そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

六〇〇〇年がそこで眠っている

 一九七〇年代のことだ。妻キャロルとわたしは地方の映画館で、なんともひどい映画を見ていた。あまりのひどさに、わたしは途中でつぶやいた――「こんなところで時間をつぶしてないで、もっとおもしろいことをしたいな。今の時代から滅亡するまでの人類の歴史を書くとか」。キャロルが小声で答えた――「じゃ、書くといいわ」。わたしたちはすぐに席を立ち、映画館を出た。その夜わたしは『生得権*1――地球人の書』(Birthright:The Book of Man)というオムニバス長篇小説の概略を作った。人類の歴史の物語で、超光速航宙を達成したあと、今から一万八千年後に滅亡するまでを描く。

補遺1 〈バースライト・ユニバース〉の成り立ち

 あるときスミスは三千年をなくしてしまったことがある。西暦六〇〇〇年から九〇〇〇年までの歴史で、スミスはこれを背の赤い小型のノートブックのなかにしまっていた。ギリシャ領のロードス島にいたとき、彼はうっかりノートブックを波止場近くのレストランのテーブルに置き忘れてしまった。気づいてもどってきたときにはノートブックは消え、見つかれば賞金を出すと広告したけれど、それっきり出てこなかった。そのなかには、キャラクター・プロット・アイディアなどについて思いついたことが、何ページにもわたってびっしりと書きつけられていた。

Windows7起動のデスクトップPCをメインマシンにして半年。放置していたiMacがたいへん愉快なことになっていた。


USB機器がまるで反応しない。


マウスも、キーボードも。


iMac Summer 2001(グラファイト)。1998年に登場した初代iMac(ボンダイブルー)の流れを汲む最後発のCRTモデル*4で、僕が初めて自分で買ったパーソナルコンピューターだった。

600MHtzのCPUは非力で、内蔵のスロットローディングCD-RWドライブはCDを空滑りさせたあげく盤面に深い傷をつけるようになり(トラウマ)、ネット接続を光回線に変えてから*5Vistaノートを使ったりもしていたのだが、アップグレード権の切れた古いAdobe製品や、慣れ親しんだClassic系*6ソフトを使い続けたかったこともあり、それ以降も僕の創作のすべてを、あの丸みを帯びたボディ内蔵の40GBハードディスクドライブの中に放り込んでいた。

十余年にわたって書きためてきたテキスト500万字10MB、イラスト1000枚10GB、それと、作曲したMIDIファイルいくつか。先だって引用したように、レズニックやスミスに影響を受けたような、いまから6000年後までの世界の断片などを入れっぱなし。


それが動かない。

子供のころからたいがいのコンピュータートラブルは自分で解決してきたが*7、なにしろキーボードもマウスも反応なしというのではまったくお手上げだ。外部ドライブからの起動も、PRAMのリセットも、ターゲットモードからのHDDアクセスもできない。起動時にキーボードの所定のキーを押してインタラプトするのだから。

もっとも内蔵HDDは無事のようなので、最後の手段として「本体を分解、HDDを取り外したのち外付けHDDケースを使ってデータにアクセスする」というようなことはできるだろう(ただしHDDフォーマット形式はHFS+なのでWindowsでは読み込めないし、ファイル名の末尾に拡張子なんかつけてないし、改行コードについてもまるで考慮してなかったので、けっきょく別途Macを購入しなければならない。)。しかし僕は「いまだにコンピュータの原理がわからない」などと書いたことがあるくらいハードウェアを扱うセンスに欠けているので、億劫な感じは否めない。ありていにいうと面倒くさい。といって人の手に任せるには、プライベートなデータなので気が引けるわけで……

不調に気づいてから半月放置している。


それにしても、いま意外に思っているのは、それなりに落ち着いている自分がいることだ。

確かに、残念なことではある。しかし、この世の終わりというほどではない。

4年前にこのiMacが沈黙したときは大騒ぎだった。他の作業をなげうって徹夜でディスプレイとにらみあい、ハードディスクのトラブルと見当をつけて秋葉原に直行。Mac用のディスクユーティリティソフト「ディスクウォーリア」を買い、難局を乗り切った*8 *9

ディスクウォーリア 4

ディスクウォーリア 4

当時見舞われたトラブルはHDDに直接関わるもので、データにも影響があるかもしれないという不安があったとはいえ、状況はそれほど違わない。あの時は、データにアクセスできないことで欠損感すら感じたというのに、ずいぶんな変わりようだ。

ひとつの理由としては、この「過去のデータ」そのものが、僕にとって大きな意味を持たなくなっているということだと思う*10。もはやあの「データ」は、自分の興味関心の狭さ、技術の拙さを顕彰(検証)する程度のものでしかない。二対の核融合第六感覚器官を有する人類の末裔が、知性化惑星や、素数の顕現である情報生命と、宇宙や宇宙を超越した次元世界の覇権をめぐって争う……というような話を描く歳でもないのかなーと、ときどき思う(今年はもう「ゼロ年代」ではない、といま気づいた)。「巨匠の習作」というのはいい響きだが、「素人の習作」というのは、あれだ。まあ、うん。*11

鉄人28号の初期アニメはいかにも古くさいけれども、

これと、これに続く数多のアニメーション作品なくして2004年版鉄人28号はない*12


※投稿者アカウント削除につき映像はもう見られない(2004年版『鉄人28号OP』)

個体発生は系統発生を模倣する。過去の作品なくして今の作品がないように、過去の僕なくして今の僕はない。いま生きる僕が、白黒アニメ時代の創作者たちがしたような試行錯誤を繰り返し、「現代の作品」にどうにか追いつこうとしている。そして叶うならば、追い越したいとも思っている。であれば、あれらの記録はもはや単なる思い出にすぎない。データそのものより、そのデータを積み上げてきた僕のささやかな経験のほうが、いまの僕にとっては大きな意味を持つ。*13

時間の流れのなかには、キリストの姿を見た最後の眼を消した一日がある。フニンの戦いもヘレネーの恋も、一人の男の死とともに死んだ。わたしが死んだら、果して何が、わたしとともに死んでいくのだろうか? はかなく哀れなものの何を、世界は失うのだろうか? マセドニオ・フェルナンデスの声か? セラーノやチャルカスの空地で見た葦毛の馬のイメージか? マホガニーの机の引き出しのなかの硫黄の塊か?

僕の一万数千時間、脳内で繰り広げられた六千年の記憶は、たぶん僕ととものこの世から消え去る。

それでよい。


そのかわり、消え去らないものをひとつだけでも残したいと思っているのだ。

*1:ルビ:バースライト

*2:マイク・レズニック著、月岡小穂訳、二〇〇九年四月十五日発行352頁

*3:コードウェイナー・スミス著、伊藤典夫訳、一九九七年五月三十一日二刷12頁

*4:近似プロジェクトに、教育機関向けで、iMacCRTモデル終了後、一般向けにも販売されたeMac http://www.apple.com/jp/support/emac/ がある

*5:=2008年3月末からislecape名義を使ってオンラインで活動するようになってから、でもある。

*6:現行のMacOSX(10.x)系とは互換性のないシステムで、MacOS9.2.2より前のものを指す。

*7:たいしたトラブルに見舞われたことはないけれども。

*8:それでなんでバックアップの習慣がつかなかったのかと言われるとアレだが。

*9:ちなみに、ディスクウォーリア導入以降、HDDのトラブルやデータ消失は一件もなかった。現行バージョンは4.0で、僕が購入したのはDiskWarrior2.1/3.0同梱版だが、Macユーザーにはおすすめしておきたい。

*10:どういうお話を書いていたかは、新しいサービスができたときの埋め草でいくつか利用している⇒http://p.booklog.jp/users/islecape

*11:ちなみに、ブログやツイッターに投稿したぶんは、オンラインで簡単にバックアップできている(もちろん画像はWeb用に保存されたもので、オリジナルファイルではないが)。オープンにしていることの恩恵なのか黒歴史アーカイブスなのかは難しいところ。

*12:28号FX? ナンデスカソレハ?

*13:鉄人のオープニングを持ってきたのは、2004年版がオリジナルにちょっと似せているからです。

*14:J.L.ボルヘス著、鼓直訳、2009年6月16日第1刷発行58-59頁

*15:引用者補記:偉そうにこんなことを書くのはなんだが、「『男』はないだろう、『男』は」とは思った。あと、翻訳それ自体も「死とともに死んだ」というのはくどい感じがする。原文にあたって「フニンの戦いもヘレネーの恋も、一人の人間の死とともに失われた。わたしが死んだら、はたしてなにがわたしとともに消えていくのだろう?」とか勝手に意訳したいところだが幸いなことにスペイン語はまるでわかんない(というかガルシア=マルケスも訳したラテンアメリカ翻訳の第一人者に……)