そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

忘れないためのゴミ

親の仕事柄、原稿用紙、束見本*1、反古には困らなかったが、メモをする習慣は中学か高校くらいまで待たなければならなかった。奮発して買った(と言っても3000円が型落ちで半額になったものだが)「ポケットサイズ」タイプのシステム手帳を今でも使っている。

B5の大学ノートは一冊あたり30円ていどのまとめ買いで手に入れていることを考えあわせると、システム手帳のリフィルは情報密度という点でかなり高くつくような気がするのだが、それはやむをえまい。大型電器店でポイント買いしまくったので、まだ数年くらいは持ちそうだ。

Wikipediaによれば、

システム手帳は、イギリスで1921年に「6穴バインダー手帳(ブランド名はFILOFAX)」として発売された。本来は牧師や、副官がいない尉官クラスの将校が、自分の教区や率いる部隊に関する記録を収めておく為の物であった(佐官将官は当然秘書がいるので手帳を持つ必要がなかった)。

とのことで。人を手帳代わりにこき使えるエグなんとかになれそうもない僕は、この先えんえんとメモを取り続けなければならないのだろう。そういう習慣がついたことは結構なことなのだろうとは思うが、もう少し効率というものを考えなければならないかもしれない。保険会社がなにかのおまけで配っている小さなメモが、ボックス単位で1ダース(一箱200枚)ほどあったのだが、半年もたずほぼ使い切った。残りひとつしかない。

それでどうなったかというと、手つかずであふれんばかりのメモ書き。書いては破ったシステム手帳のリフィルもかなりある。とにかくゴチャゴチャになるまでためこんでしまう*2

いま手近に30枚ほど記入済のメモがあるのだが、これを参照しやすい形に整え直すのだって一苦労だ。だいたいメモした当時の感情だって忘れたよ。ちなみに「表裏使わないこと」というのは真理だと思う。ただでさえごちゃごちゃなのに、よけい混乱するので、それだけは守っている。

で、手元の一枚には、

天才は人類の灯台

…capeには灯台があるものだ

まあcapeそのものは灯台じゃないけど

などと書いてある(ここに書いたのでさっそく捨てた。あと29枚)。いったい何を言ってるんだ僕は*3

このようなフィルタリングやタグ付けをあと29回もしなくてはならないのだ。1枚1分でも30分。根本的に何かを間違えていると言わざるを得ない。

世界は予想以上に自転車創業だった

と、経済についての感想を記してあるメモに、

ウグルスクプッソ

などと書いてあったりすると、自分をどうしようかと思う。これは、他所でSEOについて「勝手な造語を作って、それで検索してもらえばいいんじゃないか」などと書いたときのキーワードである。こんなどうでもいいことをいまだに覚えているので困る。メモしなくてもよかったじゃないか。あと28枚。

ちなみにこのエントリは、

メモがたまってしょうがない

断片になるのがいかにもまずい

一冊のノートにまとめるようにしたい

とあるメモを元に書きました。ノート一冊にすべてを集約するというのは「ほぼ日手帳」メソッドみたいな感じかな。あと27枚。やれやれ。

*1:印刷も何もない無地の本。製本された雰囲気をつかむためのもの。

*2:レポートの下書きや資料の抜き書きに使ったノート(10冊まとめ買いで300円)も、中途半端に白いページが余ったりするのを「もったいない」とか思ったりして同人漫画のネームに使ったりすると、時間が経って「あれはどこに書いたっけ」などとわけわからん状態になったりする。要するにインデックスをちゃんとすればいいだけの話なのだが。

*3:いちおう覚えている。知性について 他四篇 (岩波文庫)を読んだときに思いついたことを、ささっと書いた一連のメモだ。灯台と、このダイアリー(The cape of...)を引っ掛けあわせているつもりなのだが、あらためて見返して、メモをする価値があったとはどうにも思えない。どうでもいいけど灯台 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)はわりと面白く読んだ。