そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

An Unsuitable Way

※2009.9.2改稿

「学校を卒業したあと、私は父と禁欲的な生活を送るようになりました。二人でほうぼうを旅行してまわりました。父は去年の五月、ローマで心臓病のために亡くなり、私は故国に帰ってきました。速記とタイプを習得していましたので、秘書の仕事を斡旋所に頼んだのです。そこでバーニィのところを紹介され、二、三週間もすると彼は私に一つ二つの事件の手伝いをさせました。私を仕込みたがったので、私もずっと働くことを承知しました。二ヵ月前、彼は私をパートナーにしたのです」
(中略)
「お父さんは何をしていらしたのですか?」
「旅まわりのマルキシスト詩人、そしてアマチュア革命家でした」
「面白い子供時代をすごしたでしょうね」
 養母が次から次へと変わったこと、住居も説明できぬくらい次々と変わったこと、学校も同じく、そして地方福祉保護局事務官たちの気づかわしげな顔や、休みの日には彼女をどうしたものかと困りはてている学校の先生たちの顔だのを思い浮かべながら、コーデリアはこの種の断定に対してはいつでもするように、まじめに、なんの皮肉もなしに答えた。
「はい、とても面白かったです」

コーデリアほどではないにせよ、僕も「面白い子供時代を……」というようなことはよく言われるのだが、なかなか彼女のようには応じられない。曖昧な苦笑いが出てくる程度である。

コーデリアは自殺したバーニィの遺体を見つけても慌てず騒がず対処する。そのときもうすでに彼女の感情も死んでいるからではないのだろうかと思う(おそらく、父親が死んだときも同じに)。そして問題になるのは、感情が死んだことにはない。その感情が死んだままでなく、ときおり蘇るということにある。

「彼のことを追い出したくせに、そのあとは様子を聞いてもやらなかったじゃないの。お葬式にも来なかったじゃないの!」*2

むしろ、感情は死んだままのほうが楽なのだ。そうではないので、そのときが苦しい。


* * *

「(前略)新しいコラム“さて話題は?”にあなたを登場させたいと思っていましてね。思いがけない組み合せの人物たちが一緒に食事をするんです。たとえば〈モン・プレジール〉で詩人兼刑事ダルグリッシュと麗人コーデリア・グレイ」
「鴨肉のオレンジ添えを気取って食べる妙齢の女性と私に、自分のことのように興奮を覚えるとしたら、君の雑誌の読者はひどく退屈しているんだろうなあ」
「二十歳以上年上の男性と食事をする妙齢の美女は、確実に読者の関心を呼びますね。希望を与えるんですよ。(後略)」*3

『皮膚の下の頭蓋骨』の「そこで終わりかよ!」な結末からコーデリアがどうなったのかは不明だけれども、まあこんな軽口に上るくらいだから*4、きっとうまく切り抜けたのだろう(ダルグリッシュが「名探偵登場」みたいな感じで介入したりしたのだろうか?)。そういえば、『女には〜』(1972)の直後の作品、黒い塔 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(1975)でも、顔こそ出さないが、ちゃんと実体の伴った存在としてその名前を登場させていた。

もっともその後のことは不明で、P.D.ジェイムズが生み出した架空のキャラクターとしてのコーデリア・グレイは、『死の味』に登場する若く自立的な警官ケイト・ミスキンと、『神学校の死』からの(ややとってつけたような)教養ある清楚な教師エマ・ラヴェンナムに分離し、ダルグリッシュの物語に組み込まれてしまった。

父親とバーニィ、自分に関わる大きな存在を二度失って、それでも彼女は道標としてのダルグリッシュを見いだした。もう六十くらいになるのだろうか。あんがい作家にでもなっているのではないかな*5。それに比べると、たった一度父を亡くしただけの僕がいまだ暗中模索というのはまったく困ったものだ。

「あなたは死をまるで裏切り行為のようにおっしゃるのですね。そして、そう、もちろん、それはそのとおりなのです」*6

*1:P.D.ジェイムズ著・青木久恵訳、一九九六年七月十五日十五刷37-38頁

*2:前掲書311頁

*3:死の味〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫) P.D.ジェイムズ著・青木久恵訳、昭和63年1月31日3版発行241-242頁

*4:『皮膚の下〜』は1982年、『死の味』は1986年の発表。

*5:『原罪』なんか読むと、それはそれで未来の展望がないなーと思うけど。

*6:皮膚の下の頭蓋骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129‐2)) 小泉喜美子訳、一九九五年九月十五日七刷155頁