そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

てんでばらばらな方を見つめながら、みな一歩踏み出しあぐねている

*1



父親がいないおかげで、こんなに良い思いできてる。
普通の人たちよりも幸せなんじゃないかなぁ?
有難いね、ほんと。

父親が死んで得したこと7つ
http://anond.hatelabo.jp/20100906155722

この人のいうように、「単親家庭=100%貧困世帯」ではない。しかしもちろん「単親家庭=金銭的に安泰」というわけでもない*2。個人的なことを語っているのだからやむを得ないとはいえ、いくつかの点から前記匿名記事は単親家庭というマイノリティに対する誤解と偏見を招く文章であるように思う。匿名ではなく、もう少しバックボーンを明らかにして書いてほしいところだ。

しかし、

でも同じ境遇である筈なのに、
増田は前に進んでいた。
私はずっと足踏みばかり。
悔しかった。
私も前に進まなければいけないのに。
今もなお踏み出せそうにない。

前を向ける勇気をくれ
http://anond.hatelabo.jp/20100908182723

この見方とは少し異なり、「幸せ」「有難い」などに関しては反語的表現のように感じている。自分が幸福であると言い聞かせているような(しかしなにしろその「幸福」の指標がほとんど「お金」なので、どうにも痛々しい)。



みんな足踏みしている。


ダイエットにはなってるかもね。


子供が、親をうち負かす機会を得ることのないまま親に死なれるということは、親が「越えられない壁」として、いつまでも立ちはだかるということに等しい。
だから、親は子供に勝ちを譲ってから死んでくれ。子供が十分な力を得る年頃になるまで死なないでくれ。

親だからって子供より先に死んでいいわけじゃない
http://anond.hatelabo.jp/20090321033019

というわけで、

An Unsuitable Way
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090128/p1

にておこなった引用をもう一度。


「あなたは死をまるで裏切り行為のようにおっしゃるのですね。そして、そう、もちろん、それはそのとおりなのです」*3

欠落感はたぶん一生続く。もちろん「父親がいないからといって不幸」ということはないが、だからといって「父親がいるより幸福」であるとは言えない。そもそも誰かより不幸とか幸福とかいうものではないだろう。


あえていうなら、みなが「普通」だ。


「普通」ってなんだ?

*1:このシチュエーション自体はさすがに夢なのだが

*2:cf. “一人親世帯の貧困率は54.3%、半数以上が「貧困」-先進国で最悪” http://jp.ibtimes.com/article/biznews/091114/44375.html

*3:皮膚の下の頭蓋骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129‐2)) 小泉喜美子訳、一九九五年九月十五日七刷155頁