、けっきょく完全に武装解除して、「なんて愚かなことをしたもんだ」と思わないでしょうか。そんなことなら、はじめから無条件降伏していればよかったのに。

日本が抵抗していなかったら、アジアはアフリカのごとく欧米帝国主義によって支配されていただろうって? 日本が戦ったからアジアの解放につながった? じゃあ、ひょっとしたら北朝鮮が抵抗することもナニカの解放につながるかもしれませんねぇ(北朝鮮の無条件降伏は、大日本帝国と同じようにありえなさそうに思えます。ならばせめて、それができずに戦争の道をひた走って大コケした日本みたいにならないような道を示せないでしょうか?)。

日本は「脱亜入欧」の最終段階として、帝国主義の道を進みました。帝国主義の脅威に直面するアジア諸国と連帯するのではなく、自分だけがアジアの盟主として君臨する道を選び、そして見事に失敗したのです。もし、日本が奇跡的に戦争をうやむやのうちに終わらせ、どうにか植民地を維持したまま二十一世紀を迎えていたとすれば、その日本は満州・韓国・台湾の宗主国として適度に栄えていることでしょう。そして、おそらく日本人よりは独立心旺盛な大陸民族が挫けることなく繰り返すであろう独立運動を必死に阻んでたりして。でも、もちろん、その帝国主義覇権国家に僕たちが生まれることはありません。

僕たちが生まれたのは、まわりの迷惑も顧みずアジアの王をしゃにむに目指して、そのあげく失敗した「栄華のその後」の国です。ヘタをすれば朝鮮や韓国と同様に分割統治されていたところを運良くアメリカに庇護され、そして米ソの冷戦構造に怯えながら、自分がかつて手出ししたせいもあって南北に分断された国の内戦を足掛かりに、運良く世界有数の経済大国にのぼりつめた国です(経済大国として第三世界を搾取しているとかそういう話はここではオミット)。

id:mujigeから、

主人は奴隷から自由になれない

という言葉を聞きました。僕はそれを「原罪」とか「業(カルマ)」と捉えています。誰かを抑圧して得た利益が祖先を一度もでも潤したとすれば、その歴史について子孫が自覚しないでいることは間違いなく無責任です。いちど宗主国になった国の人間として責任は感じませんか。もちろんそれはあらゆる国々について言えることで、特に欧米諸国は日本以上に罪深いとも思います。しかし(欧米に反省を促すことが無意味とは思いませんが)「欧米がそれほど反省していないから日本も反省しないでいい」などとは思えません。欧米の植民地支配は日本には若干ひとごとですが、日本の過去の植民地支配はどこまでいっても日本の問題です。

だいぶ以前、こんな記事がありました。

唐辛子(トウガラシ)日本伝来説に異論
http://www.in-ava.com/hosoku03.html

簡単に言うと、「唐辛子は韓国料理に重要な素材で、豊臣秀吉がもたらしたものとされていました。ところが調べた結果、実は秀吉以前に朝鮮に存在していたことがわかりました。つまり日本経由ではなかったわけ。やったね!」というような記事です。

これを読んでバカバカしいと思う人もいるかもしれません。でも、「韓国・朝鮮がねじまがっている」と言う前に、そのトラウマの引き金を引いたのは日本ではないのかという内省にはつながりませんか。欧米の帝国主義ではなく、他でもない日本の帝国主義のせいだと(もしかしたら、欧米支配ならこれほどにはならなかったかもしれません。「日本なんかに支配された!」というアジアのアジア蔑視内在化というか)。「唐辛子がどこから来たとか、そんなことをいつまで気にしているんだ」などと、僕には言えません。

id:islecape歴史的経緯(笑とか、頭大丈夫ですか?それだとベルサイユ条約に対するナチス元寇に対する前期倭寇等々、全て正当化されますよ?フランスやポーランドで同じこと言えますか?

僕は「歴史的経緯で北朝鮮がねじれた」とは言いましたけれども、その「ねじれた北朝鮮を支持している」とはひとことも言っていませんし、僕の論理が「ナチスを正当化している」とおっしゃるのがいまいち理解できません。「北朝鮮がねじれているからって、日本はそれをただ『迷惑だから』と叩き潰せばいいのか」と言いたいのです(「北朝鮮を跡形もなく消しさるべき」という意見には賛成できません*4)。国と国の関係はいつも「お互いさま」で、「今」は北朝鮮の「無茶ぶり」がやたら目立っているということだと思います。問題は未来をどうするかです(つまり、日本が北朝鮮に妥協する可能性はあるのかどうか、そのあたりを考えるべきではないのかと)。もし本当に僕の頭を心配していただけるのでしたら、表現の拙さについてご指摘ください。フランスやポーランド自由主義国家ですから、もし僕の主張を、かの国の人々が「ナチス擁護に通じる」などと感じたとしても、僕は生きて帰れるんじゃないでしょうか。

こんだけ素朴にレゾンデタ重視すると、帝国主義核武装、韓満人民≒北朝鮮国民の論理展開で、仏印進駐までの大日本帝国の行動が正当化できるような。NPTは9カ国条約体制と同じようなもんだしなー

ナチスドイツや大日本帝国が正当化されないように、北朝鮮も将来正当化されなくなると思います。元冦は記憶する人がいないため、いま日本でモンゴルを批判する人はいないでしょうが、日本が千年後に中国や朝鮮から非難され続けるかどうかはわかりません。元冦の記録が絵巻物ていどであるというのとは違って、いくばくかの記録資料が残っているようなので(「捏造」論争などは起きると思いますが)、扱いは変わるのでないでしょうか。追跡調査が可能になっていく(時代があとになる)ほど、犯罪行為は厳しく追求されるのではないかと(北朝鮮体制は自国民抑圧装置としては大日本帝国より批判されるかな?)。


日本人は日本の戦争計画に一票を投じたことはありません。でも、戦争を引き起こした人たちの裔です。このさき日本人は「日本はかつて植民地支配を企て、失敗した」と永遠に言われ続けるでしょう。それはなぜかと言えば、失敗したからです。その非難をこの先ずっと甘受しなければならないかもしれません。「いつまで謝らなければならないんだ」という反発は通用しないと思います。それが「敗者の運命」*5ということなのでしょう。

かつてこの国は、異なる価値観を圧殺し、すべてを日本化する計画を立てました。批判するものを許さない世界を作ろうとして、けっきょくそれはかないませんでした。能力がそれを許さなかったからです。時代の意志だったのかもしれません。

しかし、能力があったなら――時代の後押しがあったなら、それを成しとげても良かったのでしょうか? そうならなかった「今」を僕たちがどう評価するべきなのかが問われているのだと思います。



■おまけ

メタブが限界なので、ここでコール。

id:tano13 北朝鮮 国際 軍事 アメリカの核の傘から抜け出したら、日本も中国や北朝鮮の核から身を守るために核武装しなくてはいけなくなる。それにアメリカからの核攻撃の可能性が核武装の理由なのになぜ原因を日本に求めるのかわからん

核の傘から抜け出したら」「核武装しなくてはいけなくなる」というのはずいぶん飛躍があるのでは。そもそも核抑止力って本当かよと。で、北朝鮮の考えそうなこととしては、ひとつには、アメリカ本土に核撃能力がないから。もうひとつは、日本が憎いからってことでいかが(どうしてそんなに憎まれなきゃいけないかは本文に書きました。簡単に言うと「旧宗主国の責任」で)。

id:inumash 社会 政治 同じ核保有国のパキスタンアメリカの傀儡やってるぞ。逆にインドは“核の力”ではなく優れた教育で人的資源を活用し国際社会での地位を向上させている。数万人規模で国民を餓死させる独裁政権がそんなに大事かい?

パキスタンとインドは日朝と同様に国力が非対称で、パキスタンからすればとりあえず核抑止力を信じて核保有国となった以上、あとはアメリカの傀儡をやってでも生き残るしかないってことでしょう。あと「独裁政権が」「大事」って、どこに書いてあります?

*1:僕は国語の偏差値70くらいで、人並みにものを読む能力があると自負しているのですが、日本の国語教育はそうとう問題ってことでしょうかねえ。

*2:※追記:↑の脚注はちょっとは受けたような滑ったような不快感を受けたような感じ。「差値とかじゃなくてってるからだろ」というようなツッコミとか、あるいは旧帝大クラス偏差値80が来たら僕大困惑みたいなことになると思ったんですが。そもそもいちいち証明するつもりはないので、その限りは「自称偏差値70」なんですけど。

*3:このソースは『ブッシュ妄言録2』ですが。

*4:引用先の人は「そんなこと言ってません」(これは冗談ですよ)。

*5:※後日追記:これは「勝者」だから非難されることがないという意味ではありません。アメリカではヨーロッパからの植民者が先住民をほぼ完全に抑圧しましたが、だからといってその行為が正当化されることはないでしょう。彼らは今のところ実質的「勝者」といって差し支えないと思いますが、一時的な「勝利」を得たかに見えて、その立場に安住する限り永遠に彼らは「敗者となることを約束された者」なのです。いつか抑圧者の子孫と先住民の子孫とが融和し、過去の記憶もはるか忘却の彼方というようなことになれば、それは人類が数多に犯した罪のひとつとして記憶されるのみになるのでしょうが。