そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

「裾野」の広さがうらやましい

http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090820/p1からの続きみたいな感じ。


八月十七日付のハイクに書いたが、昨年(2008年)夏公開の映画『ダークナイト』にあわせるかたちで登場したオムニバス短編アニメDVD『バットマン ゴッサムナイト スペシャル・エディション (2枚組) [DVD]』がワゴンセールで積まれていたのを買った。バットマンや原作者ボブ・ケーンについてのドキュメンタリーに加え、アメリカで放映されたアニメシリーズ四編が収録された特典DVDを一通り見たあとで、本編DVDの吹き替え*1や字幕や制作者コメンタリーを視聴。さらにそのあとWikipedia:バットマン項目を追っかけたり(便利な世の中だね)、本棚から引っぱりだした『バットマン/スポーン日本語版』(メディアワークス発行)に収録されているミニコラムなどを読んだり。ちょうどはてな村の一部で『プラネテス』の「ロックスミスは銀か真鍮か」論争(論争というほどのものでもない)があったころだ。


アメリカ人が、「ケネディ家」に思い入れを抱いたり、「スタートレック」や「スターウォーズ」に事細かな設定を付与して熱狂したり、というのは「歴史を持たない」*2ということの裏返し、などという話を聞く。アメリカンコミックのヒーローもまた同じ。多くの作家に語り直され、何度も再構築されるにつれ、荒唐無稽なキャラクターが、そのオリジンの荒唐無稽さを内包はしつつも時代に合わせた説得力を持たせようと進化し、スーパーヒーローがついにはギリシャ神話の神々や英雄のようになっていく。ここでなされているのは、現代における神話を紡ぐこと。そして、現実と虚構のバランスが巧みに調和するのを楽しむことだ。


当初、「強盗に襲われ両親の死を目撃したことで犯罪を憎むようになり、夜な夜なコウモリの格好で悪と戦う青年実業家」という程度の設定だったバットマンブルース・ウェイン)も、アメリカの歴史と並走しつつその内面を掘り下げていく。非合法の自警団員――他にやり方はいくらでもあるのに、少年時代の痛みを克服できず、あえて犯罪行為そのものに身体ごと戦いを挑むその強迫観念。バットマンだけではない。バットマンの合わせ鏡であるヴィラン(悪役)もその存在理由の説得力を強め(ようと努力はしているようでいて個人的にはまだまだかなと思わなくもないけれど)、なにより変態的犯罪者の巣窟でしかなかったゴッサムシティが悩める現代都市としてリアリティ(くどいようだがリアリティ≠リアル)を増していった。多くの人が関われば関わるほど進む舞台世界の深化とともに、ついには『ダークナイト』の評価を得るまでになる。


この結実に「アメリカ人は漫画のキャラクターで映画なんか作って」と眉をひそめる人もいるだろうが、「神話」を映像化しているというメンタリティで考えると理解できないだろうか。西洋絵画のモチーフとして、多くの画家たちが聖書や神話の世界を選んだのと同じ。チャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』も、もとはといえば通俗娯楽小説(赤毛のアンも熱中していた)。バットマンと、わりあい評価されるあの娯楽大作とどう違うのか、といったところ*3


もちろん、「大富豪」という「資本主義における優位性」が、この「スーパーマンにも引けを取らないヒーロー」の大前提になっている*4わけで、仮に「資本主義」という大枠が力を失ったとして、そのあと「バットマン」という企画がどうなるかはわからない。しかし『バットマンダークナイトリターンズ』(小学館プロダクション)では、55歳になったブルース・ウェインが、最後にバットマンとしてひと暴れしたあと、一人の分別ある指導者として市民を率いて行動する――などというラストシーンが描かれていた(続編もあるらしいが未読)。作り手の意志次第で、いかなる語り直しも可能なのだ。普遍的なキャラクターは、(全身タイツで悪党を叩きのめしていたなどという)ある種「恥ずかしい」過去さえも受け止めて、新たな物語にコミットしていく力がある。暴力で物事を解決しない世界のないかぎり、暴力で物事を解決しようとあがくバットマンを葬り去ることはできない。


そういうふうに考えると、『プラネテス』はアニメ化されたとはいえ基本的に個人制作の小プロジェクトゆえ、世界観の深化にはおのずと限界があるわけで。そのへんをどう捉えるかは人それぞれだと思う。『M.S.ERA POPULAR EDITION―機動戦士ガンダム戦場写真集 (Dセレクション)』とか『機動戦士ガンダム公式設定集 アナハイム・ジャーナル U.C.0083-0099』なんか読むとトランスフォーマー好きとしては溜息しか出ない(ぜんぜん関係ない愚痴)。

*1:なんでバットマンの声が玄田哲章で統一されてないんだ……ところどころミキシンなんだ……

*2:もちろんここでネイティブの文化についてはオミットされている。

*3:文化なんてまったくフラットなもので、名作の誉れ高い『市民ケーン』を製作したオーソン・ウェルズの遺作は大金を注ぎ込んだだけの子供映画『トランスフォーマー・ザ・ムービー』だったりする(トリビア)。

*4:宇宙人であり、人間ばなれした超人に対抗する以上、バットマンはお金を注ぎ込んだ最新テクノロジーでスーパーマンに戦いを挑むしかない。