そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

あなたの立ち位置はどこですか(再追記済)

※2009.8.23追記:すっかり忘れてましたが、言及通知が目的であって、ID晒しを企図したものではないため、呼びかけを意図したIDは本文中から削除しておきました。

※2009.3.30追記:「タグの意図が不明」と言及したid:nonasuからはトラックバックをいただきましたので、そちらを参照してください(本エントリでの言及は削除しました)。「重箱の隅をつつくな」と不快に思われたそうで残念ですが、話の流れですので。ブックマークコメントへの反応はブックマークコメントにとどめよというご意見は承りました(僕もそれくらいのほうがいいのかなという気はします)。

※2009.4.2再追記:文末参照


※敬称略でいきます。IDコールは面倒なので自動トラックバック設定でいっぺんに飛ばしました。というか、ひとこと言及しただけというような方がほとんどです(ごめんなさい)。ご自分のIDがどう言及されているか確認される場合はダイアリー内検索を使ってください。このエントリ、微妙に長いので半分以上削りましたがそれでも10000字ちかくあります(我ながら途中で飽きました)。


オンラインで活動するようになって一年、はてなに来て十ヵ月、はてなダイアリーをホームにして半年、はてな村民になって四ヵ月――

去りゆく三月の終わり。記念すべき120日目のポストをもってダイアリーの更新を休止し、いったん漂泊の旅に*1出ようと思って、良い踏み台テーマはないものかとあたりをうかがっていたところ、思いがけず言及トラックバックが飛び込んできました。


あらすじ:

不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー
http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090326/1238054549

というエントリに対し、id:munyuuブックマークページに、こんなことを書いていました。

[これはひどい] 通名を使って脱税やら詐欺やら、数々の犯罪を繰り返さなければ、日本人の多くも通名を使う人間を排除したりしなかったよ。在日朝鮮人自身の行いを見直せ。日本人に罪をなすりつけるな。

ちょっと面白いと思った*2のは、(もちろんid:munyuuid:hituzinosanpoのエントリそのものに対してコメントしているのですが、「不平等な関係」という、エントリが提起している前提についての視点に欠けているため)日本人の名前で犯罪を行うことに対して「日本人(の名前)に罪をなすりつけるな」と、文句を言っているように見えてしまったことです。

そんなふうに、自分から遠いところに立っている人の知性を侮って読んでしまう自分がいかに偏向しているか、ちょっと反省しなければならないとは思いました。まあそれはそれとして、目についた以上ひとこと言わなければ気が済みません。

とはいえ「印象論でヘイトスピーチまき散らしてんじゃねえよバーカバーカ!」などと言っても角が立つだけなので、

社会 id:munyuu それ、「日本人に罪をなすりつけられた」と思うのはちょっと感覚が変じゃないですか。

とだけIDコールしておきました。この文章だと、主語が明確ではないので誤読を招く可能性なきにしもあらず、あとでこっそり書き直しましたが*3、なにしろ「感覚が変」と言っている時点で喧嘩を売っているも同然なので、id:munyuuからは「感覚が変なのはそっち!」というエントリを書かれてしまいましたとさ。


こちらから言い出したのですが、やはり「感覚が変」はうまくなかったですね。「お前のほうが変」と互いに言い合っても詮ないことなので、暇な人には、

感覚がおかしいのは、id:islecapeの方ですよ。 - むにゅう!の平和大好き! はてな基地
http://d.hatena.ne.jp/munyuu/20090326/1238076438

も読んでもらって、どちらがよりすぐれておかしいか、それぞれに判断してもらうことにしましょう。

さて、id:munyuuは、北朝鮮の日本に対する憎悪のもととなっている帝国主義がもたらした様々な歴史的事実は大昔のことですでに「時効」であり、逆に北朝鮮は日本(また韓国や他の国々)の国民を拉致するなど犯罪行為を行っているし、さらに、在日朝鮮人は、帰ろうと思えば本国に帰れるのに日本に居座って数々の特権を享受している――というようなことを言いたいのであろうと思われます。

そして、そのような民族であるから、彼らは「勝手に」日本人名を通名として名乗っている――本来の朝鮮名を名乗ると(彼らが日本で犯罪的な振る舞いをしているがゆえに)、日本人の差別を受けてしまうから、通名を名乗らざるを得ない。そういうわけでルーツの誇示と現世利益のジレンマに陥っている――というような感じ?

どこをどう指弾すればいいのか非常に困るんですが、「終戦直後から現在までの脱税や殺人、強盗。北朝鮮の拉致活動への協力を日本人は決して忘れません」と言いつつ「日本の植民地支配などといって、日本人の罪悪感を利用しようとしている」と非難するのはいろんな意味で感覚が変じゃないですか(また言ってしまった)。後段はid:mujigeへの反論ということで、僕あてのメッセージと並べて引き合いに出すのはルール違反かも知れませんが、「北朝鮮も韓国も建国から50年近く経っている」から、時効だと言わんばかりの主張、そうなると日本の拉致被害なども時間による解決を促す結果になってしまいそうです。

ほとんどの人がそうだと思いますけど、僕も北朝鮮の体制を擁護することはありません。しかしながら、それは「日本人として敵視政策を取る相手国を擁護できない」のではなく、漏れ聞くかの国の現状を「ひとりの人間として擁護しない」のです*4。それこそ「壁と卵」の例というやつでしょう。

前々回のエントリでも書きましたが、「国家の罪」は、たとえ忘却の彼方に追いやられたとしても、その国民ひとりひとり――ひいては人類全体の「原罪」として残る、というのが僕の考えです。北朝鮮による一般市民の拉致も、日本の植民地支配も、アメリカの先住民虐殺も、ある実力集団による「弱者への不等な圧力」という面で等しく批判されなければなりません。人間が原罪から赦されるとすれば、そのような普段の努力によるものでしかないのではないかと思うのです。

「国籍」は人にとって大きなウェイトを占める属性です。であればこそ、在日の人が帰化しないことは――それを非難する人もいますが――当然ではないでしょうか(「朝鮮系日本人」として生きる人もいるでしょうが、それを日本人の側が強要してどうなるでしょう)。個人的には「国籍は個人を完全に規定するものではない」とも思っています(逆に言えば、「個人にとって国籍がすべて」という人にとっては、本当に「国籍がすべて」なのかもしれません。それこそ感覚問題ですけれども)し、「在日朝鮮人」という対象を「ひとくくり」にして仮想敵のように扱うid:munyuuの敵愾心に、どうしても感覚の彼我の違い感じるのです。

朝鮮系の人が通名を使うことに対して、僕には何も言えません。僕には社会的影響力はないので、彼らに本名を名乗ることを軽々しく薦めることもできません。いまの社会の実体として、朝鮮系の人々に対する差別意識があることを否定しえないからです。しかし、もし彼/彼女の意志で自分のルーツを明らかにしたとき、それに対して、何ごとかいう人があれば、その人の正面からでも側面からでも背後からでも蹴飛ばさなければならないのではないでしょうか。せめて割って入るくらいは。遠巻きに眺めるだけというのは最悪です。

自らの憎む「属性」を分有する個人を、その「属性」の具象者・体現者として攻撃したところで、なんの問題解決にもなりませんし、それはどうしても正しいことと思えないのです。

id:munyuuへの言及は基本的にここまで)


それにしても不思議に思うことがあります。

今回の件に先立って、こんなエントリがありました。

WBC 韓国人を非難し、自己を正当化するのはそろそろやめるべき - 赤と黒
http://www.rossoneri.jp/2009/03/25_18591.php

これに対して、そのブックマークページ

誰も「韓国人」を非難してなどいない。「韓国人」代表面して「暗殺Tシャツ」に乗じて悪乗り極める韓国マスコミを非難しているだけ。皆「大人」だからそれ位は判ってる。

というコメントがありました。

また、

「そう声高に叫ぶ人は、これが韓国の一部のマスコミの論調だとは考えず、本当に韓国国民、および朝鮮系の人々の総意だと思っているのだろうか。」・・・ないない。ネタ。でなければ、馬鹿以外の何者でもない。

考え方 声は大きいけれど割合としては大したことない韓嫌派を、「ネット民」とひとくくりにするのはいかがだろう。

一部のマスコミやネット民が騒いでいるだけだってことは、百も承知なんだよ。

など、他にも、何名かの方が[ネタ]ブックマークタグをつけています。

確かに僕自身の狭い交際の限りにおいても、ヘイトスピーチを投げ散らかしている人を見たことはありません*5。ときおり通りすがる右翼の街宣車くらいです。

ふーむ。

「妊婦撃てば2人殺害」 イスラエル兵Tシャツ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090324/mds0903240752002-n1.htm

もちろん「一部のマスコミ」や「ネット民」がこの件について騒いでないことをもって、ダブルスタンダードとは言いません。パレスチナは遠いです。日本人にとっては「韓国にとって目の上のたんこぶになっている日本代表選手を標的にしたTシャツ」のほうが、「パレスチナに暮らすアラブ系の妊婦を標的に据えたイスラエル軍のTシャツ」より優先順位が高いと。確かにその感性は、どちらのトピックへの関心も「ネタ」どまりということゆえですよねえ。

韓国のTシャツもネタなら、それをもって韓国を叩くのもネタ。それはそうだとしても、「悪ノリがすぎる」ということはありますし、冷静な指摘を受ければ行き過ぎに気づく人もあるのではないでしょうか。「ネタにマジレスカッコ悪い」と、第三者がわざわざ指摘することはないのでは、と僕は思うのです。

id:xevraが、前掲のブックマークページで、

ネットで他者を叩いているような奴はリアルに居場所の無い社会不適合のメンヘル。スルーするのが妥当な対応。

と言っています。「現実でもネットでも沈黙を守る」は、ほぼ大勢の行動のように思います。世の中たいがいの人はROMらしいですし。けっきょくみな「空気が読める」ということなのでしょうかね。しかし、その「空気の読みかた」とは結局どういうことなのでしょうか。「社会不適合のメンヘルに関わると面倒くさいからスルーしている」のか、「実はヘイトスピーチを言いたくてしょうがないけれども万が一を考えて黙っている」のか……。


先にあげたhituziのブログじゃがーコメント欄には、id:gingin1234の、

> 日本社会で、「在日」として朝鮮系の住民が生活している。そのことに 敵意を むきだしにする日本人がいる。その敵意が具体的な暴力として あらわれてきた歴史がある。

日本人を拉致しておいて、戦後日本人に土下座を強要しておいて、「敵意をむきだしにするな」とは笑わせる。全ての責任を日本人に転嫁し、日本社会を憎み、戦後のどさくさに紛れて日本人の土地を収奪していった在日朝鮮人が、どうして憎まれないと思うのか?

というコメントがあります。id:hituzinosanpoからは歯牙にもかけられていませんが(僕だってかけたくないんですけど)。

このコメントを読むと、id:gingin1234は「朝鮮人は罪深いゆえ、日本人から敵意と憎悪を投げつけられるのは当然」という主張のようです。id:gingin1234のはてなブックマークを見ても、サイトアドレスや連絡先はありません。あるのは(同じような論調の)ブックマークコメントのみ。さて、ことさら在日の人たちへの敵愾心を燃やすこのコメントは冗談ですかね? IDコールが通じれば教えてくれるかも知れませんが、そこまでする人はそれほどはいないでしょう(僕は実際に何度かコールしているのですが、応答してもらえません)。

投げられた言葉は、基本的に「そのままの意味」で解釈されます。発言者の嘘・冗談か、それとも本心・真実かに関わりなく。

そして時には「言葉」でさえない嫌悪の表明もあります(いったい、先に挙げたブックマークページid:munyuuに無言でスターをつけた人はどういうつもりでしょう)。

ネタのつもりでヘイトスピーチを投げつけるなら、初めから【未承諾ネタ】とかなんとかタグをつけたらどうでしょうかね。【未承諾罵倒】を飛ばしますから。

「投げかけた言葉の裏を読んで適切に解釈してもらおう、それができないのは読み手のせい」というのは、ずいぶん無責任な物言いのように聞こえないでしょうか。それは冗談というより、オンラインの各所に仕込まれた無指向性トラップのようですね。澱のようにたまって発芽を待つ悪意の種というか。

そもそも、「ネタ」などというふうに(とくに後だしで)言ってしまうことは、悪意の発言者の責任を不当に免除する一方で、発言そのものの効果としての悪意を最大化し、さらにその悪意に対する問題意識を矮小化させます。「必死杉」などというような揶揄などがそれ(読む人が読めば、そのような発言をするほうがむしろ「必死杉」に見えるのですが)。

「小中学生に嘘を嘘と見分けられるか?」
「子供が2chなんかやって、歪んだ情報鵜呑みにして耳年間*6になったらリアル社会に適応できなくなるんじゃねーの?自分の精神を守れないと思うが」

ネット使用小中学生の12%「2ちゃんねる」利用――「ちょっと早過ぎ」2ちゃんねらーも戸惑う(J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/02/02005308.html

こういう可能性もありますし。

黙っているとWebは「冗談の」ヘイトスピーチで溢れてしまうのではないですか。あげく「予言の自己実現」ならぬ「ネタ偏見の自己実現」というやつになりはしませんか。気楽に発した蔑視発言がインフレスパイラルを起こしたあげく現実に降臨してきたりするのは御免ですね。カジュアルヘイトとでも呼びましょうか。あるいは「ヘイトスピーチ禁止法の必要性」なんて口実も作られそうです。どっちに転んだっていいことはないでしょう。


「僕には社会的影響力がないので、誰かにカミングアウトを推奨することはできない」というようなことを書きましたが、もし仮に何らかの権力があったとしても、「差別」をなくすことは難しいでしょう。そして、人から「差別意識」をなくすることは(おそらく)できません。僕自身、「あたまがわるい」人間に対する拭いがたい差別意識があります*7。しかし問題は、その差別意識を認めたうえで、どのような自分が差別する者に対してさえも公平公正な扱いを行うことではないでしょうか。

差別的言辞は次世代の差別意識を生産し、そしてその差別意識が積極的または消極的に「差別行為そのもの」を行わせます。差別者が差別することを堪え、そしていつかこの世界から消え去って灰になれば(そしてそれを繰り返していけば)、次第に「差別感覚」もなくなっていくことでしょう。子供たちは、歴史を学ぶに際して「この人たちはなぜ差別されたのだろう」と疑問に思うことしかできなくなるはずです*8。僕には今のところその程度の解決策しか考えられません。

まあそういうわけなので、「おかしい」と思ったことには、(面倒くさいとは思うのですが)ひとことふたことくらい突っ込むべきなんじゃないかなという考えに変わりはありませんし、本当にネタだというなら、最初からやらないでもらいたいと、個人的には思います。

なんかどこかで読んだような意見になってしまった。要するにこれも「ネタにマジレス」ってことなんでしょうか。

“沈黙は、自信のない人間のくみするもっとも安全な方策だ。”

“人はみな、自分の記憶力の乏しさを嘆く。しかし何人も、批判力が乏しいことをこぼしはしない。”

※最初は資料を漁って事細かに論難しようと思っていた(また、他にもすることがあり、そんなこんなで時間がかかった)のですが、d:id:munyuuの過去エントリを見て「話通じなさそうだなー」と思ってやめました。すいません。


※4月2日追記(4月3日修正)

「立ち位置を明らかにせよ」なんて、「どこの全共闘だ」みたいな偉そうな言いぐさ。さすがに3POST連続でDISエントリというのは我ながらどうかしている気がします。本当はもっと読んだ人を幸福にするような文章を書きたいと思っているのですが、どうしてこうなんでしょうかね。本エントリで書いたとおり、「かかわるのが面倒だから沈黙する」というのは肯定も同じではないか、などと思ってしまうもので、つい。

燃え上がらなかった代わりに、言及した方からメールをいただきました。僕のふるまいが危なっかしく見えるようで、「コメント欄は閉じ、トラックバックは承認制にしたほうがいいのではないか」というアドバイスなども。でも、実際のところ炎上を期待してさえいるのです。それが自分の正しさを証明するような気がして(かなり手後れ感)。「わざわざ名指しで批判することもないのでは」というのは、僕自身の不純な動機を考えると、確かにその通りのような気もします。

それにしても、ありもしない圧力を恐れて自分の思うところを主張することができないとすれば――もし皆がそれゆえ沈黙を保っているとすれば、この国の「民度」とやらも地に墜ちたものです。反対に、何がしかの主張をして実害を被るとすれば、日本は独裁国家以下ということになるでしょう。僕はヘイトスピーチ禁止には反対なので、そのかわりヘイトスピーチを批判しているのです(ホロコースト否定を法律で単純に禁止するようなやりかたは、「思考停止的」で、かえって害があるのではないかと思います。「法律で禁止されているから疑わない」なんて)。

僕と考えかたの違う人は世の中にいくらでもいますが、政治的にそりがあわなくても、自然科学や娯楽分野の話題でスターをつけあうというようなことはあるでしょう。しかしながらid:munyuuはおそらくヘイトスピーチに特化したサブアカウント。彼/彼女の個性は隠蔽されています*10(たぶん「中の人」は、本当に右翼的な思考を持っているというより――自説の正しさを論理的に説得しようというそぶりもありませんでしたし――オフラインでは「常識的」なふるまいができる人物で、なにかしらの抑圧をWebに吐き出しているのではないかと思います)。そういうわけなので、僕がid:munyuuを肯定するというようなことはあまり考えられません*11。今回、この件をもって敵認定されたとすれば、僕としてはそれで満足です。

ひとつだけ残念なことがあるとすれば、id:munyuuのほうがキャリアが長いので、"islecape"で検索すると向こうのダイアリーのほうが上位に表示されるってことですかね。TopHatenarじゃこっちのほうが上位なのに!*12

まあそれはともかく。

以前、ピラトは卑怯うんぬんということをちょろっと書いたのですが、けっきょく僕のやっていることも、あんまり変わらないのかな、という気がします。

今回と同じく、自分とは利害関係のない人たちへのバッシングに対する批判をしたときも、すこし引っかかりがあったのですが、僕の関心はけっきょく僕自身にしかないのではないかと、疑わしく思うのです。僕が「誰かを批判する誰か」を批判するのは、その「誰かを批判する誰か」に「批判される誰か」を擁護しようというような正義感や義侠心ではなく、「誰かを批判する誰か」を見て何もしないでいることに耐えられない自意識ゆえ*13――。

つまり、僕が誰かを批判するのは、けっきょく手を洗う行為にすぎないのではないかと。

*1:はてなダイアリーは実に快適ですが、まだ未経験のWebサービスをいろいろ試してみようと思って。といってはてなから消えるというわけではなく、はてなハイクまで始めたところです。

*2:などというと語弊があるでしょうか。

*3:書き換え後のコメント:id:munyuu それを「日本人が罪をなすりつけられた」と思うのはちょっと感覚が変じゃないですか。そもそもの歴史的経緯とかいう以前の問題として。

*4:そのような「擁護しないひとりの人間」の集合が、とりあえず日本国の政策として反映されている、とは言えるでしょうが。

*5:4月20日追記:在特会デモの映像で見ました。

*6:正しくは「耳年増」

*7:なにをもって「あたまがわるい」とするかは恣意になってしまいますが……。

*8:「差別のない世界」というのもなんだか無菌的ですけど。

*9:内藤濯訳、1979年6月20日第37刷31頁、33頁より引用。現行版:ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

*10:Firefoxなどには、アカウントを簡単に切り替えることのできるツールがあります。

*11:……と、思っていたのですが、たまに普通のことを言っているときもあるみたい。

*12:2009.4.2現在。というか五十歩百歩。

*13:カントには評価されないでしょうが、だからって見て見ぬふりをするよりマシだとも思っていますけど。