そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

人間は万物の尺度

この世界は、人間が観測しているからこのように認識されている。

そのことに気づいたのは小学三年生か四年生のころだった。

宇宙は人間を生み出した。しかし一方で、宇宙のありようは人間が定義している。人間という「自らを定義し、そして世界のすべてを定義することを志した存在」が、本当は大して意味もない混沌に勝手な意味を与え、秩序だてている。

生命は一種の秩序に見えるが、これさえ単なる混沌のひとつにすぎない。いやむしろ、人間は自分をシステムとして認識しているがゆえに、他のものをもシステムとして認識してしまう。そして、システムしか認識できない。

つまり、人間は混沌を把握する能力に欠けている! 自分に理解可能な範囲で世界を定義している。世界が時として必然に見えるのは、秩序の化身である人間の勘違いにすぎないのだ。偶然なのに。

おそらく「人間」というのは、「ヒト科ヒト属ヒト」のことではないのだろう。猿から進化した生命が人間になったのではなく、「定義者」になることを志したから「人間」になったのだ。そして、人類はいまもっとも「定義者」に近い存在のように思えるが、ヒトが「定義者」である必然性はない。

ああ――なんという明晰さだ。

自分は天才だと思った。

このぶんでいけば、じきE=mcなんたらとか神に死亡フラグとか、まだ誰も思いついたこともないような素晴らしいアイディアがひらめくに違いない。大人は僕のことをさんざん大器晩成いいやがるが、これはもう十代半ばくらいで歴史を変えてしまうんじゃまいか。そして世界中が僕に平伏すのだ。男女問わないから春麗よりすごいぞ。伝記とか出るだろうしあんまり格好わるいことはできないだろう、気をつけよう。あ、そうそう天才なんだから学校の勉強なんてやってる場合じゃないよね!

……。

…………。

十数年経ったが、何もひらめかない*1

そういうわけで今とても苦労しております。

*1:「大器晩成」という言葉は誤って伝わったもので、本当は「大器免成」(大器は完成しないもの)とあったらしいとか……