そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

Scanners Live in Vain

多数というものよりしゃくにさわるものはない。なぜなら、多数を構成しているものは、少数の有力な先進者のほかには、大勢順応のならず者と、同化される弱者と、自分の欲することさえ全然わからないでくっついて来る大衆とであるから。

「格言と反省」*1ゲーテ著・高橋健二 

ネット上には多くのアーリーアドプター*2がいて、大衆へ表現者の紹介を行う。かつてマスメディアが独占的に行い、しかもそのことによって多大な利益さえ上げていたこの事業を、ほとんど無報酬のうちに。

その結果として、「もう情報にお金を使わなくてもいい」ということに気づく人や、「情報にお金を使う」ということに思いをいたすことすらない人が現れたわけだが。

もしかすると、多くの人は「自分の欲することさえ全然わからな」かったのではないだろうか。彼らはとくだん欲しくもない本や音楽を、ほかの人が持っている、流行しているらしい、というような理由で入手する(ベストセラーはベストセラーだから良く売れる、というのは出版業界の自嘲である)。メディアはそのような軽佻浮薄な人々からお金を巻き上げようとして、まったく取るにたらない創作物を作るよう表現者に強いていた。誰の好みにもあうような、口当たりのいい作品を。

それがネットの発達で一変した。情報にお金を使う必要がないということに気づいた人たちは、本当に情報にお金を使わなくなる。果たして自分の人生にその情報が必要なのだろうか、と立ち止まる。

コマーシャルのタイアップソングに使われている1200円のマキシシングルは、自分の好みに合っているようだ。けれども、ネットで手に入る、いま聞いている素人の無料作品もけっこう好みだ。前者と後者はまるで別の曲だけれども、楽しめる時間は同じ3分。

――どちらも欲しいという人はいるだろう。そして彼は6分楽しむ。だが、1200円わざわざ払うより、無料の曲を二度聞いて、6分楽しめればそれで別にいいと考える人だって多いのではないか。そもそもネット上にはもう、3分どころか、人間が一生涯楽しめるだけの無料作品がある(クオリティの優劣はあるけれども)。そして、指針を持たない、選べない人のために、いま、新しい、多くの「有力な先進者」がいるのだ。自分の虚栄心を満たしてくれる、特別な作品を紹介してくれる先進者や、かつてのマスメディア同様、誰にでも好ましい適当な作品を紹介してくれる先進者が。

心から美を求める必要はない、その刹那の気晴らしとなる作品があればいい。その下地を作ったのは他ならぬマスメディアだった。彼らは鑑賞者を育てなかった。消費者だけだ。

消費者は美に餓えない。

それは、新旧先進者の報いなき栄光がもたらすもの。

美の生きがいなき世界。



cf.

コンテンツはいかにして円盤からはがされたのか? - ビジネスから1000000光年
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090202/1233564287

我々は音楽を「所有」し得るか - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090202/1233582907

*1:ゲーテ格言集』より

*2:Early Adoptor:アーリーアプターというのは誤り?