そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

負け犬の遠吠えにおびえる社会

厚生次官夫婦襲撃事件に関連してのことだと思うが、治安のために警備が強化されたことを伝えるニュースの街頭インタビューで、「知らない人を見ると怖くて」などと言っている中年女性がいた。

どういう生活圏に暮らす人なのかはわからないが、この女性、「誰か彼女を知らない人が、見知らぬ他人であるところの彼女自身を脅威に思う」ということだってあり得る、などということは考えているだろうか、と思った。いくら自分が無害な人間だとしても、また、そのような外見であったとしても。それが相互主義というものであると。

分割統治は政治の常套、などということはよく言われるが、それも相当に極まった感じがする。弱者と弱者がいがみ合うというやつ。どこかの偉い人が狙ってやったというより、どうも期せずしてそうなったように思うが、なんにせよ、不幸の予感は不幸そのものよりなお悪い。この状況を利用すれば、多くの善良な人々に「自由からの逃走」を勧めることも容易くできそうだ。

負け犬が遠ぼえするだけではなく、実際に襲いかかってくる現実。そしてそれにおびえる人々。実にわかりやすすぎる構図だ。あまりにもわかりやすすぎて、しかもだいたいの人はその構図の中で暮らしているから、そのまま絶望してしまいそうだが、それが社会のすべてではない。そもそもどうしてそんな社会になったのか考えてみることが重要だと思う。理解が表層的すぎる。

ちょっと調べれば、特定のグループだけが悪いわけではないということぐらいはわかるだろう。ごく大雑把に言えば、だいたいの場合、誰も彼もちょっとずつ悪くて、おおむね悪くない。自分についても同じことが言えるかもしれない。要するに、どこに結び目があるかもわからない複雑に絡み合った縛めを発見するのである。

恨みを募らせる者も、不安を募らせる者も、互いのことしか見えていないが、本当になすべきことは、ナイフを振り回すことでも、他人を排除して安心することでもない。そして非難されるべきは政治家でも官僚でもない。いつのまにやら肥大化し定常化しつつある「社会」というシステムそのものだ。つまり――

意思を持った人格「社会」が、構成要素である我々人類を操ろうとしているんだ!

な、なんだってー!!

――というような小説をとある賞に投稿したことがあるのですが、一次選考で落ちました。


cf. http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090325/p1