そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

びっくりだ

「隠れて生きよ」を信条にする僕。公園広場にてのんびりと100g500円のお茶を飲む丑三つ時の僕。そこへ颯爽と現れたのは超有名パティシエのダン・コガイ! 現われるやいなや僕のお茶っ葉をミキサーにかけ、それで作った抹茶タルトを味見して「うん、これは微妙だな!」とか言い出すダン・コガイ! さらには「どうだ、変な味だろう!! 彼の茶葉を使って作ったんだ!!」とか僕を名指ししつつタルトを周りの人に勧め出すダン・コガイ! 僕呆然。

そんな感じ。

まあそういうわけで、こういう機会は滅多にないことだし、3回ぐらいネタにしよう……! とか思いました。まず手始めに、著名ブロガーに衝突されてしまった人間がどんなふうに感じたかでも書いてみようと思います。僕が衝突されるくらいだから、他の人も十分あり得るわけで。

あなた笑ってますけど、自分は大丈夫とか思っている人にかぎって大丈夫じゃないってやつですよ。

404 Blog Not Found
The requested blog was not found on this server -- unless you requested that of Dan Kogai (小飼 弾).

(ん、Dan Kogai……? 404 Blog Not Found? ああ、お噂はかねがね……)

いまだに人間の原理がわからない

(いきなりか。うーむ、要するにこれがこの人のやり方だな)

いまだにコンピュータの原理がわからない - 個人的な体験・その他の雑感

(これを読まれたわけだ。いったいどこから飛んできたのやら。うかつにトラックバックをつけたのは失敗だったかな〔補記:前の記事を投稿したさい言及した「狐の王国」へのリンクが自動でトラックバックになってしまったのである。それをどこかで拾われたらしい〕)

いまだにコンピュータの原理がわからない。

コンピューターの原理ならわかるし、あまつさえそれを生業の一つにすらしているというのに。

(おや、どういう意味だ? ……あ、「いまだに人間の原理がわからない」から続いてるわけ。しかしこの人も「コンピューター」か……。まあこっちだってとくに深い考えがあって「コンピュータ」にしているわけじゃないしな。〔と、ここで老人になった自分を想像する。『なんじゃ、最近の若い者はコンピューターコンピューター言いおってからに! わしゃ変えんぞ! わしはあの連中の年齢の何倍もの年月ずっとコ・ン・ピュー・タ、で通してきたんじゃ! 間違ってるのは連中のほうじゃ!! わしゃ絶対変えんからな!!』〕……再考する必要はありそうだ)

肝心の自分自身の動作原理がわかっていないのに、私はこの瞬間も生きている。

(そう、右手が動くように念じたって右手は動かない。右手が動くことに意識は介在していないようだし。それどころか、生命がどういう現象かすらわかっていない)

それで不自由なく暮らしている。同様に、たいがいのことに関しては、ノウハウの安易な取得を行うことで日々を過ごしているわけだ。

からだ。

(「〜わけだ。からだ。」って、引用とはいえこの書き方はどうかな。いまいちこなれていないような気もするけど……)

そうやって考えを進めていくと、自分自身も含め、ほとんどの物事の原理がわかっていないのに、生きていくのに必要な程度には物事を「操作」できることに、床が急に透明になって、自分が今高度100m以上の高所にいることを突然自覚させられるような恐怖を感じたりもする。

(そもそも、いちいち立ち止まって考えることが許されてない。何も考えずに歩き続けることを強要されて、それで大きくなって、ふと立ち止まってみると自分が綱渡りをしていることに気付いたうえ、真下は奈落だったってところか)

わかっていないのは、自分だけじゃない。医者だって、「ときどき治療できる」程度にしか人体のことを知らない。経済学者だって今回の「世界同時不況」の理由を、私がコンピューターを理解している程度に理解しているとはとても思えない。政治家に至っては、占星術師より未来のことがわかっていないのではないかとすら思える。

(「『世界同時不況』の理由を理解すること」と、「コンピュータを理解すること」は比較対象としてちょっと違うのでは? それに、政治家は「わかっているけど(あるいはわかっているつもりだけど)動けない」かも。まあこの辺は末節かな……)

なのに、彼らにそれぞれの持ち場を任せて、というより彼らが勝手にそれぞれの縄張りを主張するのを放置しておきながら平気で眠りにつける自分がいる。

(まったくですね。原発とか……)

すべてに万能の人はいない。あらゆることの専門家にはなれない。しかし、いざというときに自分で考える心構え、いざというときに自分で判断するための基礎的な知識、その「いざというとき」に気付くための知性は誰にも必要だろうと思う。

私もかつてはそう「思って」いたけど、今は微妙に違うと「感じている」。

(ふーむ。「そう『思って』いた」のは今の僕と同じくらいの年齢ってことなのかどうなのか。あるいは十代か……)

「知」よりも優先されてしまうのは「動」だ。

(「優先されてしまう」? 前後の文脈からだと「優先すべきこと」ということかな?)

いくら「知って」いても、「動か」なければ、「知っている」本人の、それも心の中を除けば「知らなかった」時と変わらない。むしろ「知っている」分、「出来もしなかった」自分に腹を立てる公算も大きくなるだろう。

(無自覚で、腹を立てることなく過ごすよりはマシでは?)

私は自分の心臓の鼓動一つ意のままにできない。しかし、それが勝手に止まらないことは「知って」いるし、それが自分を生かしているものも「知って」いる。

(自明ですね)

「よく調べた上で行動せよ」と大人は子どもに言って聞かせる。しかしその大の大人たちの行動も、ほとんど「知らぬ」ままなされている。我々は物事の全貌を知らないままその物事に対する責任を負い、そして多くの場合全貌を知らないまま物事が終わっていくか、自分の方が終わりになる。

(それはその通り。責任を負わない場合さえあるでしょう)

知りながら動かぬのと、知らぬまま動くのと、どちらがよいのだろうか。

(「知っているからこそ動く」と「知らぬままもちろん動かない」についてはどう考えているのだろう?)

私は、知らない。

(おっと……)

私が知っているのは、問われるのは「物事がどうなったか」であり、その物事の原理や本質を知っていたかどうかではないということだけなのだ。

(結果がすべて。まあそうでしょうとも)

もちろん私だって「知りたい」。しかし「知る」余裕がないことがいかに多いかも「知って」いる。そういう時は[後で考える]タグを頭のどこかに貼ってから「動く」。その余裕すらない時もかなりある。で、結局ほとんどのことが「わかる」のは、祭りが終わった後なのだ。

(本当に「祭りが終わった後」には「わかる」のだろうか。「全貌を知らないまま物事が終わっていくか、自分の方が終わりになる」ということになったり。つまり翻って考える余裕すらない……)

で、それがどうしたって?


それを知ってればこんなこと書きませんてば。


一つわかっていること。


「知らなく」ても、「動ける」のが、「生きている」ということ。


Dan the Man of Bra(w|i)n

(こ、これは……もしか…………しなくても…………体のいい踏み台? あ、やっぱり)

そういうわけで、こっちが勝手に色めきたっただけみたい。



ところで、こんなリンクもいただきました。


うーむ、なんかなあ - finalventの日記

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081025/1224896790


コンピューターのことなんかなんもわかってない人間がお気に召さぬご様子。ちょっとは反省してます。「コンピューターの原理」云々というタイトルが独り歩きした感はあります。


m_yanagisawaさんから指摘を受けましたが、確認したところ、はてなダイアリー自動トラックバックがデフォルトでした。しまった!

もちろん今回のトラックバックは意図的なものです。