そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

いまだにコンピュータの原理がわからない

どうして0と1を判別できるだけの機械に、多種多様の複雑な計算を行わせているのか、その結果を人間が理解できるように表示させることができるのか、さっぱりわからない。

不調になれば、システム内部のコンフリクトを回避するよう努めたり、詳しい人の説明を受けて直接ソースをいじったり、最悪の時は再インストールするくらいのことはできる。もちろんメモリやHDDを交換する程度のことは日常茶飯事である。

しかしコンピュータを使って文章を書いたり絵を描いたりすることが目的の人間には、それで精一杯だ。複雑なプログラムを組んだり、基板をいじってシステムを拡張するなど及びもつかない。

それで不自由なく暮らしている。同様に、たいがいのことに関しては、ノウハウの安易な取得を行うことで日々を過ごしているわけだ。

もし各種の家電が使えなくなれば、僕には火を起こすことがせいぜいだろう(もしかしたら、それすらできないかもしれない)。とはいえ生活技術的な問題については、それでいいだろうと思う。この文明が崩壊する可能性を考えてサバイバル技術を必死に拾得するのはあまりにも神経質すぎる。せいぜい大地震に備えるくらいか。こんな世界でもまだ存続すると考えるほうが普通だ。

しかし、知性の丸投げはどうだろう。

こんな記事を読んだ。


空気読みで成り立つ国では無用の論理弁証能力

http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081022/1224630401


著者は悲観的にすぎる気もするが、なにしろのぼせやすいお国柄である。先の衆院選挙で、少なからぬ有権者が「郵政民営化、是か非か」という一点だけで自分たちの代議員を決めたらしい(すべてがそうだとは思わない。いわゆる構造改革路線とやらが自分に有利と考える人はいただろうし)。

もちろん有権者が投票行動というものを軽く見過ぎている面はある。「郵政問題で自民党に投票した。でも、他の政策では民主党のほうがいいと思っている。その点を自民党には斟酌してほしい」などということは基本的にできない。現行制度では、一票を投じるということは、全権委任とほぼ同義である。それで差し障りがあるなら、自分で政治活動をするしかないのだ。これまた先の都知事選で、「現職知事のやり方には少し問題があるが、バッシングも受けているので、少しは反省しているだろうと思い、現職に投票した」云々という主婦の投書があったが、もうバカかと思った。

少し話がずれたが、一方で、ただ単に公民的リテラシーが低いというばかりではなく、日々の生活にかまけた有権者が思考放棄に走った面も少なくなかっただろう。そもそも、投票に際して候補者や所属政党の政策を読み込んでいるというような人はまれだと思う。ましてや、それら政策の妥当性や実現可能性について論じられる人がどれほどいることか。そこにわかりやすいたった一つの争点が提示され、それが他を覆い隠せば、選択は限りなく楽になる。有権者も飛びつくというもの。しかし本当は、そこを怪しいと思うべきなのだ。

思考の下請けが過ぎると危険である。権威的存在が、とくだんの根拠もなく「後進国は侵略してもOK、大国と戦争しても余裕。というわけで国民はすべてを投げうって協力するように」などと言いだしたとき、普通だったらちょっと待てソースをよこせと思うところを「全くその通りだ」などと思いかねない。侵略絶対反対でない人なら、その政策を支持するかどうかの決断は、彼らの展望と根拠を聞いてからにするべきだ。

すべてに万能の人はいない。あらゆることの専門家にはなれない。しかし、いざというときに自分で考える心構え、いざというときに自分で判断するための基礎的な知識、その「いざというとき」に気付くための知性は誰にも必要だろうと思う。


■追記:単にリンクを張るだけのつもりだったんですが、デフォルトが自動トラックバックでした……。