あたし 裁判員 選ばれた? みたいな
アトラスの代役
「アトラスの腰の具合がかなりひどいんですよ、まあ労災ということで、傷病休暇を与えないといけないんです」
と、説明にやってきたのはキューピッドふうの天使*1だった。見た目は赤ん坊なのに、話ぶりが小役人ふうで気持ち悪い。
「へえ」
そう答えるしかなかった。
大地を支える神、アトラスの代役に選ばれた。
もちろん大地を支えるなんて、人間ひとりにはとても無理だ。60億人類から無作為抽出されたあるていどの人数で支えることになるとかなんとか。なんとなく、運動会の組体操でやらされたピラミッドを思い出した。女子は男子より一段低かったが。
それにしてもなんで自分が、と思った。誰だってそう思うだろうけど。
「そういうわけで、皆さんに応分の負担をいただきたいとですね、ですから――」
「辞退したいです」
「ダメダメダメ! ゼウスにかけて辞退は認められてないです。ダメ。ぜったいダメ」
キューピッドは厳しい顔で「ダメ」を繰り返し、それから猫なで声を出した。
「ねえ、よくよく考えてみてください。これって、みんなが暮らしている世界の危機なんですよ。大地が奈落の底に落っこちちゃってもいいんですか?」
「どこへ落ちるっての。地球は宇宙に浮かんでるじゃない」
丸顔が溜息をついてかぶりを振った。
「あなたはなんにもおわかりじゃない。地球が丸いのは見た目だけなんですよ! 本質はぜんぜん違います。この世界は、イデア的に見れば危ういバランスのもとに成り立っている半球系物質なんです、そしてそれを支えているのが、かの高名なアトラスなわけで――」
聞き流していたらいきなり身体が重くなった。ほとんど本能的に床に這いつくばる。フローリングには髪の毛やらホコリやら細かいゴミが落ちていたが、そんなこと気にするゆとりもなかった。
「お、重っ――まだ引き受けるとは……」
「いやあ、選択の余地ないですし、いつからいつまでどなたにご担当いただくかっていうスケジュールは決まってまして。時間の都合というものがね」
こっちの文句もどこ吹く風、キューピッドは腕時計に目をやり、
「協力者の皆さんの状態は逐一モニターしておりますから、どうぞご安心ください!」
にっこりと笑った。
「これ、重、すぎ……じゃ、ない、の」
つぶされそうだ。
「そりゃそうですよ。人間、自分の重さのものだってなかなか持ち上げられないのに、そのうえ世界の重みまで加わってるんですからねえ」
「そう……思う、なら……もうちょっと…………なん、とか……!」
「んー、当方といたしましても、皆様のご負担を軽減する傾向で慎重に検討はしているんですよ。ご意見は確かに承りましたが、ひとまずどうぞご了承ください」
「てか……天使は、何も……しない、の?」
キューピッドは聞いてなかった。ちょっと首をかしげながら目線を宙にやって、考え事をしている。やおら切り出した。
「あー、すみません、あなたと同じ代役の人たちなんですけどね、ご高齢の方たちが集団で脳卒中とか心臓発作とか起こしちゃったみたいで、ええと。その人たちのぶん負担増やししますから、ちょっと重くなりますよ」
「な、なに……を……をいっ!?」
もうその後は口を利くこともできなかった。とにかく気を紛らわせようとしていろいろ無駄な努力をしたのだが、何ひとつ効果はなかった。
どれくらいか経って:
「あ、終わり? 終わった? ああ、終わりですよ! いやあ、最近の年寄りは若いくせにふがいないですな! どうもどうも、お疲れさまでした――!」
そう言われたと同時に、朦朧として意識が遠くなった。まるで身体が浮遊するかのような感覚――
朝日で眼が覚めた。
ベッドの上だった。感覚的に空も飛べるような気はしたが、もちろん試さなかった。重力はいつもと同じように働いている。そうでなくては。
シャワーを浴びてから床にフローリングワイパーをかけた。昨日のことはもう、まるで夢のように思えた。しかし出かける前に気付いたのだが、テーブルの上に525円のビール券が二枚、封筒に入っていた。
つまりそのていどの仕事だ。
*1:神話観が違うけど気にしないで!