そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

すべての現実は記憶を弄し海に消える

「日本人に生まれてよかった」みたいな言いぐさがあるけれど、あまり知性的な言葉には聞こえない。そういう人には、日本人に生まれることで得られなかった他国人の幸福もあるのだということを言いたい。そして、その他国人の幸福を、外国人として知ることができる幸福もあるということを。

僕のおもだった先祖は少なくとも戦国時代から日本人であり、どちらかといえば搾取する側にあった(が、母方は明治維新後の士族の商法で、父方はGHQの農地解放で没落した*1)。僕自身、救いようもないほど日本人であり、世界に打って出るようなこともできそうにない。日本沈没の暁には運命をともにせざるを得なさそうな感じ。しかし「日本人」であるという以前に、僕は「僕」でなのである。70億もの人格のなかの、取るにたらぬひとつだ。

自分にとって大きなウェイトを占める「日本」という属性を大事には思うし、その属性に相当依存もしてはいるが、日本人であるということが僕のすべてではない。少なくとも「日本人である」ということだけをよすがにしているような人と連帯しようとは思わない*2。もし他の日本人がみんなそうだというのなら、拙い英語を笑われようと連帯しうる人を別に探すまでだ。

確かに僕は今の日本のあり方を、いくぶんの疑問を抱きつつも消極的に肯定しており、それで世界有数の経済大国がもたらす恩恵に浴している*3。だからといって国家を盲目的に賛美するものではない。なぜといえば、国家へ無条件の追従はかえってこの共同体社会を危うくすると考えているからだ。「日本沈没」を早めることさえありうるからだ(じつに利己的な動機ではある)。

日本の帝国主義がもたらしたものは日本人の原罪となったが、それは今を生きる日本人ひとりひとりの罪ではない(西欧の植民地支配と比較して云々などという言説はまったく意味をなさない*4。)。あえて極論をいえば、日本軍がアジアの人々を虐殺をしたかどうかは、存命の生存者でもない限り*5、もはや問題ではない。「南京大虐殺はなかった」と主張する人たちも、「無抵抗の一般市民を殺戮する」という行為そのものは肯定しないだろう。たとえ上官から強要されたとしても、心ある日本人ならば決してそのようなことはしないわけですよね?

よろしい、(中国の人はこのエントリを読んでいないだろうから)とりあえず南京で虐殺などなかったとする。そして、これから20年後、ついに日本と中国が破局に至り、戦争が勃発したとする。さらに、圧倒的軍事力を誇る人民解放軍へのブリッツに失敗した日本国防軍*6が南京アルコ*7になだれ込み、市街封鎖をしたとしよう。しかし糧食は底を尽き、兵士たちの眼は血走っている。たいへんな極限状態で……。30世紀の歴史書に「21世紀、日本軍による南京虐殺」などというトピックが立ちませんように。

つまりそういうことなのである。未来の日本人が虐殺を行ったとき、それが「二度目」であれば、日本人というのは過去から何も学べぬ、まったく救いようのない保護観察処分相当の国民ということになる*8。しかしながら、仮に過去の虐殺が幻だったとして、なら将来おこなわれる(かもしれない)「はじめての」虐殺が許されるかといえば、もちろんそんなことはない。けっきょくいつだって問われるのは現在と未来なのである。忘却は失敗の再現者だ。過去を検証するということは、別にゆえなく父祖をおとしめるためにするのではない。現在と未来のためにするのだ。そのような立場に置かれても、同じ轍は踏むまいという決意とともに。

だいたい「南京大虐殺はありませんでした。よかったよかった。検証終わり」で済ませるつもりなのかな彼らは。


cf. http://d.hatena.ne.jp/T-3don/20090321/1237663497

*1:因果が報いたのだろうか……

*2:それを戦後教育に毒された非愛国的反日分子と呼ぶのであれば、まあそれはそうなんですがね。

*3:cf. 日本人に生まれるという特権(という幻想)→ http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090226/p1

*4:また、日本が帝国主義の道を行かなければ、逆に日本が支配されたという主張もあって、それは一見もっともの主張のようだが、そもそもそのようなifを想定するのが間違いだと思う。日本が問われているのは、「植民地支配をするか」、「植民地支配をされるか」という二択で「支配するほう」を選んだことではない。ただ単に「歴史的事実として植民地支配をしたこと」が批判されるのである。

*5:このようなことを言うのは心苦しいのだが。

*6:ナンデスカソレハ?

*7:ここでいうアルコ(アルコロジー)とは、SimCityに登場する人工環境都市(アーキテクチャル・エコロジー)のこと。自給自足型の巨大建築構造物で、十万人単位が居住できるという設定。→ cf. wikipedia:アーコロジー

*8:先の大戦と今回の妄想では状況が違うけど。