そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

あなたとは違うんです

世の中にはアファーマティブアクション(AA=積極的差別是正措置)というものがあり、これがまたよく非難されるそうな。「逆差別だ」とかなんとか。とりあえずアメリカの大学の話をするけれども、「アフリカ系アメリカ人枠」というのがあって、(特にヨーロッパ系が)「不公平だ」と反対するらしい。この「アフリカ系アメリカ人枠」が存在しなければ、その大学に入れたはずの人があぶれてしまうから。

ミクロな視点からは一見もっとものような気がするが、ちょっと考えるとそうでもない。アフリカ系アメリカ人がヨーロッパ系アメリカ人に比べて不利な立場に置かれているのは周知の通り。だからAAは、特定のグループを優遇することで、そのグループの置かれた状況を少しでも改善していこうという政治的な意志のあらわれ――それだけなのだろうか?

社会全体で見てみよう。AAは少数派を優遇する。なんのために? 少数派が現に差別され、不遇をかこつ状況にあるから……だけではないだろう。少数派出身者が高等教育を受け、多数派出身者と変わりなく能力を発揮できることを証明する――それは少数派だけでなく、少数派に自分と変わらない能力を見る多数派をも裨益する。一緒にいれば、自分と属性の違うものに自分との共通点を見いだすこともあるはず。なにしろ同じ人間なのだから。

それを気付かせようとする社会のほうが、そうでない社会よりよほど良い。誰かが大学に入れた入れなかったなどという個々人の学歴問題よりも、大学の平均学力レベルが(仮に)下がるよりも、社会的弱者を優遇しすぎるにしろ、それによって社会全体を多様化させ、活気づかせることのほうが、社会にとってプライオリティが高い、というだけの話だ。

AAによって、ある大学で教育を受けられたアフリカ系の個人と、AAに「邪魔されて」その大学の教育を受けられなかった非アフリカ系の個人を比べれば、後者には確かに多少の同情の余地がある。しかし、そもそもそんなことで落ちるというなら、合否ギリギリのところにいるのが悪いんじゃないの(Wikipedia:ポジティブ・アクション項目は、AAにずいぶん冷たいが、もちろんこういう弊害がある可能性は否定しえないので言及しておく。ただ、これは解決できる問題だと思う)。

AAは社会を利する。少なくとも、そういうふうに期待されるべきものだ。「少数派のことなどどうでもいい。多数派出身者が、様々な面で不利な状況にある少数派出身者より能力がほんのわずかでも高い(それも、選抜試験の段階で高いというだけの話だ)のであれば、あくまでも学力のみを考慮して選抜すべき」という主張をしたってよい。そういう意見が政治の俎上にのらぬということもなかろう。僕は支持しない。

さきごろ知的障碍者の父母で作る団体だったかが、知的障碍を持つ子どもも普通科高校に入れるようにしてほしいという要望を出した、とか聞いた。これは、彼らの学力レベルがどうこうという問題ではなく、「普通の子どもたち」にとって重要なことではないかと僕は思う。つまりノーマライゼーションの話なのではないのかと。


補足→ http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090122/p9